市谷亀岡八幡宮。

<江戸学>
太田道灌が鎌倉の鶴岡八幡宮江戸城内に勧請し、のちに市ヶ谷へと遷座したのが市ヶ谷八幡宮で、同社は鶴岡にちなみ、またの名を亀岡八幡宮とも。その後荒廃していたが、江戸時代に入り源氏を名乗る徳川将軍家が庇護。
・市谷亀岡八幡宮太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったそうだ。明治に入り、神仏分離令により別当寺であった東円寺が廃寺となり(1872年)、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。その後、1945年に第二次世界大戦による戦火により神木なども含め焼失。1962年に現在の社殿が再建され、現在に至る。

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