今年の漢字は「災」。

今年の漢字は「災」。京都・清水寺で発表される。一年の世相を表す「今年の漢字」に「災」が選ばれ、京都市東山区清水寺で12日、日本漢字能力検定協会(同区)が発表した。同寺の森清範貫主奥の院の舞台で大型和紙に揮毫(きごう)した。

<今日の江戸学トピック>
◆「執着の心や娑婆(しゃば)にのこるらん吉野の桜更科(さらしな)の月」──寛政10年(1798)12月12日、狂歌師、朱楽菅江が亡くなった。61歳。江戸市谷に住む与力。同門の四方赤良(よものあから)(蜀山人大田南畝)、唐衣橘洲(からころもきっしゅう)らに誘われて狂歌を始め、赤良、橘洲とともに三大家と数えられた。代表作は『故混馬鹿集(ここんばかしゅう)』(『古今和歌集』をもじる)など。晩年になると門下の朱楽連の指導は妻の節松嫁々(ふしまつかか)に任せていた。
 朱楽 菅江(あけら かんこう、元文5年10月24日(1740年12月12日)? - 寛政10年12月12日(1799年1月17日))は、江戸時代後期の戯作者、狂歌師。大田南畝(おおたなんぽ)、唐衣橘洲(からころもきっしゅう)と共に天明狂歌ブームを築き、狂歌三大家といわれた。別号:朱楽漢江・朱楽館・准南堂・芬陀利華庵。生年は1738年とも。牛込の二十騎町に住む幕臣(御先手与力)で、本名は山崎景貫。通称は郷助。字は道甫。俳号は貫立。筆名はあっけらかんのもじり。菅江を中心としたグループは朱楽連と称した。唐衣橘洲の『若葉集』(1783年)に対抗して、大田南畝と共に『万載狂歌集』(1783年)を編んだ。妻のまつも、節松嫁々(ふしまつかか)という号の女流狂歌師として有名である。

文久2年(1862)12月12日、品川の御殿山に建設中のイギリス公使館が長州藩尊王攘夷派の志士らの焼き討ちにあい、全焼。犯行に加わったのは高杉晋作久坂玄瑞、志道聞多(井上馨)、伊東俊輔(博文)ら江戸滞在中の長州藩士ら12名。イギリス仮公使館東禅寺襲撃事件後の補償交渉で幕府は各国公使館を適当な場所に建設することになっていました。建設費用はすべて幕府もちで進められていました。