「今、増税をすることが本当に良いのか]榊原英資さんは語る。

  現在の税収が40兆円前後、歳出が90兆円前後ですから、中長期的には消費税増税をせざるを得ないとは思います。今の野田総理財務省に取り込まれてしまったのではないでしょうか。確かに、いずれ消費税増税をしなければなりませんから、財務省の主張が必ずしも間違っているとは言いません。ただ、景気が悪くなることがほぼ確実な状況下で、消費税増税を本当にやるのかということです。私からするとタイミングが極めて悪い。日本の経済状況をみて消費税の話をすべきです。別に小沢一郎会長にゴマをすっているわけではございません(笑)。財務省にしてみれば「今やらなければ3年先、5年先も無理」という論理なのでしょうが。 ただし経済は生き物です。特に政治家の方々はそれを念頭に置き、議論をして頂きたいと思います。
 私は日米交渉に長く携わってきましたが、今の総理周辺、或いは財界のTPPの捉え方は間違っています。TPPとは「自由化」か「農業保護」かという話ではありません。関税をゼロにすると言いますが、平均関税率は2%台です。それをゼロにしたところで貿易量はさほど増えません。 むしろTPPの本質は“21分野”にあります。そこには「金融」が入っています。その上「政府調達」も入っています。また、「自動車」も入っています。私は90年代初め大蔵省の国際金融局次長時に日米構造協議に入らせてもらいました。この時とまったく同じ構図です。当時も日本の自動車のディーラシップであり、保険であり、政府調達です。過去の経験からも、今回またアメリカが21分野で要求してくると認識できるわけです。
例えば「自動車」では、日本のディーラーは非常に閉鎖的で、アメリカの車も一緒に売れるようにしてくれないか、「政府調達」についても特に地方では地元の建設会社を優遇するようなシステムになっている。これ変えて平等にしてくれないか、「金融」はもう既に言い始めていますが、郵貯簡保が民営化したが、政府がその株を持っているので、事実上政府が保証している。シティバンクと同じ土俵で競争ができるように変えてくれないかという要求をしてくるわけです。
「何故今、日本がそれに飛び乗るのですか?」と私は言いたいです。アメリカは制度を統合しましょう、と言ってきます。彼らが制度を統合しようということは制度をアメリカ的にしようということなのです。私は10年間アメリカに暮らしましたし、友人もたくさんいます。アメリカが嫌いということではありません。ただ、これがアメリカ人なのです。当然、日本は主権国家ですから独自の制度を持っています。例えば郵貯簡保というのは日本独自の制度であって、アメリカにはありません。それを変えろと言ってくるのです。私の理解ではTPPはアメリカが要求したわけではありません。それに対してこちらからということですから、まさに飛んで火に入る…です。
アメリカやオーストラリアの担当者に直接聞いたわけではありませんが、恐らく彼らがTPPを打ち上げる大きな理由の一つは、東アジアの経済が事実上統合しており、しかもここが今後の世界経済の中心になる、そこに乗りたい、だからTPPだと言っているのだと思います。現在、日本の最大貿易相手国は中国で、輸出の20%以上になります。しかも今後その状況は加速するとみられています。対してかつての最大貿易相手国のアメリカは15%以下です。これをみても東アジア経済は日本・中国を中心に統合が進んでいます。日本は安全保障ではアメリカと同盟国です。防衛の柱ですからこれを崩すわけにはいきません。しかし経済の最大のパートナーは中国です。ですからTPPに日本が参加するということで一番気分を害しているのは中国だと思います。「アメリカ・オーストラリア・欧州と一緒になって中国を敵視するのか」と。逆に、「参加表明をしたからこそ、中国は日本を取り込もうとしているのでは?それこそTPP効果だ」と言う方がいるようですが、それは一つのサイドエフェクトであって、やはり日本は東アジア経済の統合というものを主軸に考えていくべきだと思います。
日本・中国間に限らず、例えばこの地域では中国・インド間の貿易が急増しています。もともと国境を接した国ですから貿易はしやすいのですが、このところ特に接近しています。随分前のインドの新聞で、一面に『together we well be No1 』中国とインドが組んで世界ナンバー1になるだろう、とありました。実際、そうなっていくと思います。歴史をみると。これは不思議な事ではありません。1820年の世界経済のGDPの推計によると当時、世界の総生産の29%を中国が、16%をインドが占めていたのです。中国とインドで世界の総生産の約半分です。そのとき世界で植民地を次々増やしていたイギリスのシュアはわずか5%です。ただし19世紀半ば以降、アジアは植民地化されてしまいました。この中で唯一植民地にならなかったのは日本だけです。形式的にはタイも植民地にならなかったのですが、事実上はイギリスの支配下でした。植民地化を免れた日本が戦後、最初に経済の高成長を遂げますが、その後、韓国・台湾・香港・シンガポール、アセアン諸国が続きます。 中国が本格的に市場経済に移行したというのは1980年代です。インドも1991年に現総理大臣のマンモハン・シン氏が財務大臣時に新経済政策を打ち出します。これでようやく本格的に市場経済に移行したわけです。
ご存知の通り、その後、中国・インドが非常に高い成長・発展を遂げました。今後もしばらく続くと思いますが、近い将来、中国は緩やかに下がっていくと予想されています。一方のインドは今の7%の成長率が続く、或いは成長率が若干増えると予想されています。この要因は人口です。 中国の人口は13億4千万人、インドの人口は12億4千万人、ほぼ1億人の差がありますが、中国は1人っ子政策とっていますから、2050年には12億9千3百万人です。インドはその年に16億9千万人。17億人近くになります。間違いなくインドと中国の人口は逆転します。そして10年先には恐らくインドと中国の成長率も逆転するのでしょう。そいうことでインドが世界経済の前面に出ます。 宣伝ではありませんが、『インドアズナンバーワン』という本を書きました。少なくとも人口と成長率ではナンバー1である。GDPでナンバー1になるには数十年かかりますが、将来インドは出てきます。
そういうことで世界経済の中心がしだいに欧米から、中国・インドに移っていくということです。「移行・転換期」というものにも難しい問題があります。欧州が非常に危機的な状況にあり、回復の見通しが立ちません。アメリカ経済も必ずしも良くありませんから中長期的な欧米経済の停滞がおきると思います。それから中国・インドへの移行・転換ということですが、このような時、しばしば経済全体の状況が悪くなります。1929年の大恐慌というものが起こったのも世界経済の中心がイギリスからアメリカに移行する時でした。十分にアメリカに移行しきれずバブルになってしまった。それで大恐慌になったわけです。ですから現在のように欧米中心経済からアジア中心経済、中国・インド中心経済になる時には、経済全体が混乱する可能性があります。今まさにそれが起こっているのでしょう。
日本もそれに備える必要があります。「国債発行は44兆円で天井にすべきだ」という意見もありますが、私はまだ国債発行の余裕は十分あると思っています。というのは、国債発行残高はGDPの180%ということですが、家計の純金融資産がGDPの240%あるのです。少なくても何年間か大量の国債を発行してもそれを消化する余裕は日本にあります。国債大暴落などと言う人もいます。今の状況が7年8年続けばそういうこともあるかもしれません。しかし短期的にはないと思います。 ですから、復興には増税ではなくて、国債発行と考えています。金利は今の10年国債が1%。これが国債を50〜60兆円発行したからといって2%や3%に跳ね上がるかというとそうはなりません。今世界的な不況で、お金は株式から債券に動いています。ご承知のように、日本国債の95%は日本人が持っています。確かに国債の絶対的な額は大きいですが、それで日本が財政危機にあるということではまったくありません。
景気が悪い時に増税をするということは、経済学の理論からいってもあり得ません。国債市場が、巷で言われているほど悪くないということを認識する事が非常に重要です。世界同時不況のような時は常識的にはケインズ政策です。ケインズは大不況の時に「歳出を増大しろ」「むしろ減税しろ」と言いました。日本が2012年に必要とするのはケインズ政策です。財務省はそれに強く抵抗すると思いますが、政治家の皆さん方には是非「これが経済学の常識だ」と、「まず日本経済を復興させる事、景気を回復させる事が大切だ」と仰って頂きたいです。経済が復興し、景気回復が順調に進めば当然税収も増えます。まず税収を増やすということが正論であって、今ここで増税路線に一気に踏み切るのというのは、私には到底納得がいきません。
今、経済は世界的に難しい状況で、1929年、30年のようなことになるかもしれないという認識を持った上で、どのように日本経済を復興させていくのかということを是非考えてください。これは官僚が考えられる事ではなく、まさに政治的な判断ということだと思います。「国債を発行して復興を」というのが正当です。何故か増税に対して今の国民は割と理解があります。普通、増税には99%が反対ですが、世論調査で一時、五分五分、このところ反対が60%になってきましたが、財務省を中心に増税のチャンスだと思っている人が多くいます。その人達が100%間違っているとは言いませんが、経済状況を考えると増税はないと思いますので、是非皆さんにはそのあたりを踏まえて、官僚機構をコントロールして頂きたいと思います。