来月からのキーワードは「勉強」と「健康」。

◆明日からいよいよ10月に入る。このブログも連続2年目を迎える。昨日のブログにコメントをいただく。ありがたいことである。rapyutaさんに感謝。
 来月からのキーワードは「勉強」と「健康」でしょうか。その意味は、12月ぐらいに結果がでるよう努力したいものである。

◆『「復興への道」第17章〜福島の未来のために…』(2014年9月30日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京ガイアの夜明け」より)
 ナビゲーター江口洋介が、福島第一原発から6.5km離れた浪江町の海沿いを訪れた。津波が起きた時のままの状態で残っており、今年の夏からようやく瓦礫の撤去作業が始まった。現在も浪江町には62隻の船が打ち上げられ、433台の車が震災当時のまま放置されている。
 津波の爪痕が残る福島県南相馬市の小高区。ここは震災直後約1年間立ち入り禁止区域の中に入っており、現在も昼間の出入りは可能だが住むことができないでいる。小高の地で生まれ育ったという半谷栄寿さんは、元東京電力の社員で、2010年まで執行役員を務めていた。震災時には既に退任していたとはいえ、変わり果てた故郷を前に、原子力災害は起こしてはいけなかったと思うと自責の念にかられていた。半谷栄寿さんは、原発から25km離れた南相馬市原町区で、「南相馬ソーラーアグリパーク」を作った。この施設では太陽光を使った発電を行っており、発電した電力は一部を植物工場で使用する他は売電している。また、被災した地元住民の雇用の場としても活用している。江口洋介南相馬ソーラー・アグリパークを訪れた。この施設を立ち上げた半谷栄寿さんは、ここは子どもたちの考える力が行動する力を育む人材育成の場としても活用したいと話した。この日も彼の地元である小高区にあった小学校の児童が、体験学習に参加していた。半谷さんは、ここでは考えることと行動することを繰り返すことで子どもたちの成長を支援していきたいと話した。福島県内に通う高校生たちが、南相馬ソーラー・アグリパークを訪れた。半谷さんはここで高校生たちとともに新たな事業会社を立ち上げようと考えていた。オープンスクール参加者の1人である菅野智香さんは、福島県に対する悪いイメージの意識を変えたいと考えていると話した。1か月後に行われた2回目のオープンスクールでは、福島県産の農産物をどう売るかと考えていた。
 福島県のイメージアップのため、県内産の農作物をもっと売り出したいと考えていた高校生の菅野智香さんは、郡山市内にあるスーパーを訪れ、県内産の野菜がどのように売られているのか、また主婦がどういうイメージを持っているのかを調査した。その結果、同じ福島県内産の野菜の中には生産者の顔写真がある商品とない商品で売上が大きく違うことがわかった。8月17日、オープンスクールを立ち上げた半谷栄寿さんが福島市を訪れていた。この日は高校生たちが自ら考えた事業企画案を発表する日で、高校生たちは自分が考えた企画を熱い思いで語っていた。そんな中、菅野智香さんは福島県産の野菜を自分が選んで首都圏の家庭に直送するサービスを始めたいと主張した。そのために、生産者の顔や農産物を自ら撮影し、カタログを作成するという。彼らの主張を聞いた半谷栄寿さんは、いろいろなリスクは有ると思うが、そのリスクは僕がとるつもりでいるからがんばろうと励ました。
 津波の爪痕が残る福島県南相馬市の小高区。ここでは2016年の4月までに住民の帰還を実現するのが目標となっている。そんな中、電車が走っていない小高駅の近くに1つのオフィスが立ち上がった。ここは電源やインターネットを備えたシェアオフィス「小高ワーカーズベース」で、この地区で事業を始めたい人々が集まっている。設立者の和田智行さんは、誰かが先に住民がここで暮らせるための生活インフラを整えなければいけないと話していた。小高区にあるNPO法人「浮舟の里」は、地元に住む中高年の人々が憩いの場を作るために結成された。6月上旬、浮舟の里のメンバーと和田さんは、蚕の幼虫を購入し、絹を作るプロジェクトをスタートさせた。もともと小高区は養蚕が盛んで、地場産業の復活という意味も込められている。また養蚕とともに機織りの練習も始まった。和田さんは、このビジネスが軌道に乗れば、この先暮らしていくための生業になっていけると話した。和田さんは東京でシステムエンジニアとして6年間働いた後、結婚を機に小高にUターンしてきた。現在は原町区の借り上げ住宅で暮らしつつ、週末は家族が避難している会津若松に通うという生活を続けている。7月27日、南相馬の夏の風物詩である「相馬野馬追」が行われている頃、和田さんは、飼育していた蚕のまゆを持ってかつて養蚕をしていた農家を訪ねた。その頃、原町区にある仮設住宅では、NPO法人の職員が仲間集めに奔走していた。小高区にあるNPO法人「浮舟の里」の拠点では、避難先から多くの主婦が集まり、絹作りを実習が行われた。10月には和田さんが真綿から絹を紡ぎ、販売することが決まった。江口洋介が、小高産の絹織物をつくっている「浮舟の里」の拠点を訪れ、絹織物の機織りの体験の様子を取材した。和田さんは、先行き不透明な社会の中、選択の基準となるものは自分が育った土地や故郷などの拠り所であり、子どもたちにとってその芯を形成する場が小高というコミュニティであってほしいので、絹織物や養蚕を通じてここで生きていくことの喜びとしてほしいと話した。9月中旬、小田原市で行われたイベントで、小高区で作られた絹製品の販売会が行われた。
 江口洋介が今回の取材を通じて、子どもたちがおとなになった時に戻れる故郷を作り、将来福島のために役立つ人材を育てたいという思いが伝わってきたと話したが、自らのふるさとを愛する気持ちが復興へと支えている印象を受けた。まして、故郷へ帰れないにも関わらず。

(今日のニュース)
◆有毒ガスと火山灰と戦い… 命がけの救出作戦
 噴火した御嶽山での救助活動にあたる自衛隊員らは、山頂付近で死と隣合わせの過酷な現場で作業を行っている。きょうは大型ヘリ「CH-47 チヌーク」を使用し山頂に大量に隊員を派遣する予定だったが中止となってしまった。山頂付近は有毒ガスなどが充満しているが、防毒マスクや担架など全20kg前後の装備を身に付け活動を行う予定。しかし山頂では火山灰の驚異もある。隊員は山頂まで徒歩で向かうほか、登山者の搬送も50cm程度積もった火山灰の上で手間取っている。まさに、自衛隊も防毒マスクを身に付け、過酷な現場で作業を行っている。警察、消防、そして自衛隊も決死のさぎょうである。火山ガスで本日の作業は中止。明日へ。