今日も天気が良い日曜日である。東京マラソン開催。

◆午前中から江戸検の勉強を開始。昨日に引き続く。

<今日の小池劇場>
◆今日は11回目となる東京マラソン東京都庁をスタートして、日本橋、浅草、両国、銀座などを通り、東京駅前・行幸通りがゴールとなる新コースである。高低差がないフラットなコースである。3万6000人が参加した。優勝したのはウィルソン・キプサング選手(ケニア)で、国内最高記録を達成した。日本人最高位は井上大仁選手、女子ではサラ・チェプチルチル選手(ケニア)が優勝し国内最高記録を達成した。
小池知事が東京マラソンのボランティアを視察し、自らもメダルを渡すボランティアに参加した。小池知事は2020年東京五輪に向けて、東京マラソンの警備やボランティアなどソフト面を参考にしていく考えを示した。

<今日の読書>
 ・ 戊辰戦争
 ・ 江戸御留守居
 ・ 江戸博覧強記

<今日の勉強>
 ・ 過去問の整理
 
<今日の江戸学トピック>
アメリカの外交官タウンゼント・ハリスについて
 安政3年(1856)初代駐日総領事として伊豆下田に来航。1853年には、日本への航海を予定していたペリーの艦隊に同乗しようとしたが、軍人でないことから許可が降りなかった。そして、彼は、1854年に寧波(にんぽー)の領事に任命され、1855年には米国大統領・フランクリン・ピアースから「初代・駐日総領事」に任命され、翌年に伊豆国・下田へ入港を果たした。下田の玉泉寺に領事館を構え、幕府との交渉を望みますが、尊王攘夷派の諸侯の反対などもあって、先延ばしに先延ばしだったようだ。江戸城へ登城し13代将軍・徳川家定に謁見して親書を読み上げ、老中・堀田正睦まさよし)に修好条約の重要性を説き続け、1858年7月に「日米修好通商条約」の締結にこぎつけた。
 厳格なクリスチャンで生涯独身でしたが、下田時代に下田奉行が、看病人としてきちという女性を差し出したが、3日で去らせました。これが唐人お吉の伝説を生んだようだ。ハリスは日本に対して、非常に好意的だった。日記には「日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも、優秀であることを繰り返していおう」と書いたり、「家も清潔で日当たりがよいし、気持ちも良い。世界のいかなる土地においても、労働者の社会の中で下田におけるものよりも良い生活を送っているところは他にあるまい。」と書いたりしている。また、牛乳が大好物だったそうで、下田へ来てからも牛乳を買い求めた。
 条約締結の翌年、公使館を善福寺(東京都港区元麻布)に移したハリスは、1862年、辞任をしてアメリカへ帰国した。
 また、ハリスが唯一受け止められなかった日本の文化が“混浴”でした。「私は、何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪いことをするのか、判断に苦しんでいる」と日記に書いてあるそうです。“英雄、色を好む”と言いますが、これだけ当てはまらない人物も実に珍しいかも。

◆弘化元年(1844)2月26日、探検家間宮林蔵が亡くなりました。70歳。蝦夷地御用掛雇となり、伊能忠敬に測量をまなびました。西蝦夷樺太を探検し、樺太が島であることを確認。シーボルトの書いた『日本』で紹介され間宮海峡の名が残りました。晩年は幕府隠密として働いたそう。