「春一番」「光の春」

 気象上の春の言葉。これらは春の訪れの言葉ではない。もうすぐ春がやってくることを表す気象上のことばである。というのは、春一番の暖かさは続かない。だから、春は三寒四温というのかもしれない。春一番は暴風であり、海はおおしけになる。
◆「春一番」は、北海道と東北、沖縄を除く地域で例年2月から3月の半ば、立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風。主に太平洋側で観測される。春一番が吹いた日は気温が上昇し、翌日は西高東低の冬型の気圧配置となり、寒さが戻ることが多い。1859(安政6)年旧暦2月13日、五島列島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難した。春一番の語源はそんな悲劇にあるのだが、今では何となく春を感じさせる、暖かい言葉となってしまったようだ。
◆「光の春」とは、季節の変わり目である節分には、悪魔や病魔が横行すると考えられ鬼をはらう豆まきが行われるようになった。旧暦では立春が年の初めだったので、「正月節」ともいい、室町時代からは特にこの節分を重んじるようになった。立春というとすぐ暖かくなるような気がするが、まだまだ寒い日が続く。それでも、冬の長いロシアでは2月のことを“光の春”とよんでいる。徐々に日が長くなり、晴れた日の空の明るさに人々は春を感じさせるのかもしれない。日本でも東京の気温を調べると、一日の最高気温が立春をさかいに少しずつ高くなるようだ。まさに、温かい日と寒い日をくりかえしながら、3月の春本番をむかえてくる。

<今日の先人の言葉>
岩崎弥之助
 「三菱の事業は一門のために経営するのではない。お前たちの中に国家のことを考えず、岩崎家のみ を考える者があったなら、三菱は潰したほうがよい。このことを、しっかり腹に入れておくがよい」
 経歴
  1851年〜1908年(嘉永4年〜明治41年三菱財閥2代当主。土佐国安芸郡井ノ口村(高知県安芸市) に生まれる。明治5年米国に留学。兄弥太郎の片腕となって九十九商会以来の草創期三菱の事業に尽 力した。明治18年、弥太郎の死後、海運業を分離した後の三菱社の社長となり、事業多角化に努め、 1893年財閥本社(三菱社)、銀行、鉱山、炭礦、造船などを一体とした三菱合資会社を発足させた。 明治23年には貴族院議員に勅選。明治29年日本銀行第4代総裁に就任。57歳で没。


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◆午前中まさに、週末農業。とりあえず、畝づくり。

◆過去の手帳から過去のブログを作成。ここ1週間2012年の継続前のブログを補修し、とうとう今日で
2012年1月12日からブログを新たに再開して、通算1124日 (1124日間継続中)になった。ほぼまる三年継続したことになる。当面、ネタが枯れないうちは継続していこう。

◆先人の記録を調べてきたが、これからも継続するだけでなく、シティガイドクラブでこれから勉強することになるが、自分が歩いたことのある東京の街を中心にコースを作ってみよう。できれば、場所の紹介やグルメも紹介していこう。名づけて「トトロのシティガイド」。月に1回程度、取りあげていこう。まず、子供のころ始めた東京の街、「浅草」を取り上げてみよう。資料整理もあるので、3月からスタートしたいものである。