東岳寺・。歌川広重。ハッパー。

◆東京足立区の東岳寺にある初代歌川広重墓所。戦前は浅草にあったが、東岳寺の移転で足立へ。隣に並ぶのは米国人実業家J・ハッパーの墓碑。明治24年に初来日、日本文化、とくに広重に心酔して世界に紹介した。46年間を日本で暮らし、東京で死去。
歌川広重(1797〜1858)は江戸時代後期の浮世絵師で、それまで業界の常識だった浮世絵の画風に、「洋画の遠近法」の技術を取り入れて、風景画、花鳥画で才能を発揮した後、有名な作品「東海道五十三次」で名声を得ました。教科書にも出てくるから知らない人はほとんどいない。この「東岳寺」の存在を知った時は、「そんな人の墓がこんな身近な足立区に」とは驚く。
・初代安藤広重墓及び記念碑
 安藤広重(1797一1858)は、江戸時代後期の浮世絵師です。広重は、八重洲河岸定火消組同心の子として生まれ、文化八年(1811)、十五歳のとき歌川豊広に入門し浮世絵を学び、歌川の画姓と広重の号を許されました。浮世絵諸派の画風を学ぶとともに洋画の遠近法を加味し、風景画や花鳥画で人気を集めました。また、天保年間に「東海道五拾三次」を発表し、一躍名声を得たことでも有名である。墓所は昭和33年(1958)の再建で、記念碑は大正13年(1924)に建てられたもの。
・米国人ハッパー(1863〜1936)の墓。
 彼は人生の半分以上となる46年もの間、日本に住みながら日本文化と歌川広重の作品を研究し、世界中にその素晴らしさを広めたそうです。歌川広重の作品を愛するあまり、自分のことを廣重(広重)ハッパーと名乗っていたとか。1936年12月19日に没後、日本文化を世界に広めた功績が認められて、広重と同じ「東岳寺」内に墓が建てられた。