沖縄復帰記念日。そして福田蘭童(吉川英治記念館学芸員日誌)生誕の日。財団法人市川房枝記念会。伊丹十三記念館。

◆沖縄復帰記念日。1971年6月17日に宇宙中継によって東京とワシントンで結ばれた「沖縄返還協定」が1972年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生した。日本政府側は「本土並み」の復帰を目指したが、実際には30以上の米軍基地や弾薬庫、演習場等が残され、その面積は全県の12%にも上った。基地問題は今でも大きな問題となっている。

◆今日は福田蘭童の誕生日だそうです。福田蘭童は、夭折の天才画家・青木繁の息子であり、元クレージーキャッツ石橋エータローの父として知られる尺八奏者・作曲家です。作曲家としてはラジオドラマ『笛吹童子』や『紅孔雀』が有名ですが、昭和36年12月からラジオ関東(現ラジオ日本)で放送された徳川夢声の朗読『宮本武蔵』(もちろん吉川英治原作)の音楽を担当したのも福田蘭童です。
 きっかけは判然としませんが、昭和10年代から吉川英治とは親交があり、よく吉川家に出入りしていました。こんなエピソードが残っています。
昭和17年のこと。
英治の長男・英明の五月の節句に、それを祝うオカシラがないと英治が蘭童にぼやきました。
前年から生鮮魚介類の配給統制が始まっていたので、よい魚が手に入らなかったようです。
釣り好きで、その方面の著書ももっている蘭童が、じゃあ僕が釣って来ましょうと請け負いました。
蘭童は湯河原にある自宅に戻ると、船を手配して、熱海の沖合いで見事なタイを釣り上げます。
節句の日、それを吉川邸に持参しました。
実に三貫目もある大きなタイで、さばいたところ40人分の刺身が取れたといいます。
 これは福田蘭童が吉川英治全集月報に書いた文章を元にしていますが、そこに掲載された写真には、その時のタイの魚拓(あまり大物だったので、記念に魚拓を取った)を背にした蘭童の姿が写っています。福田蘭童によると、その夜、少し普段より酒が過ぎた英治が、魚拓の余白に 神代今 人に見劣る桜哉 と筆を入れたそうです。
写真でもその文字が確認できます。 戦争は苛烈となり、軍人が桜の花のように散っていったころのことである。 と、蘭童は書いています。

井伏鱒二より伝授される。福田蘭童開発 鮎餌釣技法(茅ヶ崎市 開高健記念館「開高健の釣魚大全」http://kaiko.jp/kinenkan/exh2006-fish/01.html
 秘技として我等にその技を伝授した 然るに我等の釣技一向に進歩せず 心境も後退して何等名教の見るべきところもない 蘭童の厚情を無にするに近い 依って釣技日進月歩の境地にある開高健に蘭童開発の技を秘かに囁きたい 幸ひ君の竿頭須らく童心宿るべしと念ずる次第である。
 昭和四十八年十月吉日                                          釣師 井伏鱒二 印

◆財団法人市川房枝記念会 http://www.ichikawa-fusae.or.jp/
 (財)市川房枝記念会女性と政治センター(Fusae Ichikawa Center for Women and Governance)は、創設者市川房枝の信念と実績を踏まえて、女性が民主的ガバナンスの積極的な担い手となるために、政治的エンパワーメントの総合的な資源となって、国内および国際社会との連携の日本の拠点となることを目指している。
 ・長い歴史のある婦選会館の2階に記念室がある。入ってすぐに偉大な社会運動家であった1893年明治26年)生まれの市川房江の写真とともに、言葉が飾ってあった。そこには「運動は事務の堆積である」という簡潔だが、重い言葉が記してあった。長い長い時間をずっと社会改革の運動に捧げた、類のない型の女性闘士市川房枝ならではの言葉だと感銘を受けた。
 市川房枝の印象に残る言葉をあげてみる。
 「平和なくして平等なく、平等なくして平和なし」
 「権利の上に眠るな」
 「婦選は鍵なり」
 明治44年9月にその後の市川の運命を変える女性・平塚らいてうhttp://d.hatena.ne.jp/ks9215/20140210/p1#tb http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130210/p1)に会う。「原始、女性は太陽であった」という言葉を発した平塚との初対面の印象を市川房江は「物静かな美人で、この人が『新しい女』なのかとびっくりしたのでした」と記している。 1953年の初当選は、理想選挙を掲げ、東京地方区から出馬し、二位に入った。1974年には全国区で二位、最後の1980年には一位で当選している。1974年は、一位がNHKアナウンサーの宮田輝、三位が青島幸男だった。市川は宮田輝に票数で負けたのを悔しがる。青島は当選後、二院クラブで市川の薫陶を受ける。1980年の選挙では、278万票で一位。1953年から1981年まで、途中一回の落選はあったものの、参議院議員生活は20年以上に及んでいる。鳩山一郎石橋湛山岸信介池田勇人佐藤栄作田中角栄三木武夫福田赳夫大平正芳鈴木善幸と、10代の総理の時代を国会で過ごしていることになる。1981年2月11日、87歳で死去。ひび割れた深い皺が、年輪と歴史を感じさせる。若い頃から幾多の戦いを経て、だんだん顔をよくなってきているような印象がある。健康法は「よく眠る・冷水摩擦・ラジオ体操」。
市川房枝を語る人々の声で、その人柄をしのぶ。
 青島幸男  「私は憤慨しとるんですよ」が口グセ――「憤慨ばあさん」と呼んでいた。
 金森トシエ  「私の顔って、本当にあんなにしわが多いんだろうか」とおっしゃった。
 青地しん  徳島ラジオ商殺しの被告・富士茂子さんのえん罪を晴らす運動の時に、市川さんは名前を出した以上、やるだけのことはちゃんとやる」「会の事務をきちんとやり、そ の経理については一円単位まで明細な会計報告書を配付した」
 瀬戸内晴海 「言行一致の人だという強い印象を受けた」
 紀平悌子 市川学校の生徒心得第一条。「運動とは事務の堆積である」という運動哲学です。先生自身まれに見る実務家でした。封筒、ハガキ、の上書きにはじまり会議記録、声明決 議の起草、記者発表まで、そして資料を綴じ込む観世さ(?)まで誰よりも上手になさるのです。
 一番ケ瀬康子  社会運動家が心掛けなければならないこと  自分の主張を明確にし一貫すること 金にきれいであること 男女間の問題についてもはっきりすること

伊丹十三記念館 http://itami-kinenkan.jp/
 丹十三は、商業デザイナー、俳優、エッセイスト、TVマン、雑誌編集長、映画監督と興味のおもむくままに様々な分野の職業に分け入り、多彩な才能を発揮した人でした。また、音楽愛好家、猫好き、乗り物マニア、料理通など、趣味人としても一流の見識を持っていたことは、つとに有名でした。「常設展示室」には、伊丹十三の足跡を具体的な資料でたどることができるよう、十三の名前にちなむ13のコーナーが設けてある。
 松山の伊丹十三記念館は、中庭のあるおしゃれな黒い色の外観だ。外の庭の車庫に愛車のベントレーがおさまっている。中に入ると中庭の光と緑がまぶしい。まず、館長の宮本信子の挨拶のビデオが出迎えてくれる。妻からみても変わったユニークな人だったということがわかる。それが魅力だというような内容だった。
・本名は池内岳彦。1933年生れ。エッセイスト。料理通。乗り物マニア。テレビマン。精神雲関啓蒙家。映画監督。この並びのように、多様な興味と薀蓄と経験を経て、最終的には天職であった映画監督につながっていくというストーリーである。映画監督として初めての作品は湯河原の自宅を舞台にした1984年の「お葬式」だ。その時、伊丹は51歳。
その後、映画監督として伊丹はヒット作品を連発していく。「タンポポ」(1985年)「マルサの女」(1987年)「マルサの女2」(1988年)「あげまん」(1990年)「ミンボーの女」(1992年)「大病人」(1993年)「静かな生活」(1995年)「スーパーの女」(1996年)「マルタイの女」(1997年)。
 この映画監督という職業は、父の後を継いだという形になる。父・伊丹万作(1900−1946年)は有名な人だった。この人の本名は池内義豊。1928年から毎年数本の映画をつくりつづけた映画の人だった。また文筆の人でもあった。代表作の一つである「無法松の一生」を観て、息子は「この映画は父の私に宛てた手紙であった!」ことを発見する。無法松こそ父の自分に対するメッセージであったことがわかり、十三はいつしか坐りなおしてこの映画を観たという。
 伊丹十三は、最初は伊丹一三という名前で仕事をしていた。それをある時から十三にかえている。その理由は、マイナス(一)をプラス(十)に変えるということであった。この記念館は、伊丹十三伊丹万作の両方の記念館になっている。映画監督となった父と息子の連なった記念館だ。
伊丹十三 「昔、子供のときにあこがれた偉い人になるということを今こそ本当の意味でやりとげなくてはならないのだ。」
息子の万平(2歳)へ 「自分に出会わぬ者は決して他人にも出会わぬことをお前に告げておこう。」
「ソフトを被ることによって、僕はある意味で親父と同一化しているかも知れません。」映画監督として、伊丹十三伊丹万作に出会い、そして自分に出会ったのだ。伊丹の死後、「伊丹十三賞」という賞ができている。「これはネ、たいしたもんだと唸りましたね」とつぶやきながらひざをたたいたであろう人と作品に贈られる。第5回は池上彰が受賞している。」(
http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130322/p1

◆最近気になる歌は
能登半島」(石川さゆり、作詞:阿久悠。作曲:三木たかし
 夜明け間近 北の海は波も荒く 心細い旅の女 泣かせるよう
 ほつれ髪を指に 巻いて溜息つき 通り過ぎる 景色ばかり見つめていた
 十九なかばの 恋知らず 十九なかばで 恋を知り
 あなた あなたたずねて行く旅は 夏から秋への 能登半島
 
 ここにいると 旅の葉書もらった時 胸の奥で何か急に はじけたよう
 一夜だけの旅の 仕度すぐにつくり 熱い胸に とびこみたい私だった
 十九なかばの 恋知らず 十九なかばで 恋を知り
 すべて すべて投げ出し駈けつける 夏から秋への 能登半島

 あなた あなたたずねて行く旅は 夏から秋への 能登半島

<本の紹介>
志賀直哉 [ちくま日本文学021]http://d.hatena.ne.jp/asin/4480425217
・お目出たき人 (新潮文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4101057141
・蛙のうた―草野心平詩集 (美しい日本の詩歌)http://d.hatena.ne.jp/asin/4265040551
樋口一葉日記・書簡集 (ちくま文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4480421033
武者小路実篤詩集 (新潮文庫)http://d.hatena.ne.jp/asin/4101057125
柳宗悦の世界 (別冊太陽)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582944949/hatena-ud-22/ref=nosim
徳川慶喜渋沢栄一―最後の将軍に仕えた最後の幕臣http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532168341/hatena-ud-22/ref=nosim
安倍能成―戦後の自叙伝 (人間の記録)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4820595725/hatena-ud-22/ref=nosim
・新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書 903)http://d.hatena.ne.jp/asin/4166609033
・人生論・愛について (新潮文庫)http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E8%AB%96%E3%83%BB%E6%84%9B%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AD%A6%E8%80%85%E5%B0%8F%E8%B7%AF-%E5%AE%9F%E7%AF%A4/dp/4101057133
・愛と死 (新潮文庫)http://www.shinchosha.co.jp/book/105703/
http://www.amazon.co.jp/%E6%84%9B%E3%81%A8%E6%AD%BB-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AD%A6%E8%80%85%E5%B0%8F%E8%B7%AF-%E5%AE%9F%E7%AF%A4/dp/4101057036
小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%83%A7%E3%81%AE%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%83%BB%E5%9F%8E%E3%81%AE%E5%B4%8E%E3%81%AB%E3%81%A6-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BF%97%E8%B3%80-%E7%9B%B4%E5%93%89/dp/4101030057
・小説渋沢栄一 上 (幻冬舎文庫 つ 2-12)http://d.hatena.ne.jp/asin/4344409124
・あの世からの徳川慶喜の反論 鳥羽伏見の戦いの真相を語るhttp://d.hatena.ne.jp/asin/480967729X

<昨年の今日>「アイデアを思いつくためには」http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130515/p1