中村勘三郎が亡くなり、ちょうど一周忌。

◆昨年の今日平成24年12月5日、中村勘三郎が亡くなり、ちょうど一周忌を迎える。同年齢に近いこともあり、残念に今となっても思うものである。(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121205)自分自身の健康も考えて行かなければなるまい。それだけ、無理できない年であろう。明るく楽しくプラス思考でいくことが大事かもしれない。「人生二毛作のすすめ」ではないが、これから健康を考えながらどう活きて行くのかが大事である。「明るく楽しく、+思考で前向きに生きて行くことが自分にとって大事であり、「老いて学べば、即ち死して朽ちず」の気持ちで頑張って行くことが大事であろう。

特定秘密保護法案で墓穴を掘った安倍首相 http://www.amakiblog.com/archives/2013/12/05/

(12月5日生まれの偉人)
◆富田 鐵之助(とみた てつのすけ、天保6年10月16日(1835年12月5日)- 大正5年(1916年)2月27日)は、幕末の仙台藩士・明治期の外交官・実業家。日本銀行初代副総裁・第2代総裁を務めるが、大蔵大臣松方正義と対立して罷免された。後に貴族院議員・東京府知事を歴任する。
 勝海舟に師事し,慶応3(1867)年幕命により米国留学,経済学を学ぶ。在米中明治維新となったが,明治2(1869)年政府の留学生になる。5年ニューヨーク領事心得,以後ニューヨーク副領事,上海総領事,外務少書記官,英国公使館1等書記官等を歴任。その後大蔵省に転じ大蔵権大書記官を経て大蔵大書記官となり日本銀行の創立事務を担当する。15年日本銀行創立とともに同行副総裁,21年総裁吉原重俊の死去により第2代総裁となる。同行在職中には,発券制度である保証発行屈伸制限制度の確立,対民間取引の整備・拡充,公定歩合政策の弾力的運用,外国為替業務の整備問題など中央銀行としての基礎的,制度的問題に尽力した。しかし横浜正金銀行に対する外国為替買取資金の供給問題で大蔵大臣松方正義と衝突し22年辞任。その業績とともに清廉潔白な人格,最新の海外経済知識など日本銀行総裁・副総裁としての評価は高い。副総裁時代に編述した『銀行小言』(1885)は,当時広く読まれ銀行知識の普及に貢献した。また
福沢諭吉http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130110)の媒酌で杉田阿縫と結婚した際,日本ではじめてといわれる夫婦契約書を作り話題となった。23年帝国議会開設とともに勅選貴族院議員,24年から26年まで東京府知事を歴任し,日本勧業銀行設立委員に任命されたほか,富士紡績,横浜火災保険,日本鉄道などに関係した。
 <参考文献>吉野俊彦(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130704)『忘れられた元日本銀行総裁―富田鉄之助伝―』,『日本銀行史』2巻,『歴代日本銀行総裁論』,日本銀行編『日本銀行百年史』1巻
 『けやきのブログⅡ』剛毅清廉の実業家、富田鉄之助(宮城県仙台) http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2013/03/post-7d64.html
◆土井 晩翠(どいばんすい、1871年12月5日(明治4年10月23日) - 1952年(昭和27年)10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。本来姓は「つちい」だったが昭和初期に改称した。東大英文科卒。在学中,雑誌『帝国文学』の編集委員となって作品を発表。明治32(1899)年,第1詩集『天地有情』を刊行し,漢語を多用する男性的な新体詩人として,女性的な詩風の島崎藤村http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130325)と並称される。特に「丞相(諸葛孔明)病あつかりき」のリフレインを持つ長詩「星落秋風五丈原」が愛誦された。明治33年,二高教授。34年には第2詩集『暁鐘』を刊行した。34〜37年,ヨーロッパに外遊。39年の第3詩集『東海遊子吟』以後,詩作には精彩を欠いたが,東西両洋の文学に精通する博識により,評論,翻訳で多数の著作をなした。今日では一般に名曲「荒城の月」(滝廉太郎http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130824)作曲)の作詞者として知られる。癇癪持ちで,将棋に負けたりすると,盤を引っ繰り返さんばかりにくやしがったという。
 <著作>『晩翠詩抄』http://www.amazon.co.jp/%E6%99%A9%E7%BF%A0%E8%A9%A9%E6%8A%84-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%9C%9F%E4%BA%95-%E6%99%A9%E7%BF%A0/dp/4003102010

<本の紹介>
司馬遼太郎の「遺言」―司馬遼太郎さんと私(夕刊フジ産経新聞ニュースサービス)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594021913/hisatunenet-22/ref=nosim
松方正義―我に奇策あるに非ず、唯正直あるのみ (ミネルヴァ日本評伝選)http://d.hatena.ne.jp/asin/4623044041
・「人生二毛作」のすすめ―脳をいつまでも生き生きとさせる生活 http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E4%BA%BA%E7%94%9F%E4%BA%8C%E6%AF%9B%E4%BD%9C%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81%E2%80%95%E8%84%B3%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%82%82%E7%94%9F%E3%81%8D%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A8%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E7%94%9F%E6%B4%BB-%E5%A4%96%E5%B1%B1-%E6%BB%8B%E6%AF%94%E5%8F%A4/dp/487031990X
 ●本の内容 年齢を重ねた時、気力みなぎる人生を送るために今何をしておくべきかを纏めた当著。御茶ノ水女子大学名誉教授で87歳の著者だからこその思いを、素直に聞いてみたい。人生は二毛作で考えた方がいい。思いのほか長いのが老後。老後を意識し始めるすこし前から、自分の足であるくことが重要。老後の備えは、早くから自助努力すべし。株式投資しかり、生き方に対する投資しかり。その投資の努力を惜しんでいては、それこそ、人生の浪費となる。
 もう一つの仕事を見つける為に時間を投資するなら40代、作付けを本格的に考えなくてはならないのが50代。定年後の隠居生活など・・よほどの高級取りだったか、受け継いだ資産のある人だけ。問題はどれだけ働き甲斐のある仕事が出来るか。定年を迎えてからではなく、50代半ばで意思的な決断が必要。30代で将来を見据えた資産形成の第一歩、40代で、自分を活かせる「もう一つの仕事」の発見。50代が「もう一苦労」するための適切な時期。五十にして天命を知る。孔子の言葉に従えば、天の命ともいうべき、後半生の自分の生き方を決すること。定年後まだ30年も人生が続くことについての自覚が乏しい人が多い。長い老後を実りあるものにする為には、1日1日の生活パターンを守ることと、外に出る事の2つは鉄則。外に出るというのは、心を外に開くという事でもあり、たとえ一人の散歩でも、そこに外界との接点がある。
 江戸時代の儒学者、佐藤一斉(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131114)が「言志四録」(http://www.amazon.co.jp/%EF%BC%BB%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E6%8A%84%E8%A8%B3%EF%BC%BD%E8%A8%80%E5%BF%97%E5%9B%9B%E9%8C%B2-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E4%B8%80%E6%96%8E/dp/4569642586)という随想録に残した言葉。「老いて学べば、即ち死して朽ちず」小泉純一郎首相が引用して知られた。思い出したように、昔の友人に連絡を取ったり、疎遠になった関係の復活を試みるのは・・一毛作のころの人生にタイムスリップするだけ。それよりも、放談・雑談の出来る新たな輪を作るほうが、人生をはるかに豊かにすることが出来る。「若いときの友人関係は、賞味期限が切れている。賞味期限の切れたものは、捨てるか、買い換えるかのどちらか」要は、かつての関係に執着しないと言うこと。縁もゆかりも無い職業も経歴も違う考え方も違う、そういう人とのおしゃべりが実に楽しい。新たな発見だということ。外山氏曰く「雑談・放談は、人生最大の愉しみであり、人間が発見した最高の元気の素ではないでしょうか」自分の頭で「考える」ことこそ、二毛作人生をしっかりしたものにする「知」のあり方。知識の習得ではなく、考える習慣。この大切さを、改めて胸に刻むべき。人間関係やひとづきあいと同様、これまでの認識と意識を根本から変えていく必要がある。知識習得にはげむことは、むしろ考える力を低下させる危険さえある。この事実を、二毛作人生ではしっかり頭においておかなくてはならない。ひとを真似ず、常識に拠らず、自分の思考をもちつづける。これが、いつまでも働いてくれる頭脳をもつ秘訣である。50歳位までは、忘れるのはまずい事と思っていたが、60歳頃からはキッパリあきらめた覚えていないもの、忘れたものはどうせ自分にとっては役に立たない「ごみ記憶」だと決めこんだ。
 忘却は神様からの恵みだ。いやなことは、もともとわすれる仕組みになっている。その証拠に小さい頃を思い出してみて。。良い思いでの方が多い筈。時間はただ流れているだけでなく、いやなこと、不快なこと、わずらわしいことを洗い流してくれる。おしゃべりはストレスの発散になる。おしゃべりとは、とりもなおさず「声を出す」こと。声に出せば、体にいい。発声は頭と口のエクササイズと心得るべき。

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