今日は四十七士討ち入りの日である。

◆1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。
 家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、大石内蔵助[おおいしくらのすけ]の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとった。この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、現在まで語り継がれている。
 ・赤穂義士祭・泉岳寺 http://www.sengakuji.or.jp/event/akougishisai.html
            http://www.gotokyo.org/jp/tourists/topics_event/topics/121126/topics.html

◆猪瀬は収賄罪に追い込まれる」と書いた週刊フライデー、「石破報道規制発言に大慌てする大手メディアの自業自得」
 「天木直人氏の視点ー(2013/12/13)」 http://www.amakiblog.com/archives/2013/12/13/#002799
                    http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/9273532c8125d04eb60390ca796730d4 より
 この二人の特徴は・・・「雄弁があだ、口の禍で脂汗」。脂汗や冷や汗を流しながら説明に四苦八苦する2人の政治家である。猪瀬知事は、「言葉の力」で、人を動かす言葉の必要性や重要性を述べていた。また石破幹事長は、自民党が野党時代に国会で原稿も見ずに当時の菅首相を80分も追及した武勇伝を持ち、まさに、2人の雄弁は武器である。猪瀬知事は、5000万円問題で説明が二転三転しているし、石破幹事長は、特定秘密保護法を巡り、ブログの記述を撤回し、また報道は抑制されるべきと発言し、直ちに訂正している。流れた朝は体内に戻らないと同様に、一度口にした言葉は取り消すことができない。まさに、「綸言(りんげん)汗のごとし」(〔漢書 劉向伝〕出た汗が再び体内に戻り入ることがないように,君主の言は一度発せられたら取り消し難いこと。」 という故事かもしれない。

(12月14日生まれの偉人)
◆小松 耕輔(こまつ こうすけ1884年12月14日 - 1966年2月3日)は明治大正期,童謡運動の先駆ともなった新しい唱歌の運動を展開した作曲家,評論家。明治39(1906)年東京音楽学校本科器楽部を卒業後,大正9(1920)年から3年間,欧州に留学。パリ国立音楽院ヴィドール,ダンディらに作曲を学ぶ。創作オペラの運動を興して,日本最初の創作オペラとされる「羽衣」(1906)を作曲した。また,「大正幼年唱歌」などで童謡運動を展開。昭和2(1927)年,国民音楽協会を設立して,合唱運動を推進した。作品は雑誌『赤い鳥』に発表した「電車」や歌曲「泊り船」など多数。『現代仏蘭西音楽』をはじめ,著書,訳書も多い。
◆阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう、1901年(明治34年)12月14日 - 1953年(昭和28年)7月7日)は、日本の歌舞伎俳優、映画俳優である。本名田村 傳吉(たむら でんきち)、サイレント映画時代に岡山 俊太郎(おかやま しゅんたろう)の名で監督作がある。端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優として親しまれた。〈阪妻〉の呼名で親しまれ,豪快な立回りを見せたチャンバラ時代劇の大スターであるのみならず,スクリーンでも実生活でもその人間的な大きさで知られ,なかば伝説化されている名優。本名田村伝吉。東京生れ。11世片岡仁左衛門の門下に入り,1923年,マキノ映画に入社。大部屋俳優から主役をつかみ,ニヒリズムと乱闘を魅力とした寿々喜多呂九平(すすきたろくへい)脚本の一連の時代劇《鮮血の手型》(1923),《討たるゝ者》《逆流》(ともに1924),《江戸怪賊伝・影法師》《墓石が鼾する頃》《異人娘と武士》《雄呂血》(ともに1925)等々で人気を博して,剣戟王・阪妻の異名を取り,〈目玉の松ちゃん〉こと尾上松之助の1人斬るごとに見得を切る〈旧劇〉の古めかしさを脱して,ダイナミックな剣戟を生かした新しいチャンバラ映画の全盛時代をつくった。
◆遠山正瑛(とおやま せいえい、1906年12月14日 - 2004年2月27日)は、日本の農学者・園芸学者。昭和17年鳥取高農(現鳥取大)教授となり,砂地農法を研究。33年鳥取砂丘利用研究施設(現乾燥地研究センター)をひらく。47年の退官後,中国の砂漠の緑地化にとりくみ,トングリ砂漠にブドウの近代化モデル園をつくる。平成2年モウス砂漠のポプラ100万本植林キャンペーンをはじめた。5年柾雄とともに吉川英治文化賞。15年マグサイサイ賞

おとなり日記
・2013-12-08 藤野正弘の京都まち暮らし http://d.hatena.ne.jp/mfujino706/20131208
・2013-12-12 遼東の豕 http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20131212
・2013-12-12 じゃぽブログ  http://d.hatena.ne.jp/japojp/20131212

<昨年の今日>  http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121214/p1