王政復古の大号令

<江戸トピック>
◆慶応3年(1867)12月9日、徳川15代将軍慶喜大政奉還を受け、倒幕派が徳川家の政権からの一掃を狙った王政復古の大号令を発しました。薩摩・土佐・広島などの藩兵が御所のすべての門を固めるという厳戒体制のもと行なわれた倒幕派によるクーデター。幕府・摂政・関白が廃止され、総裁・議定・参与を設置。天皇のもと、公家、諸大名、藩士による新政権の樹立が宣言。慶喜は二条城にいましたが、衝突回避のため、大坂城に退去しました。
 この宣言は、12月14日に諸大名に、16日に庶民に布告された。徳川慶喜の将軍辞職を勅許し、一会桑体制を支えてきた会津藩桑名藩を追うことで、慶喜の新体制への参入を排しつつ、一方では従来からの摂政・関白以下の朝廷機構の政治権力を復活させるのでもなく、五摂家を頂点とした公家社会の門流支配をも解体し、天皇親政・公議政治の名分の下、一部の公家と5藩に長州藩を加えた有力者が主導する新政府を樹立するものであった。


◆母親が亡くなる。享年85歳。もう少し生きていてほしかった。子としてここ7年あまり、尽くしてきたつもりであるが、、、。突然のことであり、とりあえず、この日からブログ中断。