ブログ通算1760日・1760日継続中。

◆気持ちを切り替えて、仕事と勉強の充実を。結果がわかるまで一カ月余りあるが、ゆっくりスタートしていこう。まずは、通史から丁寧に勉強していこう。受験勉強が本格化する夏から秋期まで、200冊を超える本を読み込んでいこう。

<今日の江戸学>
◆12月18日まで、東京都港区の根津美術館で、特別展「円山応挙 「写生」を超えて」開催中。応挙の生涯を代表する作品の数々を、同館の展示空間の中で改めて見つめなおし、挙が目指したものは何だったのかを探る。
嘉永7年(1854)11月4日辰の下刻(午前9時ごろ)、東海沖を震源とする安政東海大地震が発生。マグニチュードは8.4。倒壊・焼失家屋は約3万軒、死者は2000〜3000人。房総から土佐まで大津波が発生。志摩半島の国崎(現三重県鳥羽市)では7丈5尺(約22.7メートル)の記録が残っているそうです。さて被害が甚大だった伊豆の下田港には日本との条約締結の特命を受けたロシア海軍提督・プチャーチンが乗船する軍艦ディアナ号が停泊。この大津波で大破、回航中に沈没してしまう。代船建造することになり、作業に当たったのは宮大工、その指揮をとったのは韮山代官の江川英龍だったそうである。そして代船「へた号」でロシアに帰国。(参考:『天下大変 江戸の災害と復興』江戸文化歴史検定協会/編・発行)