原稿作成本格化。都知事選も本格化。

◆昨日から、仕事も本格化。今週はあわただしそう。特に講演原稿と出筆原稿を今週中に大半終わらせるために、昨夜から自宅のパソコンに向かう。遅くとも今月半ばまでには完了せねば。

◆昨年までの偉人シリーズに代わって何をテーマにするのかが整理できていない。偉人を更に深めるために人物資料館の紹介を行おうと考えているが、どのような方法がよいのかが検討中。早く検討しなければなるまい。とりあえず、今回は旧白洲邸武相荘(ぶあいそう)を取り上げてみた。
<人物記念館の紹介>
・旧白洲邸武相荘 http://www.buaiso.com/
 ①旧白洲邸武相荘オープンにあたって
  父・白洲次郎は、昭和十八年(1943)に鶴川に引越して来ました当時より、すまいに「武相荘」と名付け悦にいっておりました。武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因ん  で、また彼独特の一捻りしたいという気持から無愛想をかけて名づけたようです。近衛内閣の司法大臣をつとめられた風見章氏に「武相荘」と書いて頂き額装して居間に掛けておりま した。私は両親を親としてしか見た事がなく、同じ様に私が育ち、両親が人生の大半を過した現在の茅葺き屋根の家に対しても、ただ家という認識しかありませんでした。ふと気が付 くと近隣は大きく様変りしていました。暗くなるまで遊んだ小川、真赤に夕焼けした空にたなびくけむり、あちこちに、ひっそりと咲いていた野花の数々など、すべて姿を消していま した。また点在していた茅葺き屋根の家々もほとんどみることがなくなりました。同時に私の両親の様な人々も消え去っていきました。ただそのものとして見ていた茅葺き屋根の家や 両親の様な人々が既にあまり残っていないのではないかと思うようになりました。六十年近く一度も引越しもせず、幸か不幸か生来のよりよくする以外現状を変えたくない、前だけ見 て暮したいという母親の性格のせいか武相荘は、それを取りまく環境を含めほとんど変っておりません。このたび色々な方々の御力添えによって、過ぎ去っていった時代を皆様にも偲 んで頂きたく、旧白洲邸武相荘をオープン(2001年10月)致しました。  牧山桂子
 ②住  所   〒195-0053 東京都町田市能ヶ谷7丁目3番2号
 ③開館時間   10時〜17時(入館は16時半まで)
 ④休 館 日   月曜日・火曜日(祝日・振替休日は開館)夏季・冬季休館あり
 ⑤交通アクセス  ・徒歩 小田急小田原線 鶴川駅 北口下車、徒歩15分
          ・バス 鶴川駅より2番乗り場13番系統バスにて
             「平和台入口」下車、徒歩1分
             4番乗り場26番系統バスにて
             「平和台入口」下車、徒歩1分

<今日の出来事>
・外交・安保の”司令塔”が発足。安倍政権が外交・安保の司令塔と位置づけるNSC国家安全保障会議)の事務局が発足した。初代局長には谷内正太郎元外務次官が就任、外務・防衛・警察の3省庁から67人が参加。
・舛添氏、都知事選出馬へ自民と調整。厚生労働相を務めた舛添要一参院議員(65)が東京都知事選(1月23日告示、2月9日投開票)へ出馬する方向で自民党側と調整に入ったことが7日分かった。関係者が明らかにした。党東京都連は同日夜に幹部会合を開き、舛添氏と政策協議に入る方針を固めた。ただ党内には、かつて舛添氏を除名した経緯から異論もくすぶっており、政策協議が難航する可能性がある。舛添氏は7日、都内で記者団に「(出馬は)白紙だが政策の検討は始めている。さまざまな状況を見極め慎重に判断する」と述べた。同日付の自身のホームページで「日本政治を刷新する政治モデルを東京で試みることが必要だ」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37996)と強調し、東京のインフラ整備や防災対策を提唱した。自民党都連は8日も会合を開き、知事選対応を詰める。民主党内にも舛添氏を推す声がある。舛添氏は東大助教授などを務めた後、1999年の都知事選に無所属で出馬し落選。自民党比例代表候補として2001年の参院選で初当選した。第1次安倍内閣などで厚労相を歴任したが、10年に離党届を提出して新党改革を結成し、自民党を除名された。昨年7月の参院選には出馬しなかった。都知事選をめぐっては共産党社民党が推薦する前日弁連会長の宇都宮健児氏(67)が立候補を決めているほか、無所属の元航空幕僚長田母神俊雄氏(65)が7日に出馬を表明した。


<今日のトラックバックhttp://d.hatena.ne.jp/ks9215/20131129/p1

<昨年の今日>http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130107/p1 そういえば、昨日のクローズアップ現代も「2枚目の名刺」として物作りに取り組む若者を取り上げていた。
◆『未来をひらく1 組織を越えた変革“二枚目の名刺”のすすめ』(2014年1月6日放送 19:30 - 19:58 NHK総合クローズアップ現代 」より)
 アメリカ・サンフランシスコで街ゆく人の注目を浴びる乗り物、開発したのは日本人だった。世界的な技術コンテストで高い評価を受けたハイテク義手。違う会社に務める若いエンジニアが集まって製作したことが大きなカギだった。先月行われた技術コンテストで第2位に選ばれた筋電義手を製作したのは日本の若手技術者3人。職場とは別に”2枚目の名刺”を持つスタイルがこれまでにないモノづくりを実現している。技術者の1人の近藤さんは昼間は大手電気メーカーに勤め午後9時に帰宅、義手の開発は会社から帰宅した夜始まり、打ち合わせはビデオチャットで行う。大企業でなくても高性能の義手を作れたのは大企業の技術が個人でも手軽に使えるようになったことが大きい。近藤さんは「会社ではビジネス的な術を学び、2枚目の名刺で自分の造りたいものを作る、10年以内には起業したい」と話す。
 先月行われた2枚目の名刺を持った人が集まるパーティーでは色々なアイデアが披露された。アメリカ・サンフランシスコで日本の技術者が集まって製作した車いす。開発会社のCEO杉江さんは興味本位で車いすを製作するも自分の勤めていた会社でビジネスにする手立てがなく、1年前会社をやめ渡米、175万ドルの投資を得て企業した。箭内道彦さんは2枚目の名刺はライフワークだと思う、楽しんでいることが脅威だと思うと話した。米倉誠一郎さんは本来1枚目の名刺でやりたいことが世界中でできていない、社内ベンチャーもいいのではないかと話した。
 静岡にある子ども専門の歯科医院。虫歯の予防に重点を置いた新しい会社で、大手の広告会社と地元の歯科医が手を組んで生まれた。ある大手広告会社は社内ベンチャー制度を作りあえて会社にしばりつけないことで新規事業の開拓につなげるチャンスをつくっている。スタートから4年がたち既に9つの会社が新しく誕生している。箭内道彦さんは番組で紹介した大手広告会社からベンチャー制度を使い独立。失敗したら戻ってこれる制度は良いと思うと話した。米倉誠一郎さんは社内ベンチャーは会社がベンチャーキャピタルになると思えば良いこと、大手会社において最大の資源は人なのでどんどん外に出していったほうが有効利用になると話した。