新年あけましておめでとう。

◆今年の目標は。
 ① 仕事の充実と新たな仕事の発掘。
 ② 自分の記録を
 ③ 江戸検1級と京都検2.3級の合格を。

◆「風雲児たち蘭学革命篇(らんがくれぼりゅうしへん)」について(NHK19時20分から)
 とてもおもしろい物語でした。史実に沿った時代劇で、戦乱や争いごとを扱わないものって今まであまりなかったんじゃないでしょうか。歴史上の人物である杉田玄白前野良沢の成し遂げたことの偉大さに今更ながら感嘆しました。「旅行のための初歩のオランダ語会話」レベルの覚え書きと蘭仏辞典だけで、医学の専門書を翻訳するなんて想像を絶する難題だったでしょう。現在の僕たちに置き換えれば、辞書もネット検索もなしに英語で書かれた最新医学の専門書を訳せと言われたようなもので、英語教育を受けた僕たちですらほぼ不可能に近いんじゃないでしょうか。ドラマとして描きたかったことはたった1シーン。杉田玄白前野良沢の決別のシーンだったのではないでしょうか。少しでも速く解体新書を出版することで日本の医療を変革したい杉田玄白と、医療を変革するために完璧な翻訳を追究する前野良沢。二人の独白を交互に映すのですが、セリフは全く同じ。「自分の名などどうでもいい」「医術のためになした事だ」「大事なのは信念を貫くこと」二人の吐くセリフは全く同じでありながら目指す方向は全くの逆。この二人の男の信念のぶつかり合いと決別が胸を熱くさせそしてなんともいえない悲しみ、寂しさも感じさせられる名シーンでした。ただ、そのために前後の出来事は全体的に説明的で流れを視聴者にわからせる事に重点が置かれていたのがもったいないと感じました。もっと長丁場で、もしかしたら大河ドラマとしてじっくり描いても面白かったんじゃないでしょうか。『風雲児たち蘭学革命篇〜』では、前野良沢杉田玄白の『ターヘル・アナトミア』の翻訳に対する考え方の違いが鮮明に描かれていました。これも良かったと思います。前野良沢が、『解体新書』の刊行には不賛成であったのは、完璧に翻訳できた後で出版すべきだと考えていたからです。前野良沢は、学究肌の人だったようです。一方、杉田玄白は、不十分であっても世間に発表することが大事だという考えでした。その結果、前野良沢の名前が『解体新書』から消えることになりました。そのため、『解体新書』は杉田玄白が翻訳したように見えることになります。
『解体新書』に前野良沢の名前が載らなかったことによって、二人の晩年は大きな差が出ることになります。風雲児たち蘭学革命篇〜』では、杉田玄白の還暦のお祝いに、前野良沢が招かれるという場面で始まり、最後は、その場面で終わりました。記録によれば、寛政4年(1792)には、杉田玄白が還暦となり、前野良沢古稀を迎え、実際に二人のための賀宴が開かれています。しかし、この時の二人を取り巻く環境は、『風雲児たち蘭学革命篇〜』で描かれたように、杉田玄白は、『解体新書』の出版以降、杉田玄白は、非常な名声を博していた一方で、前野良沢の晩年は必ずしも恵まれたものではありませんでした。

<今日の江戸学トピック>
◆初登城
 東都歳時記には、初登城の様子が短く次のように書かれている。「御一門方御譜代御大名衆御礼(装束にて卯半刻出仕)御役人方御礼登城」と書かれている。初登城は元日から三日までの三日間に、身分格式によって日を分けて行われていた。どのように年始の挨拶がされたか「徳川幕府事典」によると次ある。元日の登城参賀は、①将軍世子、②御三卿、③御三家、④譜代大名、さらに④特別待遇の外様大名、⑤高家、⑥幕府諸役人でした。卯半刻とは午前7時頃を云いますので、初登城は早い時刻に行われたようである。元日は、中奥御座之間で将軍世子と御三卿により年賀が行われた。次いで白書院で御三家や加賀、越前、井伊など四位以上の者の年賀が行われた。ここでは、将軍は上段に着座し、拝謁者は一人ずつ下段に進んで、太刀を献上し、将軍から盃・時服が下賜されたそうである。その後、大広間で五位以下の者から年始のお祝を受けたが、この際、将軍は着座せず立ったまま年賀を受けました。将軍が下段に立ち、老中2名が左右から、二之間との境にある襖を開けると、二之間に控えた人たちが一同揃って挨拶した。
 二日の登城参賀は、①御三卿の子息 ②御三家の嫡子、④外様大名 ⑤万石以下の従五位、⑥布衣 ⑦御目見以上2日目には、旗本も将軍に拝謁しました。三日の登城者は、①無位無官の大名・寄合 ②500石以上の無役の旗本 ③御用達町人等でした。500石以下の無役の旗本は3年に一度の拝謁でした。

<今日の京都新聞
◆ワンダフルな一年に、初詣にぎわう (京都市左京区
 雲間から太陽が姿を見せた元日の朝、京都の社寺では大勢の参拝者が初詣に訪れ、家内安全や商売繁盛を願って手を合わせた。京都地方気象台によると、1日の京都市内の最低気温は2・6(平年1.8)度で、3月上旬並みのやや暖かい朝となった。京都市左京区平安神宮では、訪れた家族連れらが本殿前を埋め、手を合わせて1年の幸せを祈ったり、お守りや置物を買い求めていた。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180101000031