年末恒例の一コマ

◆今日は30日であり、昨日と異なり、寒いが天気も良く、午前中から正月用品の買い出し。でも、最近正月だから雑煮に、おせち等いう感覚は減ってきており、とりあえず、少量を買った。またコンビニが毎日やっており、早いところではスーパーも元旦から店が開いてところもある。遅くても、百貨店等を含めて2日から開業している。だから正月の食料品と言ってもそれほど準備する必要がないようだ。
 午後から親がディから帰宅するので、またも実家へ。ごみの整理に追われる。
「自分の好きなテーマを勉強する」ことが大事であり、これからも頑張っていこう。

<今日の偉人資料館について>
茅ヶ崎市 開高健記念館 http://kaiko.jp/kinenkan/ 「危機と遊びが男を男にする」
 神奈川県茅ケ崎市開高健記念館はある。茅ケ崎には橋本駅からJR相模線というローカル線で一時間弱かかる。この街を歩くと、海の近くのリゾート街、おしゃれなカフェ街、図書館や美術館を擁する文化街、ネオンの咲く飲み屋街と分かれており、文化的に成熟した街という印象を持った。
 瀟洒なつくりの家の前に立つと、「哲学者の小経」という表示があり、この家の周りを巡ることができる。途中に「悠々として急げ」、「遠い道を ゆっくりと けれど休まずに 歩いていく人がある」、「明日、世界が滅びるとしても 今日、あなたはリンゴの木を植える」、「朝霧の一滴にも 天と地が 映っている」、という開高の言葉を書いたボードがある。
 最後の方に、書斎が現れた。「主人を失った書斎」という説明が書いてある。亡くなった当時の書斎をそのまま保存している。十畳ほどの個室には、横長の机と座椅子がある。隣の二畳ほどの小部屋を含む壁には、開高は仕留めた動物の毛皮や魚のはく製が貼りついている。ブラックベアの毛皮、キングサーモン、レッドサーモン、ピンクサーモン、グレイリング、マスキー、ピラーニア。
 開高健は1930年に大坂で生まれ旧制大阪高校に入るが学制変更で大阪市立大学法学部に入学しなおす。20歳の時に処女作「印象生活」を発表。23歳、7歳年上の牧羊子と結婚。24歳、寿屋入社。26歳、コマーシャル色を排除した面白くてタメになる雑誌「洋酒天国」を創刊し編集発行人となり大ヒットする。28歳、「裸の江様」で芥川賞を受賞。寿屋を退職。その後、作家生活に入り大活躍をする。ベトナム戦争、ビアフラ戦争、中東戦争などの渦中に入り、戦争のルポは話題になった。44歳で茅ケ崎に仕事場をつくる。そして58歳に若さで食道腫瘍にはいお延を併発し倒れる。大江健三郎と争って勝ち得た芥川賞受賞時には、「定型化をさけて、さまざまなことを、私は今後どしどしやってみたいと思っている」と語っており、実際その通りの型破りの作家となっていった。
 NHKの「あの人に会いたい」のビデオを流れていたその声から、気になる言葉を拾ってみた。
 •今日の私は昨日の私ではない。
 •危機と遊び、男が熱中できるのはこの二つ。危機と遊びが男を男にするのではないか。
記念館に貼ってある言葉。
 「飲みながら書くのは連想飛躍を求めるからにほかならない。ウオッカがいいのは翌日に臓器にダメージを残すさないから。」