3月2日ですね。

<今日の江戸学トピック>
遠山景元(とおやま・かげもと 金四郎のち左衛門尉 1793-1855)は、遠山景晋(かげみち)の実子で、江戸町奉行を務め名奉行と謳われた旗本である。永井家から遠山家に養子に入った景晋は、自分が養子入りしたのちに養父景好(かげよし)がもうけた景善(かげよし)を養子(遠山家の跡継ぎ)とし、景善はまた景元を自らの養子とした。このような複雑な家庭事情から、青年時代の景元は、無頼の徒と交じり放蕩に耽ったとも言われている。この頃の呼び名が〝遠山の金さん(あるいは金ちゃん)〟。若いころは放蕩三昧で吉原に居続け木挽町森田座囃子方で笛を吹いていたそう。
 文政7年(1824)に養父景善が没し、同12年に景晋が隠居したのに伴って家督を相続した景元は、その後、小納戸、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行を経て、天保11年(1840)3月2日、勘定奉行の遠山左衛門尉景元(48)が北町奉行に就任。老中の水野忠邦が抜擢。12代将軍徳川家慶に譲りながらも大御所政治を展開する家斉の乱脈政治をやめさせるという思惑が働いたからだそうだ。治安の乱れた江戸の市中を一掃させる狙いがあった。老中水野忠邦(ただくに)が断行した天保の改革で、穏健派の景元は、強引に改革を実現しようとする鳥居耀蔵(とりい・ようぞう)(鳥居甲斐守忠耀)らと対立して大目付に転じるが、弘化2年(1845)に再び町奉行南町奉行)になり、嘉永5年(1852)3月、60歳で辞職。同じ人物が町奉行に再任されるのは初めて。安政2年(1855)没。享年63歳。

◆今日の勉強 5時間・通算175時間
 ・江戸の見世物 ①
 ・江戸博覧強記  ①
 ・年号等 
 ・江戸博覧重点事項ノート
 ・人名300

◆3月からの勉強計画
 ○江戸博覧強記精読(月2回)
 ○江戸博覧重点事項ノート(5月完成へ)
 ○過去問チェック(月2回)
 ○江戸のヒロインノート(5月完成へ)
 ○幕末ノート(5月完成へ)
 ○人名300 (月1回)
 ○記述問題 (月1回)
 ○年号等 (日々)
 ○江戸物の熟読(30冊)