すぐやる、必ずやる、出来るまでやる。(永守重信)

◆「人を動かす人」になれ!―すぐやる、必ずやる、出来るまでやる(永守重信著・三笠書房
 40年で従業員10万人以上の企業を作りあげた人の考え方はすごい。2倍仕事をして納期半分なら仕事はとれるのでしょう。「倍と半分の法則」他社が8時間働いているのなら、わが社は倍の16時間働く。他社の納期が二カ月かかるところなら、われわれは一ヶ月で治めることが可能になる(p156)まさに、ハード。凡人を集め、育て、一人前にする。凡会社を買収して、育て、一人前にする。ここに、日本電産の成長には、原因があるということです。
 そして、そのために優秀な人を採用するのではなく、普通の人を教育する。若手は1叱りつけ、9褒める。中堅は5叱りつけ、5褒める。リーダーは9叱りつけ、1褒める。褒めるにしても、一人ひとり手書きで手紙を書いて褒めちぎる。人を見て、手間暇かけて、人の意識を高めることに注力しているのです。わたしが率先して手紙を書く。社員を褒めるとき、叱るとき、あるいは電話をすれば一分で済むことでも、わざわざ手紙にすることも多い。かつては年に三回、全社員に自筆の手紙を書いて、そのなかで社員を褒めちぎった(p91)
 仕事に対する熱い想いと社員に対する愛情をもった経営者である一面を学ぶ。
<ポイント>
・自らを磨いて鍛え直し、大きな愛情を持って指導を行う。これに意気を感じた部下が期待に応えてくれるのである。自分が投げた力以上のボールが 返ってくることはない(p41)
・わたしのいう人情の機微とは温情と冷酷さを合わせ持ち、この相反する二つの感情のバランスをいかにうまくとるかということである(p140)
・経営者には社員に対して、「もっと働こう」と胸を張っていえる信念と自信が不可欠である。社員にこう訴えるかぎりは、経営者は社員の二倍、三倍働かなくてはいけない(p175)
・人に関するかぎり「ムダ」という言葉はない。たとえ100人のうち一人でも変わってくれる可能性があるのなら、その100人全員にやれることはすべてやってみるというのが私の信念である(p223)
ベンチャー企業が忘れてならないキーワードは、「売ってからつくる」こと。(p201)

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<2月20日生まれの先人>
志賀直哉
 ・読んだだけ、聞いただけがただ残っていくという意味の物知りがいる。これは知恵というものにはならない。
 ・大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まねばならぬ。急がずに、休まずに。
石川啄木
 ・願はくば一生、物を言ったり考へたりする暇もなく、朝から晩まで働きづめに働いて、そしてバタリと死にたいものだ。
 ・いかなる問題であっても、具体的であるという事は、最後の、しかして最良の結論だ。
石田禮助
 ・能力主義だとか言って人間の能力がやかましく言われているようだが、なんですねぇ、能力のある人間というのはやっぱり考える人間だと思う。味 方として頼もしく、敵として怖いのは考えるやつですよ。
<2月20日は何の日>
歌舞伎の日 1607(慶長12)年のこの日、出雲の阿国江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露した。
普通選挙の日 1928(昭和3)年のこの日、日本で初めて普通選挙が実施された。納税額に関係なく、すべての男性に選挙権が与えられた。女性も参加した完全な普通選挙が実施されるようになったのは1946(昭和21)年4月10日の総選挙からである。
●多喜二忌 プロレタリア作家・小林多喜二の1933(昭和8)年の忌日。東京・赤坂で特高警察に捕らえられ、その日のうちに拷問によって虐殺された。
●鳴雪忌 俳人内藤鳴雪(ないとうめいせつ)の1926(大正15)年の忌日。別号の老梅居から「老梅忌」とも呼ばれる。
●戦後の2月20日の主な出来事
 1946年ソ連が千島・南樺太の領土編入を正式に宣言。1953年NHKテレビで『ジェスチャー』が放送開始。日本初のクイズテレビ番組1968年金嬉老事件清水市で2人を射殺した金嬉老が、寸又峡温泉で客らを人質に5日間立てこもり、在日朝鮮人差別の実態を訴える。1974年フィリピン・ルバング島で戦闘を継続していた元日本軍少尉・小野田寛郎に冒険家・鈴木紀夫接触。日本の現状を説明し帰国を促す。1980年大阪府枚方市内の京阪本線で中学生の置き石により電車が脱線。104人負傷。1996年薬害エイズ問題で、厚生省が非加熱血液製剤の取扱に関する内部資料を公表。1997年大阪ドームが完成。