作家猪瀬直樹さんが語るコミュニケーション論となぜか「合コン」政策を そしてスカイツリーの開業が5月に迫る本所吾妻橋駅周辺のランチスポット

●「作家・猪瀬直樹が語るコミュニケーション論」 〜描写力が会話の質を向上させる〜
 日本人はなぜコミュニケーションが苦手といわれるのか? それはどうすれば鍛えられるのか? 作家で東京都副知事猪瀬直樹氏が、「話す力」を向上
させる意義と秘訣について語った。
<主観ではなく事実を>
 日本人の言語力の低下に関しては、いろいろと考えるところがあります。プレゼンテーションをするにしても報告をするにしても、基本になるのは言
葉であり、会話です。僕がいる東京都庁では、毎年、新しい職員が1000人くらい入りますが、全員に言語研修を義務づけています。こうしたことを行なっていかないと、きちんとしたプレゼンや報告ができないのです。「〜だと思います」と言われても、「そう思うのは君の勝手だが、そう思う根拠を言いなさい」という話になります。「なぜならば」がなければ、説明にはなりません。調査によると、20代の職員の2人に1人は新聞を読んでいないし、1カ月に1冊も本を読みません。会話のための技術やボキャブラリーは本を読むことで養われるものですが、今の若い世代は本当に本を読まないのです。都庁でこんな感じなのですから、日本全体で見たら、もっと絶望的な状況なのではないかと懸念しています。もともと日本人の間では、以心伝心や「阿吽の呼吸」というような暗黙のコミュニケーションが成立すると思われています。確かに他の国に比べてそうした側面はあるでしょう。海外の小説を読むと、目や髪の色、身長や体形、人種の特徴などを詳細に描写していますが、日本の場合、そこまで細かく描写をしなくても、性別や年齢、職業くらいで大体通じるだろうという共通認識があります。そういう認識がベースにあるから、日常の会話も曖昧になりがちなのです。しかし、「阿吽の呼吸」というのは実は名人芸で、みんなが阿吽の呼吸で話が通じると思ったら、それは大間違いです。そこで、描写する力が非常に重要になってくるのです。例えば、「きれいな人でした」と言ったところで、背が高いのか低いのか、豊満な体形なのか細身なのか、髪形はどうで、髪の色はどうで、どんな色の服を着ていたのかなどディテールを描写しなければ、相手はどんな人なのか想像もつきません。若い人がよく使う「まったりしてるよね」という表現にしても、僕いはさっぱりイメージが湧きません。会社で上司に報告するときも同じことです。どこそこに行ってきましたと言われても、それでは不十分です。描写がないからです。主観ではなく、事実を交えて描写をする。話し方が下手な人は、この描写が抜けているのです。その際に大切なことはなるべく形容詞や副詞を使わないことです。「とっても大変でした」と言われても、その大変さが相手にはよく伝わりません。だから、それに代わる言葉や数字を使って、どれだけ大変だったのかを説明するわけです。例えば、「100メートルを全力で走ったから、とっても大変でした」と言えば、相手に伝わります。単に「汗びっしょりになりました」と言っても伝わらないから、「最終電車に遅れそうだったので、とにかく必死で100メートルを走ったんです」と言えば、相手もそのシーンが頭に浮かんで、ああ、それは汗が出て大変だったんだね、ということが分かるでしょう。数字や色、匂い、音、素材などを具体的に描写して初めて、相手に伝わる表現方法だということができるのです。
<数値目標を明確にする>
 会話に数字を盛り込むことは、相手を説得する上でも重要なポイントになります。役人はよく「検討します」という言葉を使うのですが、これはつまり、
結論を曖昧にして逃げているわけです。そこで「何月何日までに検討するんですか?」と具体的な数値目標を明確にさせます。こうしないと物事は進みませ
ん。いや、そこまで言わなくても、さすがに分かっているだろうと思っていると、実は何も伝わっていないということが結構あるのです。僕は若い人たちに「復唱してみろ」と言うことがあります。ひととおり説明したら、相手が「はい、分かりました」と言うから、「何が分かったんだ?」と聞いてみるのです。すると、途端に口ごもってうまく言葉にできず、実は曖昧にしか分かっていなかったということがあります。もうひとつ気を付けるべき点を言うと、きちんと文章の形にして話すということです。最近、「どうだった?」と尋ねると、「普通」とか「微妙」と答える人がいますが、単語を羅列するだけの話し方だったら日本に来たばかりの外国人でもできます。文章でしゃべることです。しゃべりも結局は文章なんです。文章だと思えば、体言止めばかりだったらおかしいし、「〜のように〜でした。」というように必ず「。」がつきます。その点を心掛けているだけでも、話し方は大きく変わってくるでしょう。
 さらに大事なポイントとしては、「結論から言う」ということが挙げられます。文章にしたからといって、物事を順番にダラダラ説明していくような話し
方はよくありません。都の職員にも言うのですが、結論を言って、次に「なぜならば」を説明する。まず見出しやリードがあって、それから本文があるべき
で、いきなり本文から始まっても、その話が終わるまで、どの方向に向かって、どう落ち着くのかが分からない。それでは聞いているほうはイライラします。まず、見出しを言ってみろ、結論を言ってみろ、ということです。
<作家の視点で言葉を扱う>
 僕は以前、小泉政権のときに道路公団民営化推進委員を務めました。小泉元首相の言葉には力と緊張感がありました。印象的なものの中から少し挙げてみ
ます。
 私を変人とするなら、変革の人という意味の変人である。(1998年、自民党総裁選)
 痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう。(2001年、大相撲夏場所表彰式)
 ガリレオは「それでも地球は動く」と言ったそうであります。私は今、国会で郵政民営化は必要ないという結論を出されましたが、もう一度、国民に聞い てみたい。                  (2005年、衆議院解散後の記者会見)
「ワンフレーズ・ポリティクス」と批判されたりもしましたが、なぜ小泉元首相の言葉が国民に好感をもって受け止められたかというと、まず結論をズバッ
と言っているからです。それに比べて、野田首相をはじめ、今の政治家はみんな官僚の作文を読んでいるようなものです。これでは支持率が上がるはずもあ
りません。その点、都知事石原慎太郎さんは自分の言葉で話します。彼は教養があるから、いろんなところから引用ができます。それは、本をよく読んでいるからできることなのです。「挨拶くらいは何とかできても、その後の会話が続かない」という人は、本人の性格の問題ではなくて、会話のネタになるような内容がその人の中にないからではないでしょうか。普段から本を読んだり映画を観ていれば、何かしらしゃべることはあるはずです。だから、全員作家になったつもりで言葉を扱ってみたらどうですか。作家のつもりで観察し、描写しようとすれば、何か1行くらいは気の利いた言葉が出てくるでしょう。その場にいなかった相手が、シーンを思い浮かべられるような説明ができれば、伝える力が向上したと考えていいと思います。「いきなりは難しい」というなら、最初は3つだけでもいいからディテールを描写するよう意識してみましょう。女性とレストランで食事するとき、「おいしいね」「うん」だけでは、会話が続くわけがない。「かわいい」とか「きれい」という形容詞を使わずに、「このスープに入っているのは○○と○○だね」「ひょっとしたら隠し味で○○も入っているんじゃないの?」とディテールを描写していくだけで会話は成立するものです。つまり、観察力と描写力を鍛えることが求められているのです。                                               (『CIRCUS』2012年3月号)より引用
 猪瀬直樹さんの「言葉の力」によると、「人間は言葉でモノを考えているのだから、言葉をきちんと鍛えなければだめだ」
 よくある討論中。何で話がまとまらないのだろう。何で話が伝わらないのだろう。そもそも議題って何だっけ?その時、会議中こんな事を考えていました。『前例がない!』という発想をやめてくれないか。昨日と同じでは進化しないよ。どちらの部署も正しいけど、何で全体から物事を考えられないのだろう、橋下さんと学者の議論ではないのだから、喧嘩腰で議論する事も交渉力の一つかもしれないけど、もう少しコミュニケーションの取り方というものがあるでしょう。ア、ふてくされちゃった。声のでかい人、力の強い人が勝つ。これ全体から見たら不利益になることもあるんだよね。」「情熱はわかる、気持ちもわかる。しかし、何を言っているのかはわからない・・・困るんだよね・・このような人が上に立つと」結局何も決まらない。何も解決しない無駄な2時間。有益な会議をするために大切なことは、会議の方法、議論の方法・・・そんなことを考えていた今日この頃です。
 ビジネスコミュニケーションは基本的には「読み」「書き」そして「話す」ことが基本であり、私なりの解釈からするとまさに、猪瀬さんの考えに通ずるものがある。つまり、「伝える力」を出すためには、考え、企画し、伝えることが大事である。
 また、結論から言うことは、勉強家であった田中角栄も議員生活の中で発揮していた。国民に訴える際には、数字も出していた。

●先日、宇都宮市で「街コン」を行っているというニュースをみた。最近自治体や商工会議所等で「合コン」や「街コン」が急増している感がする。まさに、どこの地域でも少子高齢社会を迎え、共通の悩みのようである。2010年の国勢調査では例えば、35歳から39歳の男子の未婚率が35.6%、高度成長期であれば、4.2%であり、いかに日本人が結婚しないことが分かる。出生率も1.39%前後。それに伴い、現在の日本の人口1億2800万人が50年後の2060年には8674万人までに減ってします。政府は今世紀に入り、さまざまな政策を躍起になって取り組んでいるが、あまり効果は表れていない。政治家や官僚に先を読む力がなかった証拠である。逆に世界の人口は70億人を突破し、1年に7800万人ずつ増加し、50年後には95億人に達するらしい。国連によると、人口が減少している国は、日本、ドイツ、ロシア、ポーランドルーマニアウクライナのたった6カ国であり、これから、50年にかけて人口が減るのは韓国とイタリアが加わるだけであり、その中で都週つしているのは日本である。ほとんどの国が、人口対策をしてきたわけである。
 例えば、フランスは出生率が1.6%台に下がったが、子育て関連の家族手当や税の免除を徹底的に充実したために、2008年には出生率が2.02%までに回復した。日本も消費税値上げに政局として論争するのではなくばらまきと言われる民主党政権の「こども手当」の充実や保育園政策の充実等積極的に取り組んでいくべくべきである。高齢者対策、少子化対策を含めた抜本的な社会保障制度を作って行くべきである。確かに財源の問題もあるが、公共事業の見直し、国のスリム化、国の仕事を民間に任せるなどにより、経済を活性化し、増税ではなく、増収を図るべきである。
 国力は人口に比例する。GDPの米中だけでなく、ブラジル・インド・インドネシア等の新興国も人口は増加している。日本はこのままでは没落する。「結婚や出産は個人の価値観による」なんて悠長なことを言っている場合ではない。今後の日本は、「産めよ増やせよ」の政策を打ち出し、日本の将来を担う子供たちを増やす政策に取り組んでいくべきである。例えば岐阜県各務原(かかみがはら)市や宇都宮市のように自治体や企業とうによる「お見合い合コン」「街コン」の実施を法律や条例で義務付けていくべきである。さらに、行政の仕事を民間に任せ、若者の雇用を拡大させることは地方への定着を図ることでもあり、総合的な少子化対策に積極的に財源を使うべきである。

 ●スカイツリーの開業が5月に迫る本所吾妻橋駅周辺のランチスポット
<築地マグロ卸の系列鮮魚店でイートイン>
 A2出口を出て、634メートルの巨大電波塔を見上げながら、東駒形3丁目東交差点を通り過ぎると、行列の店が目に留まった。看板には、「野口鮮魚店」((電話)03・5608・0636)とある。
「行列のできる魚屋って?」と、店の中をのぞくと、冷蔵ケースに陳列された色鮮やかな鮮魚の向こうに、テーブルとイスが並び、ウマそうな海鮮丼などを頬張る人たち。なるほど、デパ地下などで増えているイートインの鮮魚店ということか。 地元住民と観光客で半々の行列に加わることしばし。威勢のいい掛け声に迎えられて着席する。メニューを眺めると、煮魚や焼き魚、定食、丼など幅広い。値段は600円台からと良心的だ。迷った末に「秘伝づけ鮪丼」(800円)を注文。やがて運ばれてきた丼の、なんとウマかったことか! ご飯を覆い尽くすマグロの鮮やかな赤。トッピングされたワサビの緑と卵焼きの黄色。彩りの良さに食欲をそそられる。一口頬張ると、しょうゆの味が程よく、マグロのウマ味を引き立てている。聞けば同店は、築地に店を構えるマグロ卸の系列だった。丼物の他、サイコロステーキなど、魚を知り尽くした調理は、どれも一級品だ。「この店があれば、築地まで足を延ばすこたあない」という常連おじちゃんのひと言にうなずいた。
<ラーメン350円!“昭和価格”がうれしい>
清澄通りから東駒形2丁目に入ったところの「駒形軒」((電話)03・3622・3943)。曇りガラスの引き戸に、白地に赤で「中華料理」と書かれた暖簾に引き寄せられた。古き良き和製中華料理店だ。メニューは、「ラーメン」(350円)、「レバニラ」(450円)と、値段も“昭和価格”であり、庶民の懐に店である。その中から定番の「チャーハン」(450円)を注文した。黒っぽい具なしの炒めご飯の上に、細切りのチャーシューと卵。一口食べると、香ばしいような、コクがあるような不思議な味わい。スープのような風味もふわりと広がる。そんなことを思いながら食べ進むと、あっという間に完食してしまった。クセになる味である。
<スパイスが香り立つカレーライス>
 霞が関街でも官庁食堂は安いが、ここ墨田区でも墨田区役所1階にある「墨田区役所食堂」((電話)03・5608・1111)の「カレーライス」(360円)、「ザルそば」(340円)と、公共庁舎ならではの価格もさることながら、味も侮れない。特にカレーライスは、スパイスの香りがしっかり立つ。玉ネギの甘味が味に奥行きを持たせているのだろう。この低価格でランチを食べられる役人がうらやましい。こういう価格で役人に提供するのは無駄ではないか。高い給料をもらいながらと不満も覚える