大政奉還

◆一昨日9日は新暦でいえば大政奉還から150年でした。大政奉還とは、江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、翌15日に天皇が奏上を勅許した政治的出来事である。江戸時代、徳川将軍家は日本の実質的統治者として君臨していたが、形式的には朝廷より将軍宣下があり、幕府が政治の大権を天皇から預かっているという大政委任論も広く受け入れられていた。幕末になると朝廷が自立的な政治勢力として急浮上し、主に対外問題における幕府との不一致により幕府権力の正統性が脅かされる中で、幕府は朝廷に対し大政委任の再確認を求めるようになった。文久3年(1863年)3月・翌元治元年(1864年)4月にそれぞれ一定の留保のもとで大政委任の再確認が行われ、それまであくまで慣例にすぎないものであった大政委任論の実質化・制度化が実現した。慶応3年(1867年)10月の徳川慶喜による大政奉還は、それまでの朝幕の交渉によって再確認された「大政」を朝廷に返上するものであり、江戸幕府の終焉を象徴する歴史的事件であったが、しかし この時点で慶喜征夷大将軍職を辞職しておらず、引き続き諸藩への軍事指揮権を有していた。慶喜は10月24日に将軍職辞職も朝廷に申し出るが辞職が勅許され、幕府の廃止が公式に宣言されるのは12月9日の王政復古の大号令においてである。大政奉還の目的は、内戦を避けて幕府独裁制を修正し、徳川宗家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することにあった。しかし大政奉還後に想定された諸侯会同が実現しない間に、薩摩藩を中核とする討幕派によるクーデターが起こったのである。