赤穂浪士討ち入り

<今日の江戸学トピック>
◆元禄15年(1702)12月14日深夜(15日午前3時ごろ)、大石内蔵助良雄率いる赤穂藩浪士46人が江戸本所の旗本・吉良邸に討ち入り、吉良上野介義央を殺害。吉良方は死者16名、負傷者数十人を出しました。上野介を探すのに約1刻(2時間)かかったそう。炭などを保管する小部屋に上野介が隠れており、そこをつきとめ首を切り落としました。1年前の3月14日、江戸城松の廊下で主君の浅野内匠頭長矩が上野介を斬りつけ、浅野内匠頭切腹赤穂藩は取り潰しになった事件の仇討ちを果たした。その後浪士たちは亡き君浅野内匠頭長矩が眠る泉岳寺に向かいました。後に幕府は斬罪とせず、翌年2月4日浪士たちは切腹泉岳寺に葬られた。