中西輝政著『日本人として知っておきたい外交の授業』から外交を考える。吉田茂をみる。

※ポイント
・同盟の本質とは、約束を信じられる心理あるいは互いの絆に賭けようとするスピリット、精神にあるのですから、日米でいったん合意した重要な約束事が守れなくなると、精神的な生命力の枯渇が進むことを案ずるべき。
普天間基地からの辺野古への移転は、誰がなんと言おうと実現しなければ日本は終わり。辺野古移転の話が流れてしまえば、おそらく日米同盟体制そのものが根本から崩壊する。
・2005年、自民党憲法改正草案の前文を書いたのが、中曽根康弘氏。「日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、天皇を国民統合の象徴としていただき、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、独自の伝統と文化をつくり伝え、多くの試練を乗り越えてきた」現在の前文に比べて格調があって素晴らしいと思う。しかし、舛添要一氏らリベラル中道派によってバッサリ削られた。
明治維新は民主的な手続き、具体的には選挙によるものではない。桜田門外の変を筆頭に、すべて「テロ」によって成ったもの。歴史的に見れば、明治維新とはテロリズム革命と軍事蜂起であり、「王政復古の大号令」や「鳥羽伏見の戦い」などは完全なクーデター。とりわけ小御所会議における脅迫的な会議運営や王政復古の大号令は、岩倉具視大久保利通の二人による「決死の共謀」によって成ったもの。明治維新はいわば陰謀によって成功したとも言える。
・世界の人々は、日本には天皇がおり、島国の列島で、自然が豊かで繊細な文化があることも、なんとなく知っている。しかし、それだけでは日本に本当に興味を持っている外国人には物足りない。さらに深い興味を喚起するために、「日本にはこんな神話があります」「日本の国の成り立ちはこう伝えられています」といったら、どんな神話なのか強い興味を示すでしょう。古事記イザナギイザナミの話をすれば、相手は喜びますし、繊細な感覚のある「面白い国」だといっそう興味を持ってくれる。
・神話というのは、おそらく皆さんが想像している以上に大事なもの。どの国であれ、国家の本質や国民の心の動き、社会の構造、人間関係の基本を知ろうと思ったら、その国の地域の神話を知るのが最も早い。
ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲは日本語は話せなかったが、日本という国の本質を短期間で理解するため、きわめて熱心に神話の研究に取り組んだ。『古事記』『日本書紀』から入り、あらゆる欧文訳のある日本神話を読んでいる。そして「3ヶ月で日本を理解した」と言っている。ゾルゲはスパイなので、日本の体制の中に深く入り込まなければならない。それは皇室であり、政治家や軍人の世界。
・日本のリーダーの姿を論じる前提は、まず何より「日本を知ること」から始めなければならない。
・過去の日本のリーダーで興味深いのは吉田茂。吉田は、耕余義塾で中等教育を受け、その後、10年ほど様々な学校を渡り歩いている。興味深いのは、国粋主義者杉浦重剛らが設立した日本中学(現・日本学園高校)という、当時でも変わり種の私立学校で超保守的な教育を受けていることだ。
杉浦重剛は、昭和天皇学習院初等科を卒業された後、1910年代に宮中の東宮御学問所で学ばれたときの御進講役だった。御学問所の総裁は、東郷平八郎で、杉浦はその下で昭和天皇の若かりし頃の基礎教育、とくに道徳や修身を徹底的に教育したといわれている。その杉浦が、吉田茂の通った日本中学の創設者であり、精神的支柱だった。明治初年から杉浦は五年間もイギリスに留学して、ケンブリッジ大学を卒業した。専門は自然科学で、西欧合理主義の思考を徹底していた人。しかし、あるいは、それゆえ彼の精神論は、当時、大正期の基準で言っても「右翼」的なものだった。大正デモクラシーなどは完全に否定し、天皇機関説を唱えた美濃部達吉を「不敬の至り」として徹底攻撃した。
・こうした教育を10代に叩き込まれた吉田茂の根幹にある国家観や歴史観は、戦前の日本人エリートから見てもいびつなほど「右寄り」だと見られていた。結論を先に言えば、だからこそ吉田はあの激動の時代を生き抜くことができたのだ。
吉田茂のリーダーとしての業績は一見、彼の思想やイデオロギーと両立できないように思われる。ところが吉田は、それを両立させた。そう思えるのは、『古事記』『日本書紀』から南北朝時代を通じて戦後に至るまで、天皇を中心とする日本国家の歴史が彼の中を貫いているからだ。この揺るぎない軸があるからこそ、敗戦という前例のないショックを受けても、「一からやり直せばよい」という覚悟を早々に固めることができた。12歳から徹底した皇国教育を受けてきた吉田の身体には、2600年にわたる日本の歴史が染み付いていた。
・「頑固一徹」といわれた吉田茂の精神力は、どこから来るのだろうか。それはたんに個人の性格に帰するものではない。そのバックボーンこそ、一本筋の通った根深い世界観から来るものだった。日本という国はどんな国か。それは、たとえば二千年前から日本には皇室が連綿と続き、現在はそのケシ粒のようなひとこままで、そのなかで自分たちはこの縦の流れを続かせるお手伝いをしているだけだ、という価値観だ。
・神話によって、天皇の祖先は神様と結びついている。だからこそ、この伝統を絶やすわけにはいかない。皇室を残すためなら、GHQの考えた奇矯な憲法も受け入れ、マッカーサーとも仲良くやっていく。この透徹した国家観に裏打ちされた徹底的なプラグマティズムが、吉田のリーダーシップの核心である。あの訳の分からない自信は、その裏に強固な日本アイディンティティの安定感があったからだ。
・「日本人がインテリジェンスや戦略的思考の分野で世界基準に追いつくには、どうしたらいいですか」という質問を受ける。そのとき私は、次のように答える。「手っ取り早く戦略的思考を身につける方法はある。それは『日本人であることをやめること』です。日本人の行動原理を守る限り、世界水準には永久に追いつけない」これが私が四十数年間研究してきた末の、偽らざる結論です。
・戦前も吉田は、日本人離れした外交手腕を発揮した。その一方で、物事をはっきりさせる必要がないときは、思いっきり無原則な言動をした。「憲法9条、いいじゃないか。日本は自衛権を放棄したのだから、未来永劫、軍隊を持つ必要はない」などと平然と国会で答弁している。共産党のほうが「それでは具合が悪いのではないか」と質問したほど。人間の幅がとても広く、根性が据わっている。これほどの変幻自在が可能なのは、吉田がある意味で「日本人ではなかった」から。嘘を平気で言える。自分の信念に完全に反することも言える。
・こんなこと一人でできる人間は、よほど図太い。しかし、吉田にとっては「国体の維持」つまり皇室の存続こそが根本で、それに準じてさえいれば細かいことはなんら構わない。自らの心に期したその自信があったからこそ、どんな「デタラメ」でも平気でやり抜いたわけ。こういう人を「超日本人」と呼んでいる。数千人の「超日本人」がいれば日本が変わる。
・リーダーには「金融」「文明」「インテリジェンス」の教養が必須である。