千疋屋

◆創業が江戸時代で現在まで続く老舗も多い。その中には千疋屋も。千疋村(現越谷市)で とれた水菓子や野菜を江戸で売るために 日本橋葺屋町に看板を揚げたのが始まりである。その当時の歴史をみると、1834年天保5年) 武蔵国埼玉郡千疋の郷(現在の埼玉県越谷市東町4丁目付近)で大島流槍術の指南をしていた侍・弁蔵が江戸、葺屋町(現日本橋人形町3丁目)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、果物と野菜類を商う店を構える。現在でも、埼玉県草加市北部に、わずかな面積であるものの、この「千疋」の地名が残っている。1864年(元治元年)二代目文蔵が店を継ぎ、やがて徳川家御用商人となる。1867年(慶応3年)三代目大島代次郎が生まれ、三代目代次郎は日本橋本町(室町[要出典])に店を移した。後に当時としては最新式の洋館3階建の店舗を築いた。三代目は外国産の果物を輸入したり国産果物の品種改良に力を入れ、果物専門店の地位を築き上げた。
<参考 江戸葺屋(ふきや)町 親父(おやじ)橋付近繁昌の図:http://bc6745de.sakura.ne.jp/mingas/newpage050.html