200日をきりました。

◆もう少ししっかり勉強しよう。

<今日の江戸学トピック>
◆元禄4年(1691)4月19日、仙台藩第4代藩主伊達綱村が「出生の児を殺す儀に就て御禁制の覚書」を出し、間引きを禁じました。間引きは「もどす」「返す」などともいわれ、東北・関東を中心に全国的に行なわれるようになり、「五子あれば二子を殺す」とまでいわれていました。綱村が間引きの風習をいち早く禁じられたのは、殖産興業を推進したため藩の人口扶養力の大幅な向上を背景としたもの。また学問や宗教にも通じていたからだともいわれています。ちなみに綱村は幼名は亀千代で、伊達騒動で父綱宗が蟄居されられたときに2歳で藩主を継ぎました

<今日の読書>
・ 元禄時代
・ 江戸博覧強記
<今日の勉強>
・ 過去問ノート