今日は節分。明日からは立春。今日は雪池忌でもある。

◆節分とは現在では豆まきをして鬼を払い福を呼ぶ行事そのものを指すが、季節の区切りとされ、それを「季節を分ける」という意味で「節分」と呼んでいる。節分は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日のこと。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークであると暦ではいわれている。節分とは、春を迎え新しい一年の始まりの前に邪気を払うための行事である。節分の今日、各地で豆まきの行事が行われた。成田山新勝寺の豆まきは、五穀豊穣などを願って江戸時代から始まったとされ、毎年5万人前後が訪れ、多くの著名人も参加する。今年は大相撲の横綱白鵬や、NHK大河ドラマ真田丸で主役の真田信繁の父・昌幸を演じる草刈正雄さんらが参加した。成田山新勝寺の豆まきは本尊の不動明王の情けで鬼も改心してしまうという言い伝えから、「福は内」とだけ言うのが特徴。
 立春には春という字が含まれますから、一見すると寒かった冬は終わり花が咲き、気温の穏やかな日々をイメージしてしまいがち。しかし立春は正確には春が立つ、という意味で、立春を迎えた頃から気温の底はピークを過ぎ、徐々に春めいた気温や天気に変わっていく、という事であり、本格的な春がやってくるための始まりだから、まだまだ寒いが続くのであろう。

◆今日は雪池忌(ゆきちき)。福澤諭吉の1901(明治34)年の忌日。墓のある港区元麻布の善福寺で、慶應義塾の関係者による法要が毎年行われている。福澤諭吉は、天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福澤百助の次男として生まれました。1歳6ヶ月の時父と死別し、母子6人で中津に帰郷。貧しくとも信念を持った少年時代を過ごし、14歳になって儒学者白石照山の塾に入りました。 安政元年(1854)、19歳の時蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大坂の緒方洪庵適塾で猛勉強に励みました。安政5年(1858)には、藩命により江戸の中津藩中屋敷蘭学塾を開きました。これが慶應義塾のはじまりである(参考http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20130110/p2
西洋の語学力と知識をたくわえたいと考えた諭吉は、万延元年(1860)「咸臨丸」に乗り込み渡米。以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、社会の制度や考え方などに旺盛な好奇心で見聞を広めた。その後『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』などを続々と著し、当時の日本人に西洋文明の精神を伝えた。
 ・福沢諭吉の名言
 ● 自由とわがままの違いは、 他人を妨げるかどうかである。
 ● 学問の本質は、「学問を自分がどう活用できるか」にかかっている。
 ● あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。
 ● 人に貴賎はないが、勉強したかしないかの差は大きい。
 ● 他人の迷惑にならない「欲望」は、すべて善である。
 ● 努力は、「天命」さえも変える。
 ● やってもみないで、「事の成否」を疑うな。