金地院崇伝。生類憐みの令を廃止。

<今日の江戸学トピック>
寛永10年(1633)1月20日徳川家康の参謀役として活躍し、「黒衣の宰相」と呼ばれた臨済宗の僧、金地院崇伝が亡くなりました。65歳。本名は以心崇伝。幼時より京都南禅寺に入門。塔頭金地院に住み、南禅寺の再興に尽力。徳川家康につかえ、外交事務、方広寺鐘銘事件や寺社行政、禁中並公家諸法度など各諸法度の起草、キリスト教の禁圧、紫衣事件に関与し、幕府の基礎づくりに貢献。3代家光の時代になってようやく勢力を失いました。

●金地院崇伝(こんちいん すうでん・以心崇伝(いしんすうでん)・没年:寛永10.1.20(1633.2.28)・生年:永禄12(1569))
 江戸前期の臨済宗の僧。室町幕府に仕えた一色秀勝の子。幼くして南禅寺の玄圃霊三にあずけられ,靖叔徳林の法を嗣ぎ慶長10(1605)年南禅寺住持となる。徳川家康に仕えて寺社を管理、外交文書を掌り、その間の記録『異国日記』を残した。またキリスト教禁制の国書・禁中並公家諸法度武家諸法度・寺院法度を起草、大坂の陣では方広寺の鐘銘問題で家康のために画策するなど、徳川幕府権力の確立に尽くした。京都と江戸の金地院を往反し僧録として五山以下の禅院を統轄した。豊臣秀頼を攻める大坂冬の陣(1614)の発端となった方広寺鐘銘事件,朝廷と寺社のかかわりを問題とした紫衣事件などでは幕府側にたち強硬策を唱えた。日記として『本光国師日記』,外交にかかわる『異国日記』がある。 )

◆生類憐みの令廃止
 宝永6年(1709)1月20日、6代将軍徳川家宣が生類憐みの令を廃止。5代将軍綱吉が制定し、死後も守るようにと遺言を残したものの家宣は撤廃しました。悪法に悩まされた民衆はこの決定を喜んだそう。中野に作られた野犬を収容する犬小屋は最高時で4万2000頭収容され、費用は全て江戸の市民や周辺の村が負担していたようである。
<参考>第6代将軍家宣。そして第7代将軍家継(http://d.hatena.ne.jp/ks9215/20160801#p2

《きょうの京都通》
●全国的にも珍しい 「 縁戻し 」 のご利益がある神社はどこか。
 ア、櫟谷七野神社  イ、安井金比羅宮  ウ、地主神社  エ、野宮神社
<解答>  ア、櫟谷七野神社
<解説> 櫟谷七野神社 ( いちいだにななのじんじゃ ) はかつての斎院跡にあり、宇多天皇の皇后が、 「 社前の白い砂を三笠山の形に積んで祈願せよ 」 とのお告げを得て、その通りに砂山を作り祈ったところ、天皇の愛情が戻ったという逸話から縁戻しのご利益で知られている。祇園にある安井金比羅宮は縁切り縁結びのご利益があり、清水寺の鎮守社である地主神社と嵯峨野の野宮神社は縁結びのご利益がある。(2級)