小名木川

小名木川に近い学校の門前にある「干鰮(干鰯)場跡」の石碑。干鰯場は九十九里海岸の特産品だった干鰯の荷上場。「銚子場」と呼ばれたここは深川に4か所あった干鰯場のひとつで、元禄13年(1700)開設。干鰯は肥料として江戸近郊の作物栽培に用いられ、小名木川周辺では世界初のハウス栽培も。
 小名木川隅田川から中川まで東西に江東区を横切る全長4640メートルの一級河川天正18年(1590)江戸に入府した徳川家康が、行徳の塩をはじめ、諸国の物資を運ぶため小名木四郎兵衛(おなぎしろべえ)に命じて開削させたと言われ、江戸の発展に大きく寄与した。また物資だけでなく成田山新勝寺鹿島神宮にお参りする人でも賑わった。小名木川は、隅田川から旧中川まで東西に江東区を横断している長さ4640mの一級河川で、本区の発展に大きな役割を果たしてきました。
 天正18年(l590)徳川家康の江戸入城に伴い、多数の住民が流入し、米・塩などの生活必需品をはじめ、多くの物資が諸国から江戸へ送られるようになりました。そこでその物資の輸送路として水路を開いたのが、小名木川の始まりといわれている。また一説には、慶長年間(1596〜1614)に江戸と千葉県行徳を結ぶ必要があり、家康の命により小名木四郎兵衛が開さくしたともいわれている。小名木川の名称の由来も諸説あり、小名木四郎兵衛の姓をとった説、うなぎがよくとれたのでうなぎ川といわれたのがなまった説、また、女木山谷が小名木沢になった説などがある。小名木川は江戸が大都市になるにつれ、消費物資搬送集散の重要河川となりました。そのため、寛永6年(1629)に川幅を拡げ、また、船番所隅田川との合流点付近に設け(後に旧中川との合流点に移転)航行する船舶を監視した。小名木川隅田川寄り、常盤付近の深川芭蕉庵に住んでいた芭蕉は、しばしば小名木川に船を浮かべて句を吟 じ、秋に添て行かばや末は小松川川上とこのかわしもや月の友の句を残した。