今日は春分の日。 そして墓参り。(ブログ作成68日、現在65日間継続中)  地下鉄サリンから17年

 春分の日秋分の日といえば、昼と夜の長さが同じ日と思っている方が多い。私自身も、春分の日秋分の日は太陽が真東から昇って真西に沈むので、昼と夜の長さがほぼ同じになる日と小学生のときに習った記憶がある。春分の日(しゅんぶんのひ)は、春分が起こる日である。しばしば、「昼と夜の長さが同じになる。」といわれるが、実際は昼の方が長い。
 春分の日は、日本の国民の祝日の一つである。1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)によって制定された。祝日法第2条では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。休日としては、1878年明治11年)改正の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治11年6月5日太政官布告第23号)による春季皇霊祭から続くもので、1947年(昭和22年)に廃止される休日ニ關スル件(昭和2年3月4日勅令第25号)までこの名称だった。仏教各派ではこの日「春季彼岸会」が行われ、宗派問わず墓参りをする人も多い。
 春分の日は、3月20日から3月21日ごろ。祝日法の上では「春分日」としている。国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、前年2月第1平日付の官報で発表される。つまり、2年後以降の天文学における春分日は計算によって求められるが、2年後以降の春分の日は確定していないのである。ただしこれまでに、天文計算によって求められた春分の日付以外の日が春分の日とされたことはない。なお、天文計算上1990年から2025年までは閏年とその翌年が3月20日になり、その他の年は3月21日となる。2026年からは閏年の前年が3月21日になり、その他の年は3月20日となる。今日の太陽は、真東からのぼり、真西に沈む。昼と夜の長さがほぼ同じようで昼が長い。明日いこう、昼が長くなる。春分の日をはさみ、7日間をお彼岸とするのは、あの世(彼岸)とこの世(此岸:しがん)が近づくから。
 今日は、父と妹の墓参りをした。父は亡くなって22年、妹は亡くなって55年が経つ。特に妹に対してはあまり記憶がない。父は厳しい人であったがわたしの行動や性格に大きな影響を与えた。ちちの墓前で、母親をまだまだ長生きさせると誓ったが、老老介護が近づき、不安を覚える。これからの私の人生はどうなるのであろうか。

●休日で忘れがちであるが、地下鉄サリン事件から17年。時とともに忘れがちであるが、まだまだ全容が解明されていない。特別指名手配者がまだ2人いる。そしてまだ、地域に信者がいる。なにも解決せず、風化させてはいけない。

●まもなく新年度。心身のバランスを整えて、新しい出逢いと環境に備えたいもの。ある専門家の話であるが、(私は、慢性ではないが、肩がこりやすい。)慢性的な「首こり」について早食いをする人には、首こりが多い。それの理由とは?
 早食いの人は、食事のたびに、胃下垂気味になってびよーんと胃が下に下がります。若いうちはいいのですが、そのうち胃を支える筋肉が、入ってきた食べ物の重さに耐えられなくなってしまうんですね。重みで胃が、びよーんと下がるついでに、「横隔膜」も下に引っ張られます。横隔膜というのは、肺を支える肋骨の下あたりにあるのですが、この横隔膜を動かす神経を「横隔神経」言い、そしてこの神経、なんと、首(頚椎)からぐーんと伸びている。胃が下垂するのと同時に、横隔神経を通じて首に緊張が走る。慢性的な首こりに悩んでいる方は、実は「胃からきている」というケースが多いのです。
 食べ過ぎの翌日、寝違えが起こった経験は、胃から来る首への負担らしい?「早食い」もさることながら、胃が、重みに耐えられないくらいに下がってしまうのは、胃に入った食べ物がなかなか次の十二指腸へと食べ物を送り出してくれない。胃の出口にはバルブのようなフタがあって、これを「幽門弁(ゆうもんべん)」と言う。食べ物は、ある程度まで胃の中で消化されてから、十二指腸へと移動するようになっているが、胃と十二指腸をつなぐフタがなかなか開かないと、胃の中には、食べ物がどんどんたまっていく。十二指腸をつなぐフタ(幽門弁)の開閉は、心理的なストレスに、かなり左右される。

●橋下大阪市長が導入を目指す「大阪都」構想をめぐる議論は、一見真新しいもののようであるが、大都市自治制度に関する議論には古い歴史がある。現行の大都市自治制度の二類型である都区制度と指定都市制度は、地方自治法が成立した時期の前後にそれぞれ成立した。東京では、戦時中の1943 年に東京都が誕生し、大阪など五大都市では、1956 年に指定都市制度が採用された。日本の大都市におけるこの2つの自治制度は、それぞれ様々な問題が提起されながらも、自治制度管理を行う中央レベルでの制度改正に関する議論は低調で、半世紀にわたり2つの制度が継続するに至る。中央レベルでの議論が低調であった理由としては、現状が安定していることにあり、さらに都市制度の改編が関係者の利害がからむものとなり、困難な議論となることが予想されたことによる。指定都市が存在する大都市部では、広域自治体としての府県と、基礎自治体としての指定都市との間で、二重行政や広域自治体の事務の空洞化が生じることとなった。一方で東京においては、基礎自治体としては不十分な権限しか持たない特別区が設置され、強すぎる広域自治体としての東京都に対する反発も相まって、都区制度は首都東京に限った不完全な自治制度であると認識されることとなる。
 大阪都構想は、大阪府知事であった橋下徹氏が、2010 年4月に打ち出し、その後選挙戦などを通じて、大阪都実現に向けて動き出した。大阪都構想とは、大阪府内の指定都市である大阪市堺市を廃止したうえで、新たな基礎自治体としての特別自治区を設置するというものである。また、指定都市の事務のうち広域自治体が担うべきとされる水道事業や公共交通に関する事業などを、新たに広域自治体として設置する大阪都に集約することになる。都制導入の主要な目的は、大都市部における二重行政を解消し、世界の大都市と競争するための都市機能を強化することにある。橋下氏の都構想により、これまで都制が首都東京に限った制度であるという認識から、他の大都市においても適用可能なものであると認知されることとなった。また、大阪都構想においては、現行の東京都の都区制度をモデルとしながらも、中核市並みの権限を与える特別自治区としての制度設計を行っている。これは、東京都制において、基礎自治体が不完全とされる制度的な欠陥を補うものとしてとらえることができる。大阪都構想に対しては、指定都市である大阪市などから反論が出された。基礎自治体としての指定都市を解体し、広域自治体に権限を与えるのは地方分権に逆行するのではないかといったことや、都区制度は不完全な自治制度であり、採用するには値しない自治制度であるといった反対論が展開された。こうした大阪都の議論の一方で、新たな自治制度に関する提案が関係自治体や関係団体
から、いくつか出された。大阪府自治制度研究会は、独自に大阪地域再編への提案を行った。指定都市市長会は、一層制の自治体として特別自治市の提案を行っている。また、大阪以外の指定都市の中には、行政区に積極的に権限を与える域内分権の試みもみられる。大阪都構想を一つの社会現象としてとらえたとき、その主な特徴は、①現行の大都市自治制度に対する異議申し立て、②公選首長などの政治的役割の強化、③地方自治制度管理について中央省庁の独占的役割が崩れつつある、といったところにある。また、現在の大都市行政が抱える問題点を、政治と行政の役割の明確化、基礎自治体広域自治体の役割
分担の明確化によって解決しようという意図が見て取れる。「強い広域自治体」と「やさしい基礎自治体」という表現での自治体の役割分担については、経済のグローバル化時代の自治体に望まれる役割に、かなうものであると言えるだろう。

●となりの日記より
 となりの日記を読むと、相当勉強しているなと感心させられる。特に今回は『よねぶくろ』さんが参考になる。私のブログもとなりの日記として紹介されることもあるのだろうか。となりの日記の方のブログを読みたいものである。
① 2012-03-20 赤い薔薇のSoliloquy 【春分の日秋分の日】
春彼岸・・・「春分の日」の前後7日間(3月18日〜24日ごろ)
秋彼岸・・・「秋分の日」の前後7日間(9月20日〜26日ごろ)
一年のうちで昼の長さと夜の長さが同じになる日は2回あり
春分の日」を境にして夏至まで昼間が徐々に長くなり、夜が短くなっていきます。春分の日は昭和23年に「国民の祝日に関する法律」により、*1国民の祝日と制定された。
② 2012-03-19 『よねぶろ』 〜 Yone-chan’s weblog春分の日を前に→休みと曜日の関係」
 一頃に比べると随分日が長くなってきているように感じるのは明日が“春分の日”だからだろうか。“春分”とは二十四節季のひとつで昼と夜の長さが同じになる日のことで、春分の日とは、春分が起こる日のことを指す。
 雑学を披露するならば、春分の日とは祝日法によって定められていながらもハッピーマンデーとも異なる変動祝日で、その日が20日になるのか21日になるのかは国立天文台の計算によって閣議決定され、前年の2月に発表される。つまり、2年後以降も春分の日は計算によって求めることが出来たとしても、2年後以降の春分の日は確定していないことになる。これは9月にある秋分の日にも同じことが言える。ちなみに、秋分の日は計算上、この30年近くは9月23日で変化がなかったとのことだが、今年から2044年までの閏年に限って変動するとのこと。よって、いきなり閏年の今年の秋分の日は116年ぶりの9月22日。尚、もうボクは生きていないと思われる2092年の春分の日は3月19日となるらしい。
 どうやら“閏年”が影響していると考えられる天文計算によって定められた今年の春分の日は明日。そんなことなどすっかり忘れていたような感じもある。日曜日に休んで月曜日に働いて火曜日にはまた休んで水曜日から金曜日までまた働く。休みがあるのは有り難いとしても、張り切って迎えた月曜日の出鼻を挫かれるかのような火曜日の休みは個人的には好きではなく、水曜日が最も好都合で第二希望が木曜日が理想的。テンションをキープする上で休みと曜日の関係ってやっぱり大切。ゆえに『今年が閏年じゃなかったら』なんて考えてみたりもする。閏年でなければ今年の春分の日は21日となるけれど、2月29日が消滅した分、21日は火曜日に移動する。結局、火曜日にしか休めなかったのが今年の春分の日であったりもする。(今の世の中、休めるだけ幸せだろうか(笑))
③ 2012-03-20 シンクロweathercock 「読書デー」
 橋下徹堺屋太一共著「体制維新−大阪都」を読みました。これは橋下大阪市長が市長選前に出した本で、大阪都構想を説明したものです。大阪市大阪府の二元行政になっているものを一元化し、競争力のある大阪都を作ろうという話はまあそれはそうですわなぁという感じで納得。それよりも大阪府知事になってからの既得権益を守る反対勢力との権力闘争にリアリティを感じました。やっぱりものごと変えるには闘いが必要なんでしょうね。うーん面倒だけどこれが現実か。はぁ。

<3月20日生まれの偉人>
◆安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - )は、日本の画家、装幀家、絵本作家、元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。現在は東京都小金井市在住。文化功労者
 子供の頃より、画家への夢を抱き、美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表してきた。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く。森鴎外の翻訳『即興詩人』(アンデルセン原作)の熱心なファンで、舞台となったイタリアの紀行文『繪本即興詩人』を発表している。
 ●画家・安野光雅さんは1926年生まれだから86歳。次第に人気が高くなり重みが増していく人だ。この画家は、絵もさることながら文章もうまい。まず、記憶力がいい人だ。子供の頃からの想い出も細かく記している。それは観察力に優れているからだろう。そして徹底的に調べる人でもある。安野光雅美術館のある津和野にはまた訪ねてみたいものである。西周森鴎外などの故郷。鴎外記念館などがある。