旧盆の入り。今日から夏休み。

◆いつも通り4時30分に起床。今日から夏休み。
 旧盆の入りで、実家へ行き、父の墓参り。墓前に向かい、母の様子を話す。まだ、一緒の墓に行くのはまだであると言うこと、そして、『父がなくなる際に私の枕もとで母を頼むといったこと』を思い出し、しばらくは母を長生きさせるために努力していることを話す。最近、父の夢を見ることがなく、安心してやすらかに眠っているのかな?

高知県四万十市、4日連続の40度超え。気象庁始まって以来の記録。埼玉県の熊谷し、岐阜県の多治見市を抜き、「日本一暑い市」になる。四万十市は、清流「四万十川」で全国的にも有名。この暑さで、川の水量も減少しているようだが、ヤマメやうなぎはどうなったのであろうか。

◆2013年8月13日放送 23:00 - 23:58 テレビ東京 「ワールドビジネスサテライト」より
①「特集古民家について」
 京都・上京区にある京町家ステイの「庵町家ステイ・西陣伊佐町町家」は職住一体の古民家を現代風に再生した宿泊施設。外国人も寛げるように快適さを高めていて、建物の中には西陣織の工房を再生させ、京都の歴史文化を旅行客に知ってもらう狙いがある。京都・伏見区には京町屋を活用した学生キャンパスがあり、学生たちはマンドリンの演奏などのイベントを行なっている。このキャンパスは歴史的な建造物に対して建築基準法を緩和して改築や増築ができるように適応していて、景観を守りつつ火災報知機を設置するなど安全性を確保している。立命館大学山崎正史教授は京町家の調査を40年以上行なっていて、10年間で約3000軒の町家が取り壊されているという。町家を改修・増築、他の用途転用にする際に現在の建築基準法が適用されるため、景観を守りつつ防火耐震などを施すのはコスト面でも高くつく。だが京都市ではこうした規制を緩和しつつあり、山崎教授は今まで以上に保存が進むのではとコメント。
「とは
政府は古民家など活用する規制緩和を検討していて、政府関係者は国家戦略特区として「古民家特区」が有力との見方を示している。ジャパンエリアマネジメントの西本社長は古民家活用の規制改革を提案していて、千葉・松戸市にある築100年の建物は物販やアトリエとして利用されている。国家戦略特区における古民家特区は省庁をまたずに一括して規制改革を行い、古民家をレストランや旅館への転用をしやすくするというもの。住友林業ホームテックは建築基準法が制定された前の古民家のリフォームに力を入れていて、需要は拡大している。高桐邦彦社長は古民家を残すだけでなく、対応する技術も開発していきたいと述べた。良質な床柱を使っている古民家を廃棄した場合、環境には優しくない。こうしたなかで現在、日本では宿泊施設やレストランへの転用など古民家の活用の可能性が高まってきている
羽田空港の弁当専門店「空弁工房」では180種類の弁当を取り揃えていて、多い時で1日6000個が売れている。では祖のランキングは?
 空弁ランキング
 第10位は日本エアポートデリカの「石垣牛焼肉弁当」。
 第9位は日本エアポートデリカの「3種の穴守」。
 第8位は日本エアポートデリカの「ヨシカミ ヒレカツサンド」。
 第7位は万世の「万かつサンド」。
 第6位は日本エアポートデリカの「5種の穴守おこわいなり」。
 第5位は和幸の「ひれかつサンド」。
 第4位は日本エアポートデリカの「高田直行謹製かに助六ずし」。
 第3位は寿徳庵の「羽田空港ひとくちおこわ」。
 第2位は日本エアポートデリカの「ヨシカミ ロースカツサンド」。
 第1位は日本エアポートデリカの「ヨネスケのこだわり天むす」。

(8月13日生まれの偉人)
◆緒方 洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日(1810年8月13日) - 文久3年6月10日(1863年7月25日))は江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し日本の近代医学の祖といわれる。
 洪庵の功績としてもっとも有名なのが、適塾から福澤諭吉http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130110)、
大鳥圭介http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130414)、橋本左内http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130419)、
大村益次郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130530)、長与専斎、佐野常民http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130208)、
高松凌雲(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130131)など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出したことである。日本最初の病理学書『病学通論』を著した。種痘を広め、天然痘の予防に尽力。なお、自身も文化14年(1817年)、8歳のときに天然痘にかかっている。安政5年(1858年)のコレラ流行に際しては『虎狼痢治準』と題した治療手引き書を出版し医師に配布するなど日本医学の近代化に努めた。
 人柄は温厚でおよそ人を怒ったことが無かったという。福澤諭吉は「先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々として応対倦まず、誠に類い稀れなる高徳の君子なり」と評している。学習態度には厳格な姿勢で臨み、しばしば塾生を叱責した。ただし決して声を荒げるのでなく笑顔で教え諭すやり方で、これはかえって塾生を緊張させ「先生の微笑んだ時のほうが怖い」と塾生に言わしめるほど効き目があった。

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120813

<本の紹介>
天然痘予防に挑んだ秋月藩医 緒方春朔http://d.hatena.ne.jp/asin/487415767X
                  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487415767X/hatena-ud-22/ref=nosim
・評伝 大鳥圭介―威ありて、猛からずhttp://d.hatena.ne.jp/asin/4306093891