この閑古鳥ブログの未来は?

◆この閑古鳥ブログの未来は?
 つれづれなるままに、このブログの未来についてのべてみたい。5年前くらいのブログ黎明期には、一般の雑誌にも「あなたもブログをつくって、友達作り! お金も稼げるかも!」というような記事がたくさん載っていたようだが、いまでは、「個人ブログ」を薦める声はかなり小さくなり、『mixi』などのソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)や『twitter』が「個人がネット上に発信する機会」の主役となっている。ネット上は、ネット外の世界とシームレスになってしまって、「ネットだからこそできる匿名での内緒話」みたいなのは、許されない時代になってきた。mixiで「友人だけに公開」にしていたはずの話がネット上に拡散され、「友人限定」だったのに、という話をすると、「ネット上に公開されているものは、友人限定にしていようが何だろうが、書いた本人が責任を取らなければならない」という正論が襲いかかってくる。
 だから、このブログも匿名にしている。本当に、匿名かどうかはわからないが、それだけ、読まれない証かもしれない。twitterだって、結局のところ、「もともと潜在的なフォロワーを多数抱えていた芸能人・有名人(有名ブロガー含む)のほうが、圧倒的に有利なツールである。無名の人が成りあがるには、誰かに引きたててもらうか、「炎上作戦」をとるしかない。現在の個人ブログは、大多数の「何を書いても炎上すらしない閑古鳥ブログ」と、ごく一握りの「何を書いても炎上する可能性がある有名ブログ」に二極化している。まさに、私のブログが閑古鳥ブログである。
 僕が個人ブログで「つまらない」のは、自分を出していないからかもしれないし、自分を主張していないからかもしれないし、みずからの立場を意識しすぎているか、評論家としてふるまおうとしすぎているからかもしれない。モラルとしても、処世術としても。しかしながら、「自分のこと」しか書けない。情報ストックとしてブログを書いているが、自らの情報の集積になっているかな?
 このブログがつづけれるのは、今の方法では限界があるかもしれない。いずれ匿名性を破り、日記となれば、変わるのかしれない。まさに、自分をだせればであろうが。コメントばないことに不満があるが、この内容ではやむ得ないかもしれない。いつか自分のことがかければ、書くことは愉しいし、反応を貰えると嬉しい。とりあえずは、いつまで連続記録がいじできるであろうか。

<今日の偉人資料館>
大河内山荘  http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=4000001 京都の嵐山から天竜寺を抜け、竹林を通り、嵯峨野へ向かう途中にある。京都の中心地から離れたこの地は、桜や紅葉の名所としても知られる。夏には、あふれんばかりの緑が美しく、また秋にはそこから見える紅葉も美しい。嵐山には平安時代から、貴族の別荘地があったことでも知られ、藤原定家(1162〜1241)が「小倉百人一首」を編纂した時雨亭(小倉山荘) もこの地にあったそうである。
 そんな嵐山にある大河内山荘。この大河内山荘は、俳優の大河内伝次郎(1898〜1962)の別荘として建てられた。京都にはいろいろ名所があるが、映画俳優の家が名所となっているのは珍しい。1931(昭和9)年、時代劇の大スターであった大河内伝次郎は、消えることのない美を求めて、この山荘の建設に着手。1962(昭和37)年に64歳で亡くなるまで、彼は30年に渡って、映画出演料の大半をこの山荘の造営につぎ込んだそうだ。

<先人の言葉>
・•山田五十鈴「今、今日、明日のことだけを考えていればいい。そう自分に言い聞かせているの。」

<本の紹介>
21世紀の資本 http://d.hatena.ne.jp/asin/4622078767
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41619