『山縣有朋の挫折・・・誰がための地方自治改革』(内閣府事務次官松元崇)について

● 今日につながるわが国の地方自治制度は、明治20年代前半に江戸の自治を土台として山縣有朋が作り上げたものである。その際土台とされた江戸の自治は、実は、フランス革命期に活躍したフランスの思想家であるトクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で描写している米国独立直後の東部入植地で行われていた自治と比較しても決して見劣りしないも のであった。近代国家になる前の江戸時代のほうが、地方自治が徹底していたという。明治維新では、これは変わらなかった。廃藩置県にもかかわらず、豊かな財力を背景に、町村自治がしっかりしていた。「地方自治などということは、珍しい名目のようだけれど、徳川の地方政治は、実に自治の実を挙げたものだよ。名主といい、五人組といい、自身番(交番)といい、火の番といい、みんな自治制度ではないかのお」これは、山縣有朋地方自治が、それなりに定着しつつあった明治26年に勝海舟が述べている言葉である。
 日本は開国以降、欧米の諸制度を導入した。山縣有朋は国会開設に備えて、地方自治制を立憲制の学校としようとした。分権や自治をおろそかにして国会を開設すれば、まともな議会政治を確立することはむずかしいと考えたからである。しかし、地方自治を国家の基礎とし、町村から府県へ、府県から国へと選挙を順次実施するという構想は現実政治の前に破綻した。山縣自身も変節したし、地方自治を基礎にと考える後藤新平高橋是清も暗殺される。地方自治は民主主義の学校といわれる。わが国の民主主義が、戦後、米国によって初めてもたらされたものだと思っている人には、軍閥の祖であり、官僚政治の権化ともされる山縣有朋地方自治を立憲制の学校と考えていたことは意外と受け止められるかもしれない。しかしながら、民主主義も歴史の産物である以上、戦後になって突然地域に根差した民主主義がわが国に芽生えたわけではないのである。
 そのようにして山縣が創り上げた地方自治は、残念ながら当初の山縣の思惑通りには育たなかった。山縣自身も、日露戦争後には自ら創り上げた地方自治を見捨ててしまった。日露戦争の戦費調達のための地租増徴の実現に向けて、帝国議会において強烈な個性を持っていた議会の指導者、星亨と渡り合った山縣の関心は、帝国議会での政党勢力の「暴走」を防ぐことに専ら注がれることになったのである。そのようにして、山縣に見捨てられたわが国の地方自治は、その後、原敬後藤新平、更には高橋是清が、それぞれの見識に基づいて発展を図ることになる。そして、大正デモクラシー期には、少なくとも都市の自治に関しては、その前途は洋々たるものに見えたのであった。
 いまの日本の地方自治はおよそ自治というにはほど遠い。財源にしても、国からの地方交付税交付金などに大きく依存している。なぜ、そうなったかを本書は教えてくれる。地方自治をめぐる具体的な歴史の歩みはもっと複雑だが、軍備増強や戦争以外に、庚戌の大洪水(明治43年)、関東大震災(大正12年)による損害が、日本国の歩み、地方自治をめぐる歩みに大きな影響を及ぼしたことを知った。大洪水では、東京の下町のほとんどが泥の海に化したという。浸水家屋27万戸、家屋の全半壊・流失4000戸弱、被災者150万人、死者・行方不明1100名余。昨年のタイの大水害を思わせる。
 また、関東大震災は罹災者340万人、死者・行方不明10万人余、損害額はGDPの3分の1を超えるものだった。関東大震災によって、「第一次世界大戦後に戦勝国の一員として一等国になったはずのわが国は、再び以前と同様の財政的な敗戦国に転落してしまった。後の昭和の金融恐慌も金解禁不況も、いってみれば、財政的に再び敗戦国になった状況の中で無理をしたことによって招き寄せてしまった問題であった」。この記述は、今後起きると予想されている関東直下型大地震を想起させ、不気味である。

● 川島博之、東京大学潤教授著書「戦略決定の方法」はすごい。世界経済の潮流の変化によるダメージと「3・11」の大震災はこれまでの日本の成功体験が機能しない時代を迎えたようである。では、これからの日本をどのように捉え、読み解けばよいのか、この本は、現実と、歴史から学ぶ為にも示唆が多い。
 かつて、まだ、コンピュターのない時代、ドイツ軍に攻め込まれた劣勢のイギリス軍は窮地のなかでいかなる戦略を構築し勝利に至ったのか。イギリス軍では、ノーベル賞級の科学者が動員され、自然科学の知識や手法を戦争に関わるあらゆる分野に応用させた。「社会システム分析」はデーターに基づく目的の為の最適化を考案した。シザー、ナポレオン、諸葛孔明などの軍需の天才のみがなし得た「的確な戦略と決断」を科学の力で再現した。イギリスの勝利はアメリカ軍の中にも社会システム分析の導入となり、戦後アメリカ経済界もビジネスに活用し、アメリカでは「シュミレーション」と呼ばれビジネスシーンでは、このような概念に基づき大いなる進化を遂げた。
 世界にも例をみない人口減少社会を迎えた日本社会を担うどのような立場からも「社会システム分析」の概念と変遷を理解し、リアルな戦略で具体的な行動につなげていくことで、日本の現状解決に各分野で活用できる。日本の近代史を鑑みますと、日露戦争時の秋山兄弟の貢献した戦略による勝利以後、日本には戦略なきことを野中郁次郎氏チームは検証された。著書「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」のなかで、日本の戦略なき中枢部の体質に関して紹介されている。

● 今日19時から知研「寺島実郎セミナー」へ参加した。場所は日本財団ビルにある日本財団会議室で行われた。寺島さんの講演を聞くのは今年二回目である。前回は1月17日寺島文庫リレー塾2011第6回『2012年への展望』以来である。その内容を再現すると、
・日本近代史を変えた二人のアメリカ人
ペリーとマッカーサーの存在が大きい。開国による日本近代化、そして戦後復興と日本大きな革新に多大な影響を与えた。
・日本の帝国主義と米国のアジア進出の同時化
日清戦争、中国に進出した日本と遅れてきた植民地大国アメリカ。中国はアメリカの参加を望んでいた。米中関係の成立。相思相愛の関係で近代史の根っこから深い関係がある。(アメリカと中国語で『美国』と呼ぶ)
・日本にとってのアメリカの存在
アメリカの特徴は「抑圧的寛容」である。自分が有利なときは思いやりをみせる。相手が力をつけ、凌駕しているときは異様な猜疑心になる。
・日本は敗北のトラウマをまだ引きずっている。中国に対し、アメリカの力をかりる。内なる危機(財政赤字・少子高齢・人口減少など)に悩まされて世界に目がいかない。(例:世界人口が70億人を超えていること。)東西冷戦の意識のまま。
戦後60年アメリカを通してしか世界をみられない日本。二国間しか見えない。冷戦中はアメリカに見守られて、繁栄してきた。アメリカは戦後、蒋介石政権を支持してきたが、中国が共産党政権になったために、日本を支配・支援してきた。
・日本の貿易相手が中華圏が約3割、アジア5割。対米貿易は12%。大半は穀物と航空機の輸入。
・無極化(全員参加型秩序)
・70億人が自己主張し、より豊かな生活を求め、動いている。昨年12月のCOPは何も決められずに10年先のばし。G20すら束ねられず、まさに全員参加型。
・これからの日本の立ち位置
2046年に行かずに日本の人口は一億人を割る。3000万減少するビジネスは大変である。まさに、日露戦争前後に戻り、元の木阿弥になる。しかも65歳以上が4割になるという危機感(日露戦争当時はあまりいなかった)。人口予測はよほどのことがない限り、このままになり、世界の人口は増え、日本はピークアウトしている。
山本義隆秋田明大
・金融肥大化産業国家としての米国
・金融資本主義の制御・空洞化からキャピタルフライト
・冷戦時は、軍需産業であったが、その後濡れ手で泡の金融モデルの出現。1980代LBOファンド、1990代ヘッジファンド、そして21世紀初頭のサブプライムローン」という犯罪に近い虚構の金融モデル。
・欧州の背後にも金融資本主義が進出。売りぬく資本主義で資本主義が変わる。まさにカジノ資本主義で金融が肥大化して制御できない状態。
・川上インフレ川下デフレ
・日本の構造矛盾。企業物価指数をみると、素材原料はリーマン後上昇しているが、最終財特に耐久消費財の価格が低下。より深刻な消費低迷
・分配の公正化の問題
・資産家の没落とサラリーマンのゆでガエル化と生活保護者の増加
ワーキングプア問題「200万以下の収入で働く人は労働人口6272万の30%に当たる2165万人」と生活保護需給世帯が最新で200万世帯を超える。この現実の中で不退転の覚悟で消費税を上げる政府の感覚に疑問。まず、企業が労働分配を引き上げるためにはどうするのかが重要ではないか。
・寺島さんのスタンス
マネーゲーム批判・間違った戦争イラク戦争・解説的教養主義でなくあるべき方向感を提示する政策科学へ。

である。世界を知る寺島さんが、2カ月過ぎた世界をどうみるのか、興味をもって仕事終了後に参加した。

 そして本日のテーマは「エネルギー」であった。
原子力は一定程度保持すべきだ。原子力の平和利用に徹した国の代表としての自覚。技術基盤の蓄積と専門人材の育成という国際貢献の視点。
・今のアメリカ。原子力ルネッサンス。スリーマイル事故から30数年。原発をつくらなかったが、この2月に2基初めて増設、そしてサウスカロライナにもう2基。小型原発。マンハッタンの北57キロのインディアンポイントの原発が古いタイプのマークワン(福島と同じ)、これをどうする? 石炭が高効率になってきている。
・日米原子力共同体における位相の転換が起こっている。2006年の東芝ウェスティンハウス買収、2007年の日立・GEの新会社、フランスのアレバ社と三菱重工の合弁、など日本企業が原子力の中核になってきたという現実。
原子力の民生、平和利用については日本が中核的担い手になってきた。このことを自覚した上でどう考え、どう再構築するか?
1951年の九電力体制(ポツダム政令・火主水従)。1953年。アイゼンハワーの平和利用。日本の核アレルギー除去キャンペーン、中曽根・正力。広島に原発を。1955年、全国平和利用博覧会。原発基本法。1957年、米と契約、ウラン、プラント。1966年、英国製。1970年、敦賀(GE)、三島(ウェスティン)、福島(GE)。
・日米軍事同盟の中、米国の核の傘に入っていて、脱原発で済むのか?日本は技術を持っている立場で平和利用の進化。原爆はいつでもつくれるがつくらない。3.5万人の原子力工学の卒業生。9千人は電力会社。2.4万人がメーカー。
・東電問題、現在の案は財務省主導。アメリカ型。賠償会社になってしまう。モチベーション低下。
・国家が原発部門だけを切り離して統合する。技術者の分散配置の問題。危機的対応能力の問題。経済性探求の論理の問題。経営リスクの限界を超えられないという問題。だから国策統合会社で総合管理が必要。フランス型がいい。開かれた推進体制。
・今の中国、ロシアの原発は高度になりつつある。
アメリカ。再生エネルギー熱はしぼんでいる。助成金が必要という弱点。雇用を生まないという弱点。天然ガス(日本16ドル・欧州9ドル・米2.27ドル)シェールガスへの動き。シェールオイル。油田の発見以来の高揚感。シェールガス革命。北海油田以上。」米中連携。非FTA国には売らない?
日本近海のメタンハイグレードは日本のシェーリガス。資源大国への道。海洋と宇宙の相関。美しい言葉に騙されていけない。絵空事でなく、エネルギー問題に対峙してどうしたらいいかを考えなければならない。

 さすがに世界状況を踏まえたエネルギー対策の提案である。前回の発言同様、政策科学の立場からの講演であり、示唆に富む話しであった。

北尾吉孝日記から 『思考の三原則〜原発問題の考え方〜』
 安岡正篤先生は「思考の三原則」と称して、長期的・多面的・根本的に物事を見るということを様々な書物で説かれてきました。一つの現象において、三つの側面に拠ってものを考えて行くのが正しい考え方であるという我々に対する安岡先生のメッセージとして私は認識しています。
以下、東日本大震災以後の原発問題を例に考えてみますと、「原発は止めるべきだ」といった発言がある一方で「停止など馬鹿げている」と言う人もいて、Twitter上でも様々な論争が展開されています。
原発停止を馬鹿げていると言う人の一つの考え方というのは、詰まる所「経済的合理性」ということに終着します。 即ち、「福島原発事故に因る放射能で直接的に死亡した人はゼロではないか」とか「長期に亘る放射能汚染で重患になる人は殆どいないでしょう」といったもの、あるいは「今回の地震が想定外の想定外であるならば、福島県以外で稼働中の原発まで何故停止する必要があるのか。エネルギーコストを考えてみるべきだ」というのが、彼らの議論において一つの主になっているところです。 そしてもう一方の見方というのは、今回の地震が想定外の想定外であるという主張に対し、『日本周辺では4つのプレート(「北米プレート」、「フィリピン海プレート」、「太平洋プレート」、「ユーラシアプレート」)がせめぎ合っており、内陸部には多数の活断層が分布している正に地震列島です。そう簡単なものではありません』といった類の議論です。
例えば、先月発表された東京大学地震研究所の試算では「マグニチュード7級、最大震度7の首都直下型地震が今後30年以内に70%の確率で発生する」とされ、東海・東南海・南海やその他諸々の地域でも地震発生のリスクが指摘されているわけですが、そうした状況の中で「原発は最早永続的に停止すべきだ」というような主張を行う人も当然出てきます。そして、このような原発問題に関する賛否双方の見解を踏まえた上で重要な論点の一つとなるべきは、原発を永続的に止めるのか、あるいは一時的なものとするのかというところです。その場合に先ず考えるべきは、第一に今回問題化した原発が40年も前の陳腐化した技術で建設されたものであり、新技術で作り直すとすれば、一体どうなるのかということでしょう【競争こそが色々な不合理やそれらの問題を解決して行く方法ですから、競争させないメカニズムにしていたからこそ、40年前に作られた原発がそのまま生き残ってしまうということになるわけです。 言うまでも無く、万が一の事故を起こせば破綻に繋がるというリスクも常に抱えながら、企業経営というのはなされて行くものです。そして、そうした破綻に繋がらないようにしようと思うからこそ、当該分野における技術革新を適時導入して行くのであり、競争のある世界であれば40年前のものがそのまま生き残るなどとは到底考えられません。】
 3.11以前の一つの問題点というのは、そうした旧世代の原発が十分なメンテナンスやチェック体制もなく稼動し続けてきたということであり、経済合理性を追求する論者というのは寧ろ当該部分をきちっと追及し、そうした観点から原発問題をどうして行くのかというところを考えるべきではないでしょうか。
そして片方で今後再び3.11級の地震津波が起こり得るという前提に立つならば、そうした大規模災害に応じ得る十分な耐震性と耐久性を備えた原発を如何に建設出来るのかについても同時に考えねばなりません。こうした技術的部分の開発・研究という観点から安全性を追及せずして、「経済合理性を有しているから大丈夫!」などとする安易な論調についても、火山列島かつ地震大国の日本という国の一居住者としては、「本当に大丈夫なの?」と些か疑問に感じてしまいます。やはり稼動し得る原発の安全性というものを、上記前提に立って確りと見直し適切な検証を行って、そして基準に満たないものは全て作り変えるというプロセスを経ずして、そう簡単に再稼動を認めて良いのかという問題も勿論あるわけです。
第二に、外部環境を考慮に入れますと、例えばイランを巡る緊張関係が更に強まって戦争が勃発するような事態になれば、原油価格が暴騰するかもしれませんし、あるいは2050年には石油資源が枯渇するという議論さえ散々なされているわけです。さらに代替エネルギーについても、太陽光買取額が1キロワットに付40円台でないと採算確保出来ないというように発電事業者はすでに経済合理性の話をしだしています。そうした状況の中で原発問題を考える必要があります。例えば、嘗てイギリスでは産業革命時に「ラッダイト運動」、即ち機械により職が奪われるとして機械破壊運動が起こったわけですが、現代に置き換えて考えますと、今インターネットの普及を敵視し、サーバやPCといった機械をどんどん潰して行くのかと言えば、そういうものではありません。
原子力についても、そうしたものと同じように所謂科学技術の進歩の結果の一つとして生まれてきたわけですから、それを如何に上手く使いこなすことが出来るのかが非常に大事なことなのです。もちろん機械的システムである以上、100%問題が起こらないということはありえず、何らかの状況変化により常に問題が起こり得るリスクを孕んでいるのは事実ですが、それが起こった時にどう備えて行くかについて、あらゆる見地から考察を加えて行くのが人間の知恵というものではないでしょうか。 従って、「問題が起こると今回のような惨事になるから、原発は最早永続的に停止すべきだ」といった発言を行う人に私が言いたいのは、「問題が起こると今回のような惨事になると言いますが、実際に今回どうなったのかをきちっと精査した上で現在の原発に関する最先端技術や今後の技術的発展性、代替エネルギーの経済性を踏まえての厳密な発言ですか」ということです。 国民生活に甚大な影響を及ぼす電力不足はなんとしても避けなければなりません。
 以上を踏まえ現行の原発問題に関する議論を評するならば、原発反対派の主張というのは些か乱暴な気がしていますし、先ず行われるべきは、今の科学技術水準でどれだけ安全性の高い原発を作り上げることが出来るのかが、国民に示されることではないかと考えています。そして、上述の「安全性」という意味は、マグニチュード8クラスの地震が頻繁する可能性もある日本という国において、本当に問題がないと確信を得る所まで科学的な検証を重ねるということであり、その上で原発再稼動を認めるか否かを決めるのが、やはり合理的な考え方というものではないかと思うのです。そうした形での長期的・多面的・根本的な考え方に拠らずして、単にものが起こったとしてヒステリックになり「原発反対!原発反対!」と大騒ぎをするというのは、必ずしも正しいやり方であるというふうには私は考えていません。

 原発とエネルギーに関し、よく考えていくべきであろう。ただ、危険だから反対というのは心情的は理解できます。避難している福島の住民のことを考えうろ安全性は大事であり、復興させてあげなければならない。だからといって菅さんの如く脱原発という発言をする単純な政治でなく、日本の将来像を見据え、安全を確保し、エネルギー対策を図る視点も取り入れ判断すべき。まさに、先見生が不可欠。