今シーズン”最強”寒波 各地で「この冬一番」の大雪。今年は19年ぶりに31個の台風が発生。台風と雪が関連。今冬警戒。

(今日の出来事)
・台風と大雪が関連。今冬警戒。北海道の朱鞠内で今季全国最高積雪143センチを記録し、青森の酸ヶ湯や山形の大井沢でも100センチ以上の積雪を観測した。この時期としては平年の5倍以上のところの積雪になっている所もある。今年は19年ぶりに発生した31個の台風の多さと大雪は関係していて、この冬は大雪に警戒が必要だそうである。
 日本列島を襲っている寒波は、今日も大暴れで北日本や北陸にまとまった雪をもたらした。青森県酸ヶ湯では129センチの積雪を観測、今シーズン一番の記録となった。札幌市では最高気温がマイナス0.2度と3日連続の真冬日となった。北海道の朱鞠内では143センチの積雪を観測し、平年の約1.5倍の記録である。山形の肘折や大井沢では、1メートル以上の積雪を記録した。秋田市では24センチの積雪を観測し、平年の5倍以上となる積雪を記録した。新潟県妙高市では47センチの積雪を観測し平年の約1.8倍の記録である。太平洋側にも流れ込んだ雪雲は、仙台市で初めて積雪5センチを観測した。今年は19年ぶりに31個の台風が発生、台風と雪には大きな関係があるという。積乱雲が発生しやすい状態が続いていて、上昇気流の影響で偏西風が大陸付近で北へながれる関係で寒気が流れ込みやすくなる。北日本を中心に強い冬型の気圧配置が続くため引き続き大雪などに警戒が必要の模様>である。
北陸新幹線 長野県内で新型車両の走行試験始まる。2015年春に石川県金沢市まで伸びる北陸新幹線の開業を前に15日長野県内で新型車両E7系の走行試験がはじまった。

◆「サンデーモーニング」(2013年12月15日放送 8:00 - 9:54 TBS)より
(ニュース)
北朝鮮”ナンバー2” 張成沢氏 処刑
 朝鮮中央テレビは、張成沢氏が死刑判決をくだされ、即時執行されたことを伝えた。労働新聞は、軍事裁判の様子と、手錠をかけられた張氏の写真を掲載した。顔や手にあざのようなものがあり、韓国メディアは取り調べの際に殴られた可能性があると指摘した。死刑判決の理由について、北朝鮮側は「国家転覆陰謀行為があった」とし、朝鮮中央テレビでは張氏の主張として「経済が完全に破綻し、国家が崩壊直前になったら自分の息のかかった部署などを内閣に集中させ首相に就任しようと考えた」とのコメントを発表した。朝鮮中央テレビで張氏の処刑が報じられた日、平壌では市民が食い入るように新聞を読んでいた。労働新聞は14日、張氏の処刑報道後初めて金正恩第一書記の現地指導の様子を報じた。傍らには崔竜海軍総政治局長の姿が。これは政権安定アピールが狙いとみられるが、韓国の中央日報は、「恐怖政治は逆に金正恩体制が不安定であることを印象づけた」と報じた。また、韓国の柳吉在統一相も「粛清に伴う内部での混乱や不満に対応するため、韓国への挑発やミサイル発射、核実験に踏み切る可能性もある」との見方を示している。張成沢氏の処刑報道を受け、菅義偉官房長官は「関係各国と連携の中で冷静に情勢を注視し、情報収集に努める」とコメントした。また、張氏と関係が深かったとされる中国は沈黙を貫いており、中国外務省の洪磊報道官は「これは北朝鮮の内部事情であり、我々は隣国として北朝鮮の国家の安定、経済発展、人民生活の幸福を保つことを望む」と述べた。張成沢氏は金正恩第一書記の叔父であり、国防委員会副委員長、党政治局委員、党、中央軍事委員会委員など重要なポストを任されていた。また、張氏の側近の粛清も始まっている。辺真一は「張氏の影響力がいかにすごいかの表れ。金正恩体制にとって張氏の存在が脅威だったことと見せしめのため、世界から批判がくるとわかっていながら、やらざるを得なかった。しかし一番頼るべき叔父を切ってしまったことのつけは必ず回ってくる気がしてならない。ロイヤルファミリーから処刑したことを報道するのは、いかに深刻な事態かということの表れ」とコメントした。寺島実郎は「間違いなく北朝鮮情勢が新しい流動化に向かって動き始めた」と分析。涌井雅之は「中国のアジアの拡張主義のしわよせが北朝鮮にきているのでは」と指摘した。岸井成格は核実験やミサイル発射への懸念を述べた。
●特定秘密の報道 石破幹事長発言の波紋
 自民党石破茂幹事長が、特定秘密を正当に入手した場合でも、何らかの規制の必要があるとの考えを示した。しかしその後、漏洩した公務員は罰せられるが、報道した当事者は全く処罰の対象にならないと発言を訂正。しかし翌日ラジオ番組で「処罰の対象にならない、でも大勢の人が死にましたというとどうなるんだろうね」と疑問を投げかけた。これに対し、野党民主党大畠章宏幹事長は「国民の知る権利というものがどうなのか、非常に曖昧になって混乱をきたすのでは」と指摘した。さらに、特定秘密保護法に関して亀井静香衆院議員らが懸念の声をあげていた。特定秘密保護法が公布された13日、東京・永田町である会合が開かれた。参加したのは村山富市元首相、野中広務官房長官らが出席。会場では安倍政権を懸念する声があがった。亀井静香衆院議員は「これだけ国民が不安を持つような形でやった法律は放っておいたら機能しませんよ」と厳しく批判した。そんな中、安倍政権は今後10年間の外交・防衛政策をまとめ、武器三原則の見直しに触れたほか、「我が国と郷土を愛する心を養う」など愛国心も盛り込まれた国家安全保障戦略を新しい防衛大綱とともに17日(火)に閣議決定する方針。12日(木)に新宿区で開かれたシンポジウムでは、日本版NSC初代局長に就任予定の谷内正太郎内閣官房参与から「集団的自衛権の行使ができるような法的基盤を整備することが目的」とのコメントがあった。特定秘密保護法が13日(金)に公布され、日本版NSCが4日(水)に発足。武器三原則見直しなどが盛り込まれた国家安全保障戦略は新防衛大綱とともに閣議で承認される見通し。集団的自衛権については、谷内内閣官房参与から「行使可能にするような法的基盤を整備すべき」との発言があった。寺島実郎は「民主的な手続きを踏んだうえで、日本の民主主義は自殺に向かっているのでは。政治に対して睨み返す力を我々自身が持たなければとつくづく思う」とコメントした。大宅映子は「数の力で支配できるからこそ、丁寧に知らせなければいけない」とコメント。ハリス鈴木絵美は「政府に都合の良いことだけでなく、国民の知る権利を守る部分をバランスよく保って欲しい。ちゃんと第三者機関を作って欲しい」とコメント。岸井成格は「石破発言は特定秘密保護法に対する本音が出て、懸念が浮き彫りになっている。安倍内閣憲法改正を掲げている。集団的自衛権を武器三原則も年内にやりたかったが、秘密保護法の強行採決があったので年明けに先送りしている」とコメントした。
●集中審議で厳しい追求 猪瀬都知事 どう釈明?
 猪瀬直樹知事が徳洲会から5000万円の資金提供を受けたとする問題について行われた集中審議で、貸金庫を借りた時期についてこれまでの発言と食い違う発言が出てきた。民主党の小山有彦都議が「大金を見てびっくりして貸金庫に入れることになったのでは?」とこれまでの主張を受けて問うと猪瀬知事は「徳田毅氏から、明日5000万円お貸しするから取りにきてくれと言われているので、妻に貸金庫を借りておくように19日に言った」と答えた。また、5000万円を受け取ったあとそのまま帰宅したと説明していたが、公用車記録から、港区の事務所に立ち寄っていたことがわかった。進退に関してみんなの党の両角穣都議から問われると、「今それについて述べることはできません」と述べた。猪瀬知事と一緒に仕事をしたことのある大宅映子は「情けない。信頼を取り戻す方法がどうしても見つからないので取る方法はひとつ」とコメントした。辺真一は「こんなに歯切れの悪い猪瀬さんを見るのは初めて。お辞めになられたほうがいい」とコメント。岸井成格は「もう辞めざるを得ない。政界では猪瀬さんの辞任を前提にした選挙の準備が進んでいる」とコメント。16日、17日、24日に集中審議が行われ、曖昧な説明なら百条委員会の設置や不信任決議の提案などに踏み切る可能性も。
 *この二人の特徴は・・・「雄弁があだ、口の禍で脂汗」。脂汗や冷や汗を流しながら説明に四苦八苦する2人の政治家である。猪瀬知事は、「言葉の力」で、人を動かす言葉の必要性や重要性を述べていた。また石破幹事長は、自民党が野党時代に国会で原稿も見ずに当時の菅首相を80分も追及した武勇伝を持ち、まさに、2人の雄弁は武器である。猪瀬知事は、5000万円問題で説明が二転三転しているし、石破幹事長は、特定秘密保護法を巡り、ブログの記述を撤回し、また報道は抑制されるべきと発言し、直ちに訂正している。流れた朝は体内に戻らないと同様に、一度口にした言葉は取り消すことができない。まさに、「綸言(りんげん)汗のごとし」(〔漢書 劉向伝〕出た汗が再び体内に戻り入ることがないように,君主の言は一度発せられたら取り消し難いこと。」 という故事かもしれない。(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131214/p1
(風をよむ)・・・安倍内閣の支持率は大幅に下落
特定秘密保護法の成立を受けて、安倍内閣の支持率は大幅に下落した。野党への期待の声も聞かれる中、渡辺喜美代表のみんなの党から江田憲司前幹事長が離党し、分裂してしまった。野党の支持率は軒並み一桁で、国民の不満の受け皿とはとても言えない。なぜ強い野党がなくなってしまったのか。かつて土井たか子委員長らが所属した社会党は支持率で一時橋下龍太郎幹事長の自民党を上回ったこともあった。参院選でも議席を伸ばし、当時の社会党自民党の対抗勢力として存在感を発揮してきた。その後社会党にかわる強い野党となったのが民主党で、2009年には政権交代を果たした。しかし民主党政権は3年で終わり、現在の一強多弱の構造となった。東洋大学社会学部の薬師寺克行教授はその背景を「現在の野党は、自民党の補完政党と、騒ぐだけ騒いで消えていく政党の2つに分かれる。政策や理念もなく、とても政権交代できる政党になりえない」と指摘した。
 民主党にかわり自民党が政権に返り咲いた。自民党は6割を超える294議席を獲得したが、自民党の得票率は小選挙区では有権者全体の約25%にすぎず、必ずしも多いとは言えない得票数で衆院の圧倒的多数の議席を獲得した。2013年7月の参院選も同様だった。こうした状況を薬師寺教授は「圧倒的に自民党が有利な選挙状況。野党がバラバラでチェックして物申していく政党がなくかなり不安」と分析する。今後強い野党は生まれるのか。
 寺島実郎は「国家主義に傾斜し、対米依存を強めていこうとする自民党政治に対して、どういう新しい政策の基軸をもって向き合うのかという1点に尽きる」とコメントした。大宅映子は「社会党という明確な野党があったことで自民党とうまくやってきた。現在はすぐに分裂したりゆとりがないのがだめ」とコメント。ハリス鈴木絵美は「同じような顔ぶれで動いていて、自分と遠い感じがする」とコメント。涌井雅之は「民主党政権への虚脱感で自民党政権になり、未来の国のためにどうするんだという基軸の政党がでてこないと日本はますますだめになる」とコメント。辺真一は「自民党一党支配はよくない。健全な野党な存在なくして未来は明るくない」とコメントした。岸井成格は「最大の問題は選挙制度政権交代が起こりやすいように小選挙区制を導入したが、投票率が下がれば下がるほど巨大与党を作りやすいうえ与党の中で独裁体制ができる」と指摘した。

◆『1800人コックの頂点に立つ男 ロイヤルホスト 西田光洋』(2013年12月15日放送 21:54 - 22:48 テレビ東京ソロモン流 」より)
 マリリン・モンローが新婚旅行で日本を訪れた際に博多のレストラン「ザ・ロイヤル」が気に入ったという。そのザ・ロイヤルが発展したのが「ロイヤルホスト」。安さより質を求め、平均客単価は約1100円。ロイヤルホストは15年におよぶ業績悪化があった。専門家の山縣英起さんは、バブル崩壊後に低価格競争が起きロイヤルホストは苦しんだと解説した。しかし、矢崎精二社長は“コック至上主義”で就任後1年で業績を回復させた。そのコックたちの頂点に立つのが今回の賢人、統括料理長の西田光洋。ロイヤルホストの味の秘密を紹介。ロイヤルホストの厨房では4〜5人のコックが働いていて、通常のファミレスよりも厨房のコックの人数は多いという。ロイヤルホストでは、コックは担当制になっているという。1953年、福岡市に「ザ・ロイヤル」オープン。1970年には大阪万博にステーキハウスを出店。1971年に「ロイヤルホスト」1号店が北九州市にオープンさせ、創業者 江頭匡一さんの信念は「コック至上主義」。ロイヤルホストの平均客単価はここ3年で約80円アップさせていて、コック至上主義に立ち返ってファミレス業界の勝ち組に踊り出た。今年は特に伸び率が高くなっていて、来年以降どう維持していくかが本当の勝負と語った。
 ロイヤルホストの売上を左右するのがテーマを決めて行われる年4回のフェアで、統括料理長の西田光洋がどのように新作メニューを開発するのかに密着。今年の冬のフェアのテーマは、じゃがいも・たまねぎだという。1800人のコックの頂点に立つロイヤルホストの西田光洋に密着。西田光洋は、ほのかな甘みとやらかさが特徴のきたあかりを使った新メニューの研究をしていた。ロイヤルホストの西田光洋は、日本ではあまり馴染みのないアッシェパルマンティエの新作メニューの研究をしていた。ポテトが主役という新作メニューの社長試食会が行われた。ロイヤルホストの冬の新作試食会を取材。社長も、「洋食コース」絶賛した。西田光洋は、この日東京世田谷区にある玉川高島屋S・Cにやって来た。西田は試食したトートマンプラーを気に入り、試作室で同じ味の料理を試作した。西田光洋は、1964年に福岡県柳川市に生まれた。この日は兄夫婦を訪ね、ワタリガニ、クッゾコの煮付け、ワケの煮付けなどを堪能した。ロイヤルホストに入社後、西田は34歳で商品企画部に移り、41歳で統括料理長に就任した。「エッグベネディクトロイヤルホスト風〜」などヒット作を連発した。
 西田は、家庭で失敗しないステーキの焼き方と絶品ステーキソースを紹介した。塩コショウをしっかりし、高温のフライパンで焼く際は、表を8割、裏を2割焼くのがポイントだと話した。焼きあがった肉にアルミホイルをかぶせ、肉を休ませることでジューシーな肉に仕上がる。西田が、絶品ステーキソースの作り方を紹介。タマネギをバターで炒め、しんなりしたところで塩を少々入れるとうま味が引き出せる。タマネギに軽く色がついたところで水を入れ、赤ワイン、砂糖、コンソメを入れ、煮詰める。その後、塩こしょうで味を整えて完成。船越は、西田が作った絶品ステーキを堪能した。
 西田は、ロイヤルホストの新メニューのポテトと並ぶ目玉に、北海道の新種タマネギである「さらさらレッド」を思いついた。西田は、船橋市のハッコー食品のピザ生地の工場を訪ねた。癖がなくなめらかなチーズ「フロマージュブラン」やベーコンなどを生地にのせ焼いたメニュー名はタルトフランベ。これはフランス・アルザス地方の料理で、ピザより炭水化物が少なくヘルシーという。特注の生地はパリっと焼きあがり西田光洋はゴーサイン、試食会にて社長には好評だった。今回目をつけた赤玉ねぎは北海道夕張郡の15軒の農家でしか作られておらず、メニューの全国展開には生産量確保が重要となってくる。農地をチェックした社長からは許可がおり、西田は早速セントラルキッチンの東京食品工場にて冬フェアに使われるソースのレシピを確認、全国の料理長を東京に集め新作メニューの作り方を指示し、「たまねぎとじゃがいもの洋食コース」のほか、冬フェアのメニューとして「さらさらレッドのタルトフランベ」「エンジョイ!タコスボード」も出来上がった。
 12月10日、全国のロイヤルホストで冬のフェアが開催された。賢人が試行錯誤の末に自信作は、上々の人気を集めていた。全国1800人の料理人を大胆な発想で引っ張る賢人・西田光洋のモットーは、一つ一つを着実に。西田光洋は、今回のフェアでの1つの事例ができたことで自分たちが感じたものをきちっと表現していければ結果も出てくるのではと語った。

◆「日本プロレスの父」と呼ばれ、日本の戦後復興の象徴だった力道山(本名・百田光浩さん)が、非業の死を遂げてから15日で50年となる。16日には東京・後楽園ホールで追悼記念興行が催され、孫の百田力さがプロレスデビューする予定だ。力道山は大相撲の力士として、関脇まで昇進した。1950年に角界を去った後、渡米してプロレス修行。帰国後、必殺「空手チョップ」を武器にプロレスブームを巻き起こした。54年には世界タッグ王者のシャープ兄弟と対戦。柔道家木村政彦との決戦を制して伝説になった。

(12月15日生まれの偉人)
◆田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の政治家。日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名。衆議院議員選挙に当選6回。
 ・NPO法人足尾鉱毒事件田中正造記念館 http://www.cnet-ga.ne.jp/syozou/
  旧渡瀬保育園の空き室を改装して2006年10月1日に開館した。40平方メートルの小さい施設だが、当時の写真や資料によって足尾鉱毒事件や田中正造について学ぶことができる。ま た今まで出版された関係図書が整備されている。
◆尾山 篤二郎(おやま とくじろう、1889年12月15日 - 1963年6月23日)は、日本の国文学者、歌人。42年上京,前田夕暮http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130727/p1),若山牧水http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130824/p1)らを知る。大正2年歌集「さすらひ」を出版。6年松村英一と「短歌雑誌」の編集に参加。昭和13年「芸林」を創刊。古典研究にもすぐれ,歌集「とふのすがごも」「大伴家持の研究」などの業績により26年芸術院賞をうけた。
いわさきちひろ(本名松本知弘(まつもと・ちひろ、旧姓岩崎)1918年12月15日 - 1974年8月8日)は、こどもの水彩画に代表される福井県武生市(現在の越前市)生まれの日本の画家・絵本作家である。左利き。 つねに「子どもの幸せと平和」をテーマとした。
 ・ちひろ美術館東京 http://www.chihiro.jp/tokyo/
 ・安曇野いわさきちひろ美術館 http://www.chihiro.jp/azumino/

<今日のトラックバックhttp://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130613/p1
            http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130928/p1

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121215/p1