短命化する日本の政権

野田総理の「電撃的ともいえる解散表明」を受け、本日午後に衆議院解散がされた。一昨日の党首討論の場において野田総理は、「内閣総理大臣に就任したとき任期満了まで徹底して仕事をしないといけないと思った」と述べていましたが、結果的には1年3ヶ月余りで総理の職を退くことになりそうである。
 この半世紀の総理在任期間を見ると、「岸信介池田勇人佐藤栄作という大物の官僚出身首相が三代続」いた時代は平均五年、所謂「三角大福中」時代は平均三年、そしてその後「竹下登から野田まで一政権一年半のコロコロ現象が常態」(小泉政権を除き)となり、06年発足の安倍内閣以後は一政権一年と、どんどんと短縮されてきている。このように最早主要政党が長期安定政権を築き得なくなってきているわけですが、その主因は日本という国がそれだけ難しい状況にあるということの結果であろう。過去の成功体験に胡坐をかいている政治行政、換言すれば戦後60年以上に亘る自民党長期政権下において築き上げられた政官財癒着の社会経済システムというものが、最早機能しなくなってきていることが根本要因であり、経済面だけでなく、まさに失われた20年である。与野党交代により新たな政権が発足するとか、あるいは小沢氏の言で言えば「オリーブの木みたいな形」での小政党の寄集めが主導権を握る、といった政治現象が起こってくるわけで、今そうした流れが一層強くなってきている。国が一つの価値観で上手く回るという社会経済構造が成り立っている場合においてのみ、一つの流れの中で政治的安定をずっと維持し得るわけであるが、そういう意味では昨日新指導部が発足した中国における共産党一極の社会経済構造も、そろそろ難しいところにきているのではないか。中国においては経済の民主化から今や政治の民主化ということが叫ばれるようになり、恐らく10年も経たない内に幾つかの政党が結成され選挙をせざるを得ない状況になってくるが、それは何者も抗することが出来ない一つの時代の流れである。
それからもう一つ、人物という観点から長期安定政権の樹立について考えて見ると、例えば今回の米大統領選はキャンペーン終結まで一年半を要したのですが、その間候補者に関する誹謗中傷を含むあらゆる事柄が徹底的に調査され、仮に何らかの問題点が見つかれば鬼の首を取ったようにこれでもかと報道され、そしてその中で最終的にオバマが選出されてきた。
 やはり今後は日本においても、候補者が日本中を飛び回って国民に演説をダイレクトに届け、そして1年以上を掛け総理としての資質を問う形で次のリーダーを選び出して行くという位のプロセスを経なければ、長期安定政権を築くことは最早難しいのではないか。 一政党の派閥争いの結果から生じた党首が一国の総理という地位に就くような時代は最早日本でも終わったのではないかと思われ、やはり事実上の大統領制である「大統領制型の首相公選制」導入について真剣に考えるべきタイミングにきているのではないか。