震災から3年、鎮魂願い教訓継承 26万人避難生活、再生険しく

東日本大震災から3年目を迎えた。死者・行方不明者が1万8千人を超え、未曽有の災害となった東日本大震災は11日、発生から3年を迎えた。行方不明者は2633人に上り、大津波に襲われた沿岸部で集中捜索を実施。列島各地は鎮魂の祈りをささげ、被害や教訓の継承を誓う1日となった。公的な住宅再建の遅れなどで、約26万7千人が全都道府県で避難生活を送る。東京電力福島第1原発事故は汚染水問題に揺れ、収束は見えない。当初5年の「集中復興期間」は半ばを過ぎたが、再生への道はなお険しい。警察庁によると、10日現在の死者は1万5884人。避難を苦にした自殺など「震災関連死」を合わせた犠牲者は2万人を超えた。
 人間はおそらく2つの時間の中で生きている。どんどん流れて先へ先へと進む「時」。アベノミクスに象徴される株式市場では100万分の1秒の単位で、何兆円ものカネが利益を競い合う。遅れれば負けのゲームである。秒針に背中を押されて、人は僅かな変化にも新しい価値を探そうとする。
 また、卒業写真のごとく古い一枚の写真のように、止まった「時」の価値もある。「記憶」と言い換えられよう。何年たっても変わらない。忘れられない。そして、忘れてはいけないのが、2011年3月11日の14時46分が、その時だった。あれから3年が流れた。復興で生まれ変わった景色もある。傷ついたまま変わらない心の中の情景もある。
 「時よ止まれ、おまえは美しい」。文豪ゲーテの戯曲「ファウスト」で、理想国家の建設を夢見る老学者が思わず口にする言葉である。3.11の惨事が起きる瞬間。その直前までの美しい姿のまま、被災地の時が止まっていれば、あのままでいてくれたら、願う。早く過去と決別し、未来に進みたいという声もある。記憶の風化を恐れる声もある。そのどちらも大切にしたい。2つの「時」の価値を行き来しながら生きる能力を、たぶん私たち人間はみな備えている。ゲーテの言葉ではないが、「毎日を生きよ。」そして、自分も4月から新たな人生を歩みだす。まさにゼロからのスタートである。

◆日経社説(2014/3/11)専門超える知を集め想定外なくせ(大震災3年 日本は変われるか)
 東日本大震災で甚大な被害をもたらした大津波原子力発電所の事故。警告する専門家はいたが、学界や行政、電力会社が受け止めず「想定外」にしてしまった。震災後、巨大地震の被害想定が見直され、原発の安全対策が強化された。だが大津波や、原発が電源を失う事故など「起きたこと」の再発防止策にとどまる。科学者や行政が専門の垣根を越え、何が想定外かを絶えず洗い出し、危機に強い社会を築きたい。
 地震対策では、西日本の太平洋沿岸で起きる南海トラフ巨大地震について、国が死者最大32万人、被害額220兆円超との想定をまとめた。津波避難タワーの整備や学校の高台移転などにかかる費用を国が助成する特別措置法もつくられ、対策が動き出した。最悪を想定し、防災の出発点にする」という発想自体は正しいだろう。だが巨大な地震津波だけが「最悪」とは限らない。南海トラフ地震は起こり方によっては予期せぬ大被害が生じる、と警鐘を鳴らす研究者がいる。ひとつが紀伊半島沖と四国沖の震源が時をおいて別々に動く「時間差発生」だ。ともに死者1千人を超えた1944年の東南海地震から46年の南海地震まで2年あった。安政期の南海地震も同時ではなく東海地震の32時間後だった。同じことがまた起きれば、どうなるか。最初の地震が起きた後、次の地震がいつになるかは、いまの地震学では予測できない。住民は避難所から戻れず、交通機関の停止や店舗の休業が続き、社会や経済がマヒする恐れがある。列島の災害史をひもとけば、大地震が火山噴火や洪水と重なったことも珍しくない。地震のときに避難所になる体育館が火山灰で崩れる心配はないか。新幹線の降灰対策は万全か。首都直下地震が複合災害になれば、政府が示した「死者最大2万3千人」の想定を超えると心配する専門家は多い。想定外をなくすとは、こうした課題を丹念に洗い出すことだ。これまでの防災は地震学など限られた分野の専門家が担ってきた。防災は地域経済や災害心理などに深くかかわる。幅広い分野の知を集めなければならない。原発の安全強化も道半ばだ。原子力規制委員会が定めた新しい規制基準は津波のほか火災やテロ、航空機の墜落も想定した。第2制御室や排気設備などを電力会社に義務づけ、再稼働の可否を判断する基準としては妥当だろう。ただ設備面の対策など各論が先行し、めざすべき安全目標がみえない。福島原発事故では多くの住民がいまなお帰宅できず、放射能の健康への影響をめぐり不安も強い。住民の生命や健康を守るため、被曝(ひばく)リスクの低減などを盛り込んだ目標が必要だ。そこでは他の分野の専門家や地元自治体、住民もまじえて幅広い議論が欠かせない。英国やフランスのように、原発ごとに利害関係者が集まり、安全対策を点検する仕組みが日本にもあってよい。

◆「ウクライナ問題とアベノミクス」について、寺島実郎さんは語る。
①「ウクライナ問題」
 ・屋根の上のバイオリン弾きウクライナユダヤ人差別を扱ったミュージカル。
 ・キエフ工科大学:原子力工学、宇宙科学。ユダヤ人が多い。アメリカには100万人のウクライナユダヤ人。
 ・ウクライナと日本。極東の600万人のロシア人の半分はウクライナがオリジン。北海道と極東ロシアは双子。
 ・1860年ウラジオストック
 ・1917年:ロシア革命白系ロシア人(王党派)をシベリア送り。スタルヒン大鵬の父。
 ・ヒットラーソ連侵攻:ウクライナヒットラーに与し、シベリア送り。
 ・関東軍ウクライナ独立。芦田均キエフ総領事館に勤務。
 ・ヤヌコビッチの復権はない。
 ・クリミヤ半島:ロシアがトルコから奪った。フルシチョフウクライナにくっつけた。今後、ウクライナからの分離独立か、ロシア併合になるだろ    う。
 ・ウクライナEU加盟の流れになると、ロシアの軍港租借権が解消される恐れがある。軍港は革新的利益でありロシアは死守するだろう。レジティマシー(正統性)については、ロシアはアメリカがやったコソボ方式(ユーゴスラビアから分断)と同じと主張。アメリカがどう動くかを瀬踏みしている。今後日 本のプリンシプルの無さがあぶり出されてくるだろう。外交的試練に直面するだろう、エネルギー:ロシから1割以上輸入。あと5,6年で原油LNGは2 割になる。クリミアでアメリカは軍事行動は起こせない、余力はない。G7で結束、経済制裁輸入禁止などの流れになる。日本はG7をとるか、ロシアを 取るかの踏み絵を踏まされる。
 ・集団的自衛権:古い議論。NATOも各国の主体的判断の流れ。日本は戦後秩序、東京裁判を否定くるのではなかいという疑念。解釈改憲による集団的自衛 権でウクライナと軍事衝突になる危険性がでてくる。ロシアが通信基地・三沢を襲うシナリオも。日本のイスラエル化。アジアのメタニエフ・安倍。
 中国はアメリカがどこまで動くのかを見ている。2月10日の在日米軍司令官のインタビュー「直接の軍事介入はしない。対話を促したい」。
②「アベノミクス
 ・外国人投資家の買い越しで株が上がっているという構図。2・28現在で、外人投資家は15.8兆円の買い越し。日本人機関投資家5.5兆円、個人8.4兆円 の売り越し。危うい状況。
 ・世界の金融構造:新興国BRICSは低調。アメリカは経済がいい。化石燃料ファクター(貿易黒字)。IT革命のフェーズ2(クラウドビッグデータ)。 2014年は3%を超える成長率に。失業率も6.6%へ。すると金利が上昇し、アメリカへ金が回ることになる。
 ・日本:よほどの第3の矢がなければ株高幻想に終わる。日本マネー投入の誘惑。GPIF(年金)11%の上限を少しづつ上げてきている。
 ・実体経済と株価との乖離。まともな資本主義なのかという意識が欠如。まさに、出口戦略が欠けている。
 ・輸入インフレ。輸出は増えない。貿易収支・経常収支の赤字。
 ・脱工業生産モデル。観光立国論。IR(統合型リゾート)。医療、教育、カジノ(6月)、コンベンション。付加価値をそうつけるか。ビジョン計画か   ら、実行計画へ。
 ・何をやるか。プロジェクトを明確にすべきだ。
 ・貧相なリベラル(自己満足。市民運動。政策科学生しからゴージャスなリベラル(力強く強靭)へ。都市中間層が共感するリベラル。経済、知的。政策 科学。非核のための原子力。技術基盤。リベラルとは近代に真正面から向き合うこと。科学技術とデモクラシー。

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◆14時46分黙祷。午前中打合せ。夕方送別会に参加。

佐賀市大隈記念館 http://www.okuma-museum.jp/
 2月15日より3月23日まで大隈記念館企画展、大隈家の女性たち 〜女子教育に注いだ熱き思い〜が開催されている。大隈12際の頃から母三井子に、女手ひとつで大隈を立派に育てられ、大隈は母の慈愛に心から感謝し、孝行の気持ちを決して忘れなかったようである。大隈は早稲田大学創設だけでなく、他の教育機関に対しても援助を惜しみませんでした。なかでも女子教育には非常に熱心で、その必要性を痛感し、社会の各方面で女性が能力を発揮すべきであると考えていた。今回の展示にあわせ、大隈重信旧宅(生家)の一般公開されている。生家2階には大隈重信侯の幼少時代に勉強していた部屋が残っている。

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