「後悔しない生き方」とは

◆「後悔しない生き方 人生をより豊かで有意義なものにする30の方法」(マーク・マチニック著・弓場隆訳)  http://d.hatena.ne.jp/chargeup/20131020/1382259624
 後悔しない生き方といっても、自分からみると、あり得ない人生かもしれない。ある意味、後悔の連続かもしれない。人間は順調万版ということもないのであろうから、ある意味後悔するものかもしれない。

◆『安さの裏に大胆戦略!店舗数日本一“しまむら流”独自経営の裏側』(2013年11月28日放送 22:30 - 23:24 テレビ東京カンブリア宮殿」より)
 長崎・森山町の人々は服を購入する際に「しまむら」を利用していて、店内は平日にも関わらず人だかりができている。しまむらでは4万点以上の商品を取り揃えていて、「ニットカーディガン」といった商品は平均単価791円。ファッションセンターしまむら 高田馬場店では多くの女性客が来店していて、デザインが良くて低価格ということでまとめ買いする客もいる。しまむらは全国に1293店舗を展開し、その数はユニクロを上回っている。世界のファッションチェーン売上高のトップ10入りしている。
 しまむらは自社での製造はしておおず、約500社の納入業者から買い付ける手法を取っている。買い付け商談は平均2回と短く、その中で商品の微調整や販売価格を検討する。またしまむらは店舗数が多く、大量購入しつつ売れ残ったとしても返品しないので取引相手からは重宝されている。しまむらでは取引相手から購入した商品を完全買い取りしていて、返品はしていない。さらに再値引きの要求、販売応援の人手も借りないといった掟を導入している。また全国の店舗には新商品が毎日200箱分届き、追加補充分はないので店舗に在庫はない。さらにサイズ、色違いはあるものの商品はすべて1点もので、売れ残りもない。しまむらは1931年に島村喜一によって創業され、前社長の藤原秀次郎は革新的な経営手法などで日本一の衣料品チェーンへと成長させた。そして現在は野中正人が社長を務めていて、時間を作っては各店舗を視察している。しまむらグループの売上高は右肩上がりで、野中正人社長は「日常で使う物を低価格かつ、お客が安心して買える売価で提供し続けている」とコメント。またメインターゲットを主婦層にしているのは財布の紐を握っているなどの理由から主婦に焦点を当てざるを得なかったという。他にも商品を売り切ることを最終的に目指していて、取引先に対しては購入した商品が売れ残っても返品せず、再値引きを要求しないなどの経営手法を取ったことで今に至っている。
 しまむらではバイヤーが年に6回、パリ、ロンドンなどで今年のファッショントレンドを調査している。2012年に花柄が流行すると先読みし、色やデザイン違いを取り揃えたところ売上が前月比で2割増加したという。さらにコントローラーと呼ばれる役職に従事する社員は商品を1ヶ月で売り切る目標を掲げ、商品の売れ行き予測をもとに商品を売れない店から売れる店へ移送するなどして目標達成をはかっている。ファッションセンターしまむら南与野店では売れ行きが不調な商品がピックアップされ、その商品の売れ行きが好調な朝日店に移送された。店頭に並べられ、1週間で12点のうち10点が販売された。さらにしまむらは全国9ヵ所に商品センターがあり、海外から届いた商品をどの店に移送するかといった仕分け作業を行う物流管理システムを導入している。しまむらの野中正人社長によると自社の商品センターを設けるなど先駆けて自社で物流を行っている。僅か2店舗だった時代からチェーン化を想定した仕入れシステムも導入し、1981年にはオンラインで商品を管理するPOSシステムを取り入れた。野中社長は「他社に頼むとコストが高くなるからまずは自社で実験を行い、その中で良いと思った手法は全店舗でも行うことにしている」と述べた。
 大宮ソニックシティではしまむらの店長会議が行われていて、北海道から沖縄までの全国の店長が集結する。しまむらでは7割が女性店長で、多くはパートから昇格した女性たち。残業はなく、パート店員が代理店長を務めることができるように店舗経営のマニュアルが各店に配備されている。さらにスタッフからマニュアルの改善案を募集していて、採用されると報奨金を頂ける。しまむらでは泥棒対策のブザーは朝礼会議できちんと鳴るか確認し、商品を素早くハンガーにかけるための手法もマニュアル化されている。他にも買い物客に配慮した掃除手法なども改善され、パート社員も参加している毎年1泊2日の社員旅行も行われている。しまむらの野中正人社長はパート社員に仕事は営業時間中に極力終わらせるように指示していて、パート社員でも店長として昇格させる経営手法を取っている。また経営マニュアルが各店に配備されているが、良いやり方があればその都度改善させることも行っている。
 →→今日の番組を通じて、今、しまむらは、まさに、「先見性、先進性、合理性は多くの企業のモデルとなっているが、一朝一夕で真似できるような単純なものではない。他にも店長の7割がパート出身など社員を大切にしていて、正真正銘の超優良企業ではないか」といえよう。

◆猪瀬知事、辞任秒読み? 自民も“後継”探し…都議会は疑惑追及で修羅場に (日刊ゲンダイ 2013.11.28)
 東京都の猪瀬直樹知事(67)の辞任に向けたカウントダウンが始まった。都議会は29日に開会するが、猪瀬氏が医療法人「徳洲会」グループから現金5000万円を受け取っていたことで、与野党とも「疑惑追及」や「辞任要求」の準備しているのだ。27日には、徳洲会から利子付きで政治資金を借りていた衆院議員が現れ、「無利子・無担保・返却期限なし」という猪瀬氏の特異性が際立った。
 現時点で続投に意欲を示す猪瀬氏だが、外堀は埋まりつつある。
 都議会共産党はすでに、地方自治法に基づく調査特別委員会「百条委員会」の設置を各党に提案している。与党・自民党は「個人の金の話は百条委員会になじまないのでは」と表向き慎重姿勢だが、実は「百条委員会に反対したら『自民党も猪瀬氏と同じだ』と思われてしまう」(党関係者)と、党内では賛成論が根強い。
 民主党都議の1人も「これから所信表明と代表質問がある。それが終わったら百条委員会設置の流れになるのでは」と話すなど、29日開会の都議会は「猪瀬疑惑追及」一色に染められそうだ。
 それにしても、昨年12月の都知事選で433万8936票を獲得した猪瀬氏が、どうして与党からも冷たくされるのか。
 「弱さを隠すためか、とにかく威張る。言葉遣いもぞんざい。猪瀬さんに接すると、みんな不愉快になる」
 自民党都議の1人は、猪瀬氏の人柄についてこう証言した。東京都選出の国会議員は「表では『脱政党』とか言っておきながら、民主党みんなの党の都議選候補にもいい顔をする。何様のつもりなのか」と憤る。
 猪瀬氏の独特な性格も、微妙な影を落としているようだ。
 都議会自民党は来月2日、都内で開く政治資金パーティーに猪瀬氏を招待していたが、急きょ、招待を撤回した。
 徳洲会をめぐっては、千葉徳洲会病院の院長を務めた阿部知子衆院議員(無所属)の政治団体が、昨年12月に300万円を借りていたことが発覚した。ただ、阿部氏は年2%の利子を付けて返済しており、「返すつもりでいたから、(利子について)あまり考えていなかった」と、子供じみた言い訳をした猪瀬氏の疑惑は深まるばかりだ。
 いよいよ進退窮まったのか、猪瀬氏は27日、29日の定例記者会見をキャンセルした。逃げ回る姿にあきれたのか、安倍政権内では「ポスト猪瀬」を見据えた声も出始めた。
 ある閣僚は「選挙になるとすれば1月だな。忙しい時期に参ったよ」と、自民党議員に漏らした。25日には衆院東京9区選出の菅原一秀前経産副大臣のパーティー麻生太郎副総理が出席し、約2000人の出席者を前に「すごい人だね。派閥パーティーでもここまで集まらない。都知事選出馬ですか?」と発言して会場を沸かせた。
 「猪瀬氏は2020年の東京五輪まで知事でいたいだろうから、なかなか辞めないだろう。だが、(居座り続けるのは)簡単ではない」自民党都議の1人はこう断言する。猪瀬氏には黄信号どころか、赤信号が灯り始めている。

(今日の出来事)
・首都直下地震 被害想定 海なし県 埼玉に“津波”。海なし県の埼玉県が6年ぶりに、首都直下地震など5種類の地震についての被害想定を見直した。このうち、東京湾北部を震源とするM7.3の地震では585人死亡、812人がけが、1万3,380棟が全壊すると想定したが、被害想定は6年前より減少した。埼玉県では想定を踏まえて地域防災計画を見直す。また、相模湾から房総沖を震源とするM8.2の地震が起きた場合、津波東京湾河口から荒川をさかのぼり、約50km上流の上尾市付近にまで到達すると想定した。堤防決壊のおそれはないが、河川敷が最大2mの水に浸かるおそれがある。
 東京都は6年ぶりに被害想定を見直した。東京湾北部を震源とするM7.3の首都直下地震の最大震度を震度7に引き上げ、建物倒壊や火災などで9,700人が死亡すると想定。関東南岸の相模トラフでM8クラスの地震が起きた場合、御蔵島村(伊豆諸島)で高さ22m余の津波が起きると想定した。
堤清二氏死去 86歳 セゾングループ築く。セゾングループを築き上げた堤清二氏が25日、都内で亡くなっていた事が分かった。辻井喬ペンネームで小説家などとしても知られ代表作「虹の岬」で谷崎潤一郎賞を受賞していた。
・35年ぶりも…西日本各地で初雪。福岡市内で初雪が観測されたと福岡管区気象台が発表。例年より17日早く、去年より8日早い観測で、11月の初雪は5年ぶりとなる。愛媛県松山市では平年よりも23日早い初雪を観測し11月に初雪の観測は35年ぶり。他にも山口県で平年より14日、広島市で13日、鳥取市で7日早く観測された。 

(11月28日生まれの偉人)
◆寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人である。「天災は忘れたころにやってくる」は至言。バイオリンと絵画を愛した世界的物理学者。明治〜昭和期の物理学者・随筆家。東京都出身。東大卒。五高在学中に夏目漱石と知己を得る。「尺八の音響学的研究」で理学博士。1913年(大正2)結晶によるX線回折の実験で世界的に知られる。1916年東京帝国大学教授。その後地震研究所で地震予防と防災の研究を進めるかたわら、ガラスの割れ目、墨流し金米糖の生成などユニークな研究活動を続けた。「天災は忘れたころにやってくる」の有名な警句を残し、優れた随筆家としても知られる。
寺田寅彦記念館 http://www.city.kochi.kochi.jp/ccfa/x01.cgi?ms=s01l02
         http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~bungaku/t.terada.htm
◆宇野 千代(うの ちよ、1897年(明治30年)11月28日 - 1996年(平成8年)6月10日)は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。
NPO宇野千代生家 http://www.unochiyoseika.jp/content/npo.html
◆中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。文化勲章受章。在家出身。主たる専門領域であるインド哲学・仏教思想にとどまらず、西洋哲学にも幅広い知識をもち思想における東洋と西洋の超克(あるいは融合)を目指していた。外国語訳された著書も多数ある。
中村元記念館 http://www.nakamura-hajime-memorialhall.or.jp/

<本の紹介>
原発ホワイトアウト(若杉 冽著)http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88-%E8%8B%A5%E6%9D%89-%E5%86%BD/dp/4062186179
・埼玉の逆襲 (笑う地域活性化本) http://d.hatena.ne.jp/asin/4905369363

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121128