河井継之助

河井継之助1827年--1868年)は越後長岡藩7万4千石の家老となって明治維新前後のこの小藩の運命を握り、武装中立を宣言するが最後は官軍を大いに苦しめる。司馬遼太郎歴史小説「峠」の主人公として馴染みがある快男児である。河井の断行した禄高改正(平準化)の説明があった。40500石の扶持を25000石に減じて財政を立て直すことにしたが、このため最高で2000石、最低で100石だったものを、最高で500石、最低で100石とした。「百人の禄を減じて、千人の禄を増し、人気(じんき)を調和して力を強くする」とい言われた改革である。
◦「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ」「不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ。」
◦河井は「出処進退」に関する言葉『人というものが世にあるうち、もっとも大切なのは出処進退の四文字でございます。そのうち進むと出づるは人の助けを要さねばならないが、処ると退くは、人の力をかりずともよく、自分でできるもの。』を残している。どういう形でリーダーに選ばれるか、どういう形で退くか、これがあらゆる分野のリーダーの心すべき点である。出るときは人に推され、退くときは自ら決めよという出処進退の考え方があるように、リーダーの品格は、出処進退に顕れる。