午前中、江戸東京博物館を見学。下りのエスカレーターの階段を一段一段登るようなそんな努力がこれからも必要。

◆江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれ、それぞれ江戸時代と明治〜現代の展示がある。とくに江戸時代〜第二次大戦頃までの歴史・社会・文化に関して、大量の展示と分かりやすい説明がある。展示には英語が併記され、多くの外国人が訪れていた。今日は、ガイド研修の一環で訪ねる。リニューアル後、今日で3回目である。毎回毎回違った顔が見られる。展示が多岐にわたっているので、今日は次の二つを紹介したい。
 ●明暦の大火の展示。
 江戸は何度も大火災に見舞われているが、これはその中でも最悪のもので、3日間に渡って江戸市街地の大半が消失したらしい。そのような大規模な火事があったこと自体も知らなかったが、この火事からの復興にあたり大規模な市街地整理が行われ、延焼を防ぐための火除地 (防火用の空地) や広小路 (幅の広い道路) が整備された、とのこと。今年の江戸検定のテーマである「天下大変〜災害と復興」の参考にもなろう。
 振袖火事,丸山火事ともいう。明暦3 (1657) 年1月 18〜19日の江戸の大火。火元は本郷丸山本妙寺で3人の女が法会 (ほうえ) のため振袖を焼いたのが出火原因となり,焼失町数約 500〜800,旗本屋敷,神社仏閣,橋梁など多数が焼け,さらに江戸城天守も焼失した。 火災としては東京大空襲関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大のものである。日本ではこれを、ロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火の一つに数えることもある。明暦の大火を契機に江戸の都市改造が行われた。御三家の屋敷が江戸城外へ転出。それに伴い武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転した。防備上千住大橋のみしかなかった隅田川への架橋(両国橋や永代橋など)が行われ、隅田川東岸に深川など、市街地が拡大した。吉祥寺や下連雀など郊外への移住も進んだ。防災への取り組みも行われた。火除地や延焼を遮断する防火線として広小路が設置された。現在でも上野広小路などの地名が残っている。幕府は耐火建築として土蔵造や瓦葺屋根を奨励したが、その後も板葺き板壁の町屋は多く残り、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるとおり、江戸はその後もしばしば大火に見舞われた。
 ●菱垣廻船の1/10サイズの模型。
 上方と江戸とを結んだ貨物船で、日本海側から山陰・下関・山陽方面を通って江戸へと至る西回りのルートと、同じく日本海側から秋田・青森・岩手を経て江戸へ向かう東回りのルートとがあり、長距離だが安全な西回りと短距離だが危険もある東回り、という違いがあったらしい。
 菱垣廻船とは、日本の江戸時代に、大坂などの上方と江戸の消費地を結んだ廻船(貨物船)である。当時、存在した同様の貨物船の樽廻船と並び称される。菱垣とは、両舷に設けられた垣立(かきだつ)と呼ばれる舷墻に装飾として木製の菱組格子を組んだ事に由来する。江戸時代の1619年(元和5年)に和泉国堺の商人が紀州の富田浦の廻船を雇って江戸へ回航させたのが創始で、多種多様な日常の生活物資を運んだ。寛永期に大坂北浜の泉谷平右衛門が江戸積問屋を開き、菱垣廻船問屋が成立した。
 1730年(享保15年)、菱垣廻船問屋に属していた酒問屋が、菱垣廻船の使用を停止し新たに酒を主な荷物とする樽廻船での輸送を開始した。輸送時間で勝る樽廻船は、次第に酒以外の荷も運ぶようになり、菱垣廻船と樽廻船は競合した。そのため1770年(明和7年)には積荷の内容による両者の分離が行われ、米・糠などの7品は菱垣廻船と樽廻船の両方、酒は樽廻船、他は菱垣廻船で運ぶという仕法が定められた。しかし樽廻船への積荷はやまず、菱垣廻船は次第に劣勢となっていった。水野忠邦天保の改革の一環である株仲間解散で菱垣は撤廃される。
<感想>
・江戸〜現代の東京と日本の歴史について、広く勉強することができた。歴史の教科書では名前と年号しか出てこないような事柄も、その実物や時代背景を見て触って感じることができて、これこそが勉強のあるべき姿ではないかと思うし、その点についてとてもよい博物館だと思う。また、これからもテーマを決めて見学にきたいものである。
・展示が膨大、かつ質的にもすばらしいもののようだったが、あまりにも量が多くて最後まで見る前に疲れてしまった。とくに後半の東京ゾーンは駆け足に流してしまった。

<今日の江戸検>
●新宿四谷の長善寺には、崇源院(お江)が奉納した2代将軍秀忠のメノウ製の念持仏あり。同寺には「四谷勧進角力始祖」の石碑も。初代横綱明石志賀之助寛永元年(1624)に境内で相撲を興行、これを江戸初の勧進相撲としたものだが、異説もあるようだ。

<今日の言葉>
玉の海梅吉(相撲解説者)
 ・(引退する初代貴乃花に対して)「精一杯重い荷物を背負って、下りのエスカレーターの階段を一段一段登るようなそんな努力をした男です。」スポーツであれ、社会であれ、順調に登る人間は少ない。下りのエスカレーターの階段を一段一段登るようなそんな努力がこれからも必要。
 

<本の紹介>
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 月間200万PVのアクセス数を持ち、熱狂的なファンと、既存メディアに匹敵するほどの絶大な影響力を持つ、おばけブログ「Chikirinの日記」。無名の会社員だった著者・ちきりんさんは、どのようにブログを立ち上げ、どんな方針で運営してきたのか。さらに、著者自身が選ぶ、ブログのベストエントリは? 2013年に著者がkindle個人出版し、1万ダウン ロードを記録した電子書籍『「Chikirinの日記」の育て方』に、ベストエントリを21本を追加。個人で発信していく時代に、「自分メディア」を作り上げた大成功例として、まさに、無名の会社員からトップブロガーへ。個人の時代の“自分”の売り方。