柳沢吉保

<今日12月8日が命日の江戸時代人>
柳沢吉保(万治元年12月18日(1659年1月10日)〜正徳4年11月2日(1714年12月8日))は、江戸前期の幕府重臣。名は保明(やすあきら)。藩主徳川綱吉に仕え、延宝3(1675)年父の家督(知行160石、廩米370俵)を相続し、小姓組を勤めた。8年綱吉の将軍家相続に伴って幕臣に加えられ,小納戸となった。天和1(1681)年には300石を加増されたうえ,廩米を改められて830石を知行す。貞享1(1684)年200石加増。翌2年従五位下出羽守に叙任され,3年にも1000石加増。元禄1(1688)年綱吉が将軍になると側用人に登用され、1万石を加増され、大名に取り立てられた。その後、1694年川越藩主(7万余石)で老中格、1698年大老格、1704年甲府藩主(15万石)と異例の出世ぶりを示した。