記憶力をアップするために。「歌舞伎町トップホストが教える シャンパンタワー交渉術」。そして斎藤茂吉記念館

<記憶力をアップするために>
◆脳の老化を防ぐ日常生活での鍛え方は?
 日常生活でできる脳の鍛え方は、記憶回路をフル回転させる雑談を楽しむこと、アウェイ(未体験のこと)に挑戦すること、ど忘れをしてもしつこく思い出すこと。
◆覚えた事を忘れない記憶法は?
 受験勉強でも使える脳に良い記憶法3か条は、記憶を定着させるため寝る、情報は入れるより出す、うるさい場所で勉強する。

◆「歌舞伎町トップホストが教える シャンパンタワー交渉術」(信長・講談社)                http://www.amazon.co.jp/dp/4062189275/ref=dra_a_cs_lr_hn_it_P1400_1000?tag=dradisplay0jp-22
 本書の著者である信長さんは、ホスト歴10年のベテランであり、有名ホスト店のナンバーワン。
●『ホストの魅力とは、普通のサラリーマン生活をしていたなら見ることのできない世界を見て、聞くことができることです。医者、起業家、社長夫人などは、桁違いに大きな仕事をしていたりお金持ちだったりします。そのような人たちと話していると、自分も何かができるような気になって来るから不思議です。お客様が、私の見る景色を広げてくださいました。たとえば、企業のときの苦労や人間関係の悩みから学んだことを教えていただいたり、大企業の社長の成功方法を教えていただいたり、といったことです。』(P123)
 ホストとは、接客業です。それも高級な接客業。
●『私自身、決して記憶力が良いほうではなく、すぐに忘れてしまうので、その日に華下内容に加えて、お客様の服装や持ちもの、飲んだお酒の種類、薄さ・濃さも、接客後に必ずメモするようにしています。かなり細かいところまで書いているので、次にお客様が来店されたときに、細やかに対応することができます。(中略)野村克也氏は監督時代、「配球データ」を細かくとり、試合に活かしていたそうです。私も細かくデータをとることを心がけてきました。私の場合は、「ID野球」ならぬ「IDトーク」と言えるかもしれません。』(P99)
 その場でメモするのではなく、ちょっと席を外してメモしたり、お客様が帰った後にメモしたり。それも、紙にメモしたものを、Evernoteにまとめている。
●『毎日違った場所に行き、毎日違った場所で食事することも、心がけていることのひとつです。会う人も毎日変えたり、買う洋服もいつもと違うデザインに挑戦してみるといった、さまざまな価値観に触れることを心がけています。銀座のホステスは日経新聞を読んでいるといいますが、それを真似て、私は女性誌を読むようにしています。このような行動も、自分自身を磨き、お客様にもっと喜んでいただくためです。』(P125)
●著者がホストで成功した理由について
1.「売らない売り込み」を意識する
強引にボトルを入れてもらったり、営業のノルマをお客さんにお願いするような営業手法では、お客さんは引いていく。安売りをせずに、常に余裕を見せる。自分のお客さんは他にもたくさんいることをほのめかすことで、逆に相手から指名され、売上が上がる。お客さんを追い回すのではなく、お客さんから追われる存在に自分をポジショニングしてしまう方法を考えるべき。
2.信用の積立をコツコツやっていく
ホストという仕事も他のビジネス同様、お客様との信頼関係の構築がすべてだと著者は言い切る。小さな約束を守る、小まめに連絡を取って相手に安心してもらう、決して嘘はつかない・・・。信頼を積み重ねていくことが、最後にお客様からの「シャンパンタワー」になって返ってくる。ホストの世界でも、地道な営業を真面目に続けることが重要なのです。信用を積み上げるのには時間がかかるが、失うのは一瞬。
3.自分自身の魅力を高める
自分という商品をいかに気持ち良く買ってもらい、楽しんでいただくか。そのためには商品自体が魅力的であるだけではなく、魅力的に「見える」ことも大切なのです。ホストの見た目は、スーツと髪型でほとんど決まるというのが著者の持論。だからシャツは毎日クリーニングして、スーツは毎週クリーニング。そして毎日仕事の前にセットをしてもらう。
●ホストクラブでは、お客様に対して「年齢」と「職業」に関してホスト側から決して聞いてはいけないというルール。ホストクラブではそれらの質問をしてしまうと、その場でクビになる。「爆弾」の他に特に私が気を付けているのは、見た目の話題には極力触れない。すべてのお客様と恋愛関係のような付き合い方をしていたら、時間がいくらあっても足りなくなる。「自分自身が気持ちよく過ごせるかどうか」を、最も大事な原則。「雑談9割、営業1割」。これが私の考える、成功するホストの営業。会話の中で、相手が「うん」とうなずくことが多い場合は、信頼関係ができつつある。高給なスーツを着ていると、セレブなお客様が来ても緊張せず、自分に自身をもって堂々と接することができる。お客様は、何も言わずに離れていく人がほとんど。
●自分の見せ方を研究し、会話と心理について学び、それがホストとしての交渉術に磨きをかけている。まとめると、
・第1章「交渉の第一歩は「信頼関係」」
No.1になるために、もしくはより多く稼ぐためには、交渉が必要になってくるのだが、交渉以前にやるべき事が存在する。それはホストとお客さんとの「信頼関係」を持つ事が大切であるという。ではどのように築くべきか、容姿もさることながら、自分自身を自己開示しつつ、親近感を持たせる。そしてマメに連絡を取る、嘘をつかずに約束を守るなど、人と人との関係を常々大切にすることで信頼感を高めることができる。
・第2章「交渉は 「聞く」「見る」から始まる」
ホステスとは異なり、ホストの世界は「永久指名制」である所がほとんどである。なので最初から指名が決まるまでが一勝負としてある。本書でも指名に至るまでの「プレゼン」があるのだが、プレゼンをやるまでの間に相手の情報を見る・聞くと言った事が必要になってくる。相手が求めるモノとは何か、質問をしたり、回答をしている間の仕草を見たりして、お客さんは何に興味があるのかと言うところを探る。本章では他にも「ギャグ」についても言及している。
・第3章「相手を気持ちよくさせる会話術」
本章では「会話」を取り上げているが、他にも著者の生い立ちからホストになるまで、さらにはホストの仕事をしていての失敗談がふんだんに盛り込まれている。特に失敗談は「会話」をはじめとしたコミュニケーションにも大いに関わってくるため、本章でも肝に近い部分と言える。
・第4章「クライアントを落とすトップホストの実践交渉テクニック」
とはいえ、本書は「交渉術」の本であるため、交渉のテクニックには何なのかと言うところが重要である。しかも「シャンパンタワー」が大きなカギとなる。それはなぜかと言うと、「シャンパンタワー」は行うだけでも100万円はくだらないと言われている。もちろん規模にもよるが簡単なものから、大がかりなものまで様々だが、だいたいの基準は100万円以上と置いておく。
もちろんお客さんの中でも手が出せない方も少なくないのだが、実際はじめからそれを目指さずに、交渉を重ねていくうちに、プロセスの中でシャンパンタワーの注文が決まる、と言った事が起こるという。そのプロセスで行う交渉の方法を伝授している。ちなみに著者はシャンパンタワーを何度も経験しているという。
・第5章「ホストのウラワザ交渉術」
「ウラワザ」と言うことだから、簡単に交渉できるものがあるのかな、と思っている方も多いようだが、実際はかなりシンプルなことである。とはいえウラワザと定義しなければならないほど、できていない人も多いという裏返しとも言える。

<今日のトラックバック
・「公共事業が日本を救う (藤井 聡著・文春新書)」から人口減少社会をストップさせる公共投資の推進を。」 http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20120422/p2

◆公益財団法人 斎藤茂吉記念館 
 近代短歌史上に示された輝かしい業績をのこした歌人斎藤茂吉のふるさとは、山形県上山(かみのやま)市。その生家は、市街北部の金瓶(かなかめ)の地にある。斎藤茂吉記念館は、その茂吉の生家の近く、東に蔵王連峰を仰ぐ景勝地「みゆき公園」のなかに、1968年(昭43年)に開館した。江戸時代には城下町としてにぎわった上山は、羽州街道沿いに栄えた古くからの温泉宿場町である。
 ●10歳年下の芥川龍之介と茂吉は親しかった。芥川は茂吉に薬の処方をしてもらっていた。その芥川は「これは単に大歌人たるよりも、おう少し壮大なる何もんかである」と茂吉を評価していた。妻・輝子とは相性が悪く、「ダンスホール事件」で輝子の実名が出たこともあり、別居する。茂吉は一人で4人の子を育てることになった。茂吉の50代半ば、年若い女性との恋があった。
 清らなるをとめと居ればかなしけり青年(をとこ)のごとうわれは息づく
 斎藤茂吉が尊敬していたのは、森鴎外幸田露伴だった。この二人だけは「先生」と呼んでいた。鴎外は医者と文学者を両立した先輩だったこともあるのだろう。算数と図工が得意だった宗吉は昆虫採集少年だった。そして卓球部の主将だった。茂吉が動物学志望の宗吉に出した手紙を見た。茂吉は宗吉に医者になれとしつこく言っている。自分が歌を勉強できたのは、家が医者だったからだという理由だ。宗吉は器用だから外科医を勧めている。
「愛する宗吉よ」
「父の歌など読むな」「一心にただ勉強してください」」「父を買いかぶるな、大したものではない」
その一方で、「暮らしさへ安全に立たば、好いやうな気もするのだ」との述べている。
 ひたぶりにこの道を往けといひしかど迷ふことあり親といふもの
 最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
 北杜夫が松本高校時代に答案に書いた歌が残っていた。後のユーモア満載のベストセラーを予感させる。
 問題を見つめてあれどむなしむなし冬日のなかに刻(とき)移りつつ
 怠けつつありと思ふな小夜ふけて哲学原論をひた読むわれを
 時によりできぬは人の習ひなり坂井教授よ点くれたまへ

<昨年の今日>「今でしょ。」http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130514/p1