江戸検への道。試験日まで32日。

◆今日は今朝から実家へ。昨日疲れたこともあり、今朝に変更。天気が良かったが、畑作業を行わず、洗濯・食事の支度・掃除に専念。試験勉強もあり、午後夕飯の支度をして、自宅に戻る。明日から仕事。試験まで30日余りを迎える。結果への不安も大きいがともかく自らを信じて勉強を。

<今日の読書記録>
・幕末維新 完了
・江戸博覧強記 ⑨ 完了
・江戸の災害と復興 ⑤ 読書中
<今日のチェック>
 ・幕末ノート


松代城新御殿(真田邸)は、14代将軍家茂による参勤交代制度の緩和で、大名の妻子らが国許に住むことを許され、江戸から松代に戻った義母の住居として、9代藩主幸教が元治元年(1864)に建築。政務を行なう「表」と私生活の場「奥」に分かれ、35もの部屋をもつ典型的な大名屋敷として貴重。

◆「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心広かれ。」これは天海の言葉である。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号慈眼大師徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。1536年?−−1643年。
・家康は天海をブレーンとして重用した。「天海僧正は、人中の仏なり、恨むらくは、相識ることの遅かりつるを」と述べている。この時、家康は68歳。天海は75歳。その後、家康も長寿を全うしたが、天海はなんと108歳まで生きたとされている。
・家康の死後、「大明神」とする意見が多かったが、天海は「権現」を主張。秀吉の「豊国大明神幸あるや否」と述べて通し、東照大権現となった。
・108歳という長寿という説の信憑性については異論があるようだが、長寿の秘訣がこの言葉にある。