梅まつり

◆梅まつり
 ・今、亀戸天神で梅まつりが始まっている。蝋梅のように終わってしまった花も幾種類があるが、固い蕾でまだまだこれからの梅もたくさんある。呉服橋の梅もいいね。期間:2016年2月13日〜3月13日であり、場所は江東区亀戸天神社である。受験シーズンで、受験生もかなり訪れている。
 ・水戸の梅まつり開幕、偕楽園は早咲き1200本見ごろの模様。春の訪れを告げる水戸市の「水戸の梅まつり」が偕楽園弘道館の周辺で開幕している。今年で120回の節目を迎え、毎週土日を中心に多くの行事が開催される。3月31日まで。
 ・湯島天神は、江戸時代より「梅の名所」として多くの庶民に親しまれて来た。昭和33年に開催された梅まつりも、今回で59回を迎え、期間中延べ40万人の賑わいとなっている。
 都内でも梅の名所はまだまだある。例えば、多摩地域では青梅なども有名である。関東地方では、湯河原、熱海や小田原の梅まつりが人気スポットの要である。
◆梅屋敷跡
 江戸時代には亀戸といえば梅屋敷が大変有名でした。梅屋敷は、元は浅草(本所埋堀とも)の伊勢屋彦右衛門の別荘でした。子孫の喜右衛門のころになると梅は300株にもなり、「清香庵」と名付けられた。広さ約3600坪の庭に多くの梅が植えられていたことから「梅屋敷」と呼ばれるようになったそうである。中でも「臥竜梅」と名付けられた梅が大変有名でした。 臥龍梅は、高さは3メートルあまり、木の根元は1.6メートルあまりで、枝は四方の地中にもぐったり出たりしているため龍が大地に横たわっているように見えたことから、徳川光圀が「臥竜梅」と命名したと言われている。8代将軍の徳川吉宗も鷹狩の帰りに梅屋敷を訪れたそうである。梅の季節が近づくと、花が咲かないうちから寒さを厭わず文人たちが梅見に大勢訪れ、江戸の行楽地として賑わっていたようである。浮世絵師歌川広重も「臥龍梅」に魅せられ、有名な「名所江戸百景」の中で「亀戸梅屋敷」という浮世絵に描いている。広重を魅了した梅屋敷でしたが、明治43年の大雨による隅田川の洪水で、亀戸・大島・砂村のほぼ全域が浸水した。この洪水により梅屋敷の梅は全て枯れてしまい、梅屋敷も廃園となってしまった。浅草通りの脇の歩道の植え込みに、石柱と説明板そしてわずか1本の梅の木があるだけです。