天皇陛下 80歳の誕生日

天皇陛下はきょう、80歳の誕生日を迎えられた。皇居では一般参賀が行われ、天皇陛下は皇后さまらとともに宮殿のベランダに立ち、訪れた人たちに応えられた。一般の人たちの記帳も受け付けられ、きょう1日で約2万9000人がお祝いに訪れたそうだ。
 天皇陛下は誕生日の前に会見に臨まれ、これまでの80年を振り返った。天皇陛下は先の戦争が最も印象に残っているとお話になった。陛下は戦争が続く中で幼少期を過ごし、11歳で終戦を迎えられ、一貫して先の大戦と向き合われてきた。戦後50年の平成7年には慰霊の旅に出かけ、戦後60年には太平洋の激戦地・サイパンを訪問され、追い詰められた日本人が身を投げた崖に足を運ばれた。天皇陛下に10年余りにわたって仕えた前侍従長の渡辺允さんが取材に応じ、「戦争で大事な人を亡くした遺族の人たちが幸せでいてくれるようにというお気持ちで、その人たちを一生懸命慰める・励ますことをいろいろな形でなさってきたと思う」と話した。陛下はきょうの会見でほかにも、戦後の復興に力を尽くした人たちへの感謝の気持ちなども述べられた。
天皇陛下が80歳を迎えられるのにあたり、宮内庁はこれまで公開しなかった新嘗祭など宮中祭祀や公務の映像を初めて公開した。他にも、 皇后さまらご家族と一緒に稲や粟を収穫される様子なども公開されている。天皇陛下は会見で、「天皇という立場は孤独とも思えるのですが、結婚により私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」と、皇后さまへのお気持ちも述べられた。
 大きな災害が相次ぐ平成の時代。天皇陛下は現地に出向き、被害を受けた人たちを励まされてきた。誕生日の前に行われた会見では東日本大震災についても述べられ、一般参賀の際には被災者や国民に向けて、「復興がいまだその途上にある中で、ことしは大きな台風が大島を襲い、少なからぬ地方が風水害の被害に苦しみました。私共はこれからも被災者のことを思いつつ、国民皆の幸せを願って過ごしていくつもりです」とお話になられた。

(今日の出来事)
・女性初の三段に。女性初の将棋プロ棋士を目指している里見香奈さんが、今日大阪・関西将棋会館で行われた将棋の対局で勝利し、女性で初めての三段に昇段した。四段からがプロ棋士と呼ばれ、現役のプロは竜王の森内や三冠の羽生、二冠の渡辺などタイトル獲得を目指し勝負している。里見さんは現在、6つの女流タイトルのうち女王・女流王座・女流名人の三冠を保持している。里見さんは今後、三段リーグ2位以内などで女性初のプロ棋士となるが、26歳までに四段になれないと原則奨励会は退会しなければならず、これからも厳しい道のりが待っている。
陸自の銃弾 国連通じ韓国軍に提供へ。南スーダンでは、首都ジュバでキール大統領を支持する部隊とマシャール前副大統領を支持する部隊との戦闘が続いている。ジョングレイ州でが国連施設が襲撃されPKO部隊の兵士など十数人が死亡するなどしている。南スーダンにはUNMISS「国連南スーダン派遣団」が展開され、日本を含むおよそ60か国が参加しているが、このうち韓国軍から日本政府と国連に対し、小銃用の5.56ミリ弾を提供してほしいとの要請があった。韓国国防省によると、非常事態に備える必要があり補充を決めたという。要請を受け安倍首相や小野寺防衛相ら国家安全保障会議の閣僚らが首相官邸で対応を協議し、PKO部隊の中で同型の銃弾保有陸上自衛隊だけであり、提供しなければ避難民の防護などに支障が出ることから自衛隊が所有する銃弾を国連を通じて韓国軍に提供する方針を決定した。PKO協力法に基づいて国連に武器が提供されるのは初めて。政府は今回の措置について、武器輸出三原則の例外措置として実施したなどとする菅官房長官の談話を発表することにしている。PKO協力法の物資協力に基づく国連への物資提供はこれまでも成田空港から、毛布やテントなどの提供が行われていたが、武器輸出三原則の関係から武器や弾薬を提供したことはない。政府は過去に国会でPKO協力法に関連して武器。弾薬の提供は含めないとの見解を示し、仮にあったとしても断るなどと答弁している。
 →** 武器輸出三原則がなし崩しになるおそれもある。

(12月23日生まれの偉人)
◆安倍 能成(あべ よししげ、1883年(明治16年)12月23日 - 1966年(昭和41年)6月7日))は、日本の哲学者、教育者、政治家。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣を歴任。貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長。学習院院長。
 松山市に生まれ,一高を経て1909年東大哲学科を卒業。1906年東京帝国大学1年生時に、友人が夏目漱石の元を訪問するのに同行して以来、漱石を深く尊敬師事し、後年には小宮豊隆森田草平・阿部次郎(鈴木三重吉とする説もある)と並んで「漱石門下の四天王」と称された。鈴木三重吉寺田寅彦との出会いも、漱石を通じてのものであった。漱石修善寺の大患(1910年)に陥った時、安倍たちが駆けつけると、来たからには「あんばいよくなる」と言われたとの挿話があった。帝国大学卒業後、自然主義の文芸評論を手がける一方、慶應義塾大学、一高の各講師、法政大学教授を歴任し1924年大正13年)にはヨーロッパ留学をしている。帰国後、京城帝国大学教授となり、朝鮮の文化を詳細に検討し、日本人の朝鮮蔑視感情を諌めている。1940年(昭和15年)に、母校一高校長となり名校長と謳われた。その一方で軍部が進める高等学校の年限短縮に反対したり、近衛文麿に早期和平の進言をしたために、憲兵隊から監視対象になったとされている。
 在学中から漱石門に出入りし文芸批評も書くが,カントを専攻し《カントの実践哲学》(1924)などを著し,岩波版《哲学叢書》の編集に当たる。京城帝国大学などを経て40年一高校長に就任,敗戦をむかえた。リベラリスト安倍には,敗戦直後めざましい活躍の場が与えられ,46年には,文部大臣,貴族院議員(憲法改正特別委員会委員長),帝室(後に国立)博物館館長,国語調査会会長,教育刷新委員会委員長の要職についた。
◆藤田 たき(ふじた たき、1898年12月23日 - 1993年1月4日)は、大正−平成期の婦人運動家・教育者。昭和3年市川房枝とであい,婦人参政権運動に参加。26年労働省婦人少年局長。37年津田塾大学長。50年メキシコでひらかれた国際婦人年世界会議の日本首席代表。男女雇用機会均等法の制定につくす。平成5年1月4日死去。94歳。愛知県出身。女子英学塾(現津田塾大)卒,ブリンマー大卒。著作に「わが道―こころの出会」。

<本の紹介>『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』(ムーギー・キム)http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E5%83%8D%E3%81%8D%E6%96%B9%E3%82%921%E5%86%8A%E3%81%AB%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%81%9F-%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AF%E8%A6%8B%E3%81%9F-%E6%8A%95%E8%B3%87%E9%8A%80%E8%A1%8C%E3%80%81%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%80%81%E8%B3%87%E7%94%A3%E9%81%8B%E7%94%A8%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%80%81%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%80%81MBA%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%82%93%E3%81%A015%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%AE%E6%A5%B5%E6%84%8F%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F/dp/4492045171
 ・本の内容 世界中のエリートから学んだ仕事術を完全体系化したもの。どの仕事も本質は同じ、だからすぐに役に立つかも。この著者の経歴は少し変わっていた。ただ、ゴールドマンサックス出身というだけでなく香港のプライベートエクイティの世界にも身を投じている。学歴はハーバードMBAスタンフォードMBAは基本で、その中でもDistinction(成績上位10%の学生に与えられる評価)をとっている人が周りにゴロゴロいる。
 働き方が、半端でない。「20代後半から、30代前半までは週1で休みを取り、基本的には3〜4時間睡眠で過ごすのだそうである。また、部下に仕事を任せるポジションについた30代中盤からは、深夜12時に帰れてラッキーという価値観になっていくのだそうです。自分が勤めている会社は、遅くても21時までには上がれることが出来る。このレベルのエリートが仕事にこれだけの時間を割いて、努力しているという現実に驚きを隠せない。どうせ誰かがやらなければならない仕事だから、自分がさっさと終わらせる。という学校でみんながさぼりがちな掃除当番をてきぱきこなすタイプが結局のところ出世する。細かいところにまで目が行き届き、それをより良くすることができる。あらゆる物事を、一つ一つ細部まで見れないということは、直すべき細かい点に気付かず遠い目で見て、気付いている人間に差をつけられてしまっているということである。」(http://toyokeizai.net/articles/-/26616)(http://toyokeizai.net/category/global-money
 ★世界のトップエリートの7つの共通点
 1.勝つことへの意欲が強く、完璧主義者で細部にまでこだわりが強い
 2.お金に驚くほど細かい
 3.大金持ちでも、身なりは質素
 4.信頼と評判を第一に大切にする
 5.若手時代は目の前の仕事に全力投球
 6.仲間内で「最強のチーム」をつくる
 7.「おやじころがし」がうまい
 ★15の仕事の極意――トップからも二流からも学ぶことはある
 1.目の前の仕事は素早く、正確に、大量にこなす
 2.6つのコツで部下の尊敬と支持を得る
 3.需要のある話題を先読みし、第一人者になる
 4.どうせなら好条件で解雇される「被・解雇力」を磨く
 5.人に好かれる「聞く力」で信頼と共感を得る
 6.問題を構造的に把握し、根本的に解決する
 7.相手の期待値をうまくコントロールする
 8.優秀な部下には上手に追い抜かされる
 9.大局を読み、少しでもいいから勝ちつづける
 10.常識にとらわれず、知的に逆張りする
 11.自分の間違いを認める勇気をもつ
 12.チヤホヤされても裸の王様にならない
 13.「バカ正直」と「透明性」で相手の信頼を勝ち取る
 14.3つのポイントで「最強のチーム」をつくる
 15.幅広い人脈と経験を組み合わせて一流に勝つ

<昨年の今日> http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20121223/p1