今日も週末農業です。

◆恒例の週末介護、週末農業です。そろそろ、柿の実が熟してきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<9月22日生まれの偉人>
◆横井 小楠(よこい しょうなん、文化6年8月13日(1809年9月22日) - 明治2年1月5日(1869年2月15日))は、日本の武士(熊本藩士)、儒学者、政治家。維新の十傑の1人。熊本藩において藩政改革を試みるが、反対派による攻撃により失敗。その後、福井藩松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍する。明治維新後に新政府に参与として出仕するが暗殺された。
◆吉田 茂(よしだ しげる1878年明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣(第73・74・75・78・79代)、貴族院議員(勅選)、内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、 第一復員大臣(第2代)、 第二復員大臣(第2代)、農林水産大臣(第5代)、衆議院議員(当選7回)、皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)などを歴任した。葉巻きをくわえたワンマン宰相。 軽軍備・経済重視の吉田ドクトリンが戦後復興の指針に。第二次大戦後の政治家。東京都神田生まれ。東大卒。外務省に勤務、駐英大使などを勤める。戦争に否定的だっため、第二次大戦中は反政府活動の嫌疑で憲兵隊に拘置された。戦後は東久邇(ひがしくに)・幣原(しではら)両内閣の外相となる。1946年5月日本自由党総裁として第一次吉田内閣組閣、以後5回の政権で、吉田ドクトリンにより占領から講和・独立までの戦後日本復興の枠組みを作った。
 東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日〜1947年5月24日、および、1948年10月15日〜1954年12月10日まで在任した。優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。ふくよかな風貌と、葉巻をこよなく愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれた。政治活動以外の公的活動としては、廃止された神宮皇學館大學の復興運動に取り組み、新制大学として新たに設置された皇學館大学にて総長に就任した。また、二松学舎では、金子堅太郎の後任として学校法人の理事長にあたる舎長に就任した。