これからの自分のテーマは。

 一月から、毎日その日に生まれた人をブログに書いている。そこには様々な人生がある。様々な葛藤があり、生きて行くことのむずかしさを垣間見る。また、様々な交友をしることもある。全ての人を訪ねて行くことは不可能であろうが、これから一人ひとりを訪ねる旅に出るのもこれからの人生の一つのテーかもしれない。これから自分はどんな人生を歩むのであろうか。定年退職まであと半年か?それを思うとこれからの自分の人生に不安を感じざる得ない。

◆ マスコミでは消費増税の景気への悪影響を緩和する景気対策の規模について2兆円、あるいはそれ以上などと報道されている。ただ、過去の2度の消費増税の影響について見てみると、わずか2-5兆円程度の経済対策で大丈夫という見方がまさに、「いつかきた道」である。
 1989年の3%消費税新設は、もとを辿れば1982年の鈴木善幸内閣での「財政非常事態宣言」から始まっている。赤字国債を発行して、政府財源に充てるという全く当たり前の政策をやらざるを得なくなったに対して、時の鈴木善幸内閣は財政危機と捉え、1989年に消費税3%が導入された。ただ、5.4兆円の負担増とそれまでにあった物品税廃止(△3.5兆円)とが相殺され実質1.9兆円の増税にとどまったことと、当時がバブル期でプライマリーバランスがプラスであったことから政府債務はその後数年間減った。一方1997年の橋本内閣での3→5%消費税増税では経済環境はより悪化した状態での増税となった。増税前年の経済状況は、創設時→橋本増税→今回と次第に悪化。今回の消費税増税案は、デフレの中での増税という、経済原則に反したものである。1997年の橋本内閣の消費税増税時には、消費税で5.2兆円、特別減税廃止で2兆円、社会保険料引上げと医療費負担増で1.4兆円、計8.6兆円もの増税を行った。これと併せて公共事業も4兆円削減した結果、拓銀山一證券と立て続けに大きな金融機関が破綻する金融危機が発生した。
 慌てた橋本内閣は総合経済対策として16兆円規模の経済対策を策定した。(1998年4月実施) 経済政策に失敗した橋本内閣は98年に退陣し、後を受けた小渕内閣でも緊急経済対策(経済規模24兆円、98/11)、経済新生対策(同18兆円、99/11)と結局三回、58兆円もの経済対策が必要となった。増税による税収増を期待した橋本緊縮財政でしたが、これほどの増税をして、国民を経済危機に追いやり、現在まで続くデフレを顕在化させたにもかかわらず、経済危機を乗り切るための財政政策を合算すると、1997年から2001年までの5年間で殆どプライマリーバランスへの影響としては行って来いで殆どゼロでした。

(9月12日生まれの偉人)
相馬黒光(そうまこっこう、1876年9月12日 - 1955年3月2日)は、夫の相馬愛蔵とともに新宿中村屋を起こした実業家、社会事業家である。旧姓は星、本名は良(りょう)。
 1891年、宮城女学校(現・宮城学院中学校・高等学校)に入学したがストライキ事件により退学し、横浜のフェリス英和女学校(現・フェリス女学院中学校・高等学校)に入った。しかしフェリスも退学し、1895年に憧れの明治女学校に転校、1897年に同校を卒業した。明治女学校在学中に島崎藤村http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130325)の授業を受け、また従妹の佐々城信子を通じて国木田独歩http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130830)とも交わり、文学への視野を広げた。「黒光」の号は、恩師から与えられたペンネームで「溢れる才気を少し黒で隠しなさい」という意味でつけられたものと言われている。卒業後まもない1898年長野県でキリスト信者の養蚕事業家として活躍していた相馬愛蔵と結婚し、愛蔵の郷里安曇野に住んだ。しかし、黒光は養蚕や農業に従ったが健康を害し、また村の気風に合わなかったこともあり、療養のため上京し、そのまま東京に住み着くことになった。1901年東京本郷に小さなパン屋中村屋を開業、1904年にはクリームパンを発明した。1907年には新宿へ移転、1909年には現在地に開店した。夫とともに、中華饅頭、月餅、インド式カリー等新製品の考案、喫茶部の新設など本業に勤しむ一方で、絵画、文学等のサロンをつくり、荻原碌山(おぎわらろくざん、1879年(明治12年)12月1日 - 1910年(明治43年)4月22日は、明治期の彫刻家)、中村彝、高村光太郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130313)、戸張弧雁、木下尚江、松井須磨子http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130308/p1)、会津八一らに交流の場を提供し、「中村屋サロン」と呼ばれた。また、岡田式静座法を信奉し、10年間一日も欠かさず静坐会に出席した。黒光は、愛蔵の安曇野の友人である荻原碌山の支援者となり、碌山の作品『女』像は黒光をモデルとしたものだと言われている。また、亡命したインド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースらをかくまい、保護し、1918年には、長女俊子がボースと結婚した。そのほか、ロシアの亡命詩人ワシーリー・エロシェンコを自宅に住まわせ面倒をみ、ロシア語を学んだりした。
◆豊田 英二(とよだ えいじ、1913年9月12日 - 2013年9月17日)は、日本の実業家。勲等は勲一等。豊田佐吉の甥。トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代)、トヨタ自動車株式会社会長(初代)、同社名誉会長(初代) 、同社最高顧問(初代)、社団法人日本自動車工業会会長(第2代)、財団法人トヨタ財団理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事長(初代)、学校法人トヨタ東京整備学園理事長(初代)などを歴任した。石田退三と共に「トヨタ中興の祖」と呼ばれている。


(今日の出来事)
・約5兆円の経済対策を検討 消費税
・来年4月に8%携帯3社 ”三つどもえ” iPhone 5c きょう予約開始 

<昨年の今日>もまた空白である。この日のニュースをみると、
・安倍元首相が立候補を表明 自民総裁
日本維新の会、結党を宣言 衆院選350人擁立目指す
・震災死者1万5870人、不明2814人 (9月12日現在)
離職率と入職率、ともに過去最低 震災と節電の影響
・「奇跡の一本松」伐採…また会おう 岩手・陸前高田
生活保護受給者211万人、過去最多を更新