日本維新の会:太陽が合流 新代表に石原氏、橋下氏は代表代行 

日本維新の会は17日、大阪市内で全所属国会・地方議員による全体会議を開き、太陽の党が解党して維新に合流したと発表した。新代表には太陽の石原慎太郎共同代表が就き、維新代表だった橋下徹大阪市長は代表代行に就任した。維新はこの日、衆院選の1次公認候補47人を発表。石原氏はみんなの党との選挙協力協議を急ぎ、第三極の結集を図る考えを強調した。全体会議に同席した石原氏は「大同団結して最初の一戦で戦おう。後は橋下さんにバトンタッチする」と述べ、衆院選後に橋下氏に国政を託す考えを示した。橋下氏は、今回の衆院選出馬を改めて否定した。
 両者が合意した基本政策は、中央集権の打破▽環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加▽新エネルギー需給体制の構築−−など8項目。両者の政策の隔たりについて、橋下氏は「既成政党に比べれば一致している」と、他党からの野合批判に反論した。政策文書によると、消費税の地方税化を改めて掲げ、中央集権の打破の項目に盛り込んだ。税率は11%を目安としたが、増税の是非には直接触れていない。新エネルギー需給体制では、安全基準などのルールづくりを提言し、「脱原発」とは記述しなかった。
●基本政策骨子
地方交付税を廃止し、消費税を地方税化する。消費税は11%を目安とし、うち6%を地方間の財政調整に使う
社会保障財源は、交付税廃止分▽保険料適正化と給付水準見直し▽資産課税−−などで立て直す
●永田町異聞
『石原という苦労を背負い込んだ橋下維新」
 都知事としての功罪はさまざま見方があろう。日中関係悪化の張本人ということも、さておこう。確かなのは、国会議員時代に、これといった実績がないことだ。その石原慎太郎が、どうやら首相の座をねらっているらしい。それも「橋下さんは義経、私は弁慶だ」と大阪市長を持ち上げ、すり寄って。万が一、日本維新の会が選挙で大躍進し、石原が首相にでもなれば、弁慶が頼朝に豹変するのではないか。選挙目的でにわかにくっついた烏合の衆は権力を与えられると同時に主導権争いをはじめるだろう。平家との戦いの立役者でありながら、のちに頼朝に疎まれ、自刃へと追い込まれた悲劇の武将、源義経に橋下がなるとすれば気の毒なことだ。ところで、息子の伸晃が「明智光秀」呼ばわりされて自民党総裁になれなかった仇討ちか、腹いせか、それとも積年の夢をかなえる最後のチャンスと興奮したのかはしらないが、石原に国政で何ができるというのだろう。
 国会議員をつとめた25年間。環境庁長官運輸大臣はつとめた。中川一郎渡辺美智雄らと青嵐会をつくり、極右、タカ派のイメージでならした。『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版し話題を呼んだこともあった。しかし、その活動の多くは緻密な戦略を欠くパフォーマンスの色濃いものだった。第1作目「太陽の季節」で華々しく作家デビューし、石原裕次郎の兄としてスター性を兼ね備えていながら、彼に心酔して集まってくる政治家は少なかった。大きな政治勢力をつくりえなかった。それでも1989年、平沼赳夫亀井静香園田博之らに推されて自民党総裁選に出馬したが、わずか48票しか取れず、最大派閥竹下派が推す海部俊樹に敗れた。
 石原が小沢一郎を毛嫌いするのは、当時の竹下派経世会)の事務総長として、海部政権誕生に辣腕をふるったのが小沢であるからに他ならない。このときの怨念がいつまでも石原の心中にくすぶっているのか、海部政権時代、湾岸戦争にのぞむ米国に130億ドルの資金を小沢幹事長の一存で提供したかのごとく言いふらす。そればかりか「そのカネの一部が日本にキックバックされた」という噂まで持ち出して、小沢のフトコロに入ったと言わんばかりの話をする。130億ドルもの巨額資金が小沢一人の指図で出せるはずがない。当時、橋本大蔵大臣らが米側の要求に苦悩し、資金拠出に同意するまでの経過は手嶋龍一著「外交敗戦」に詳しい。それにしても、いとも軽々と他人の名誉にかかわる悪口を言える品性の粗雑さこそが、政治家としての石原慎太郎という人物の限界であろう。
 ただし、彼が唯我独尊、傲岸不遜な言動を続けるのは、才能と自尊心に満ちた心の底に、激しい“コンプレックス”もまた存在するからではないかとかねがね筆者は思っている。若くして時代の寵児になったゆえにこそ、人知れず抱き続ける苦悩があるのではないか。とりわけ小沢のように常に政界の中心に居つづける存在は、石原の嫉妬の対象とはなっても、手を握る相手にはならないだろう。たとえ、官僚支配、中央集権の解体で一致できるとしても。橋下徹は、「石原慎太郎」という苦労を背負うことになった。超有名人の甘言に幻惑された自業自得ではあるが…。<オンザウェイ・ジャーナル「月刊 寺島実郎の世界」2012.11.17放送>
米大統領選挙と習近平の中国」
木村>今回のテーマは「アメリカ大統領選挙習近平の中国」です。世界が注目したアメリカの大統領選挙ですが、民主党オバマ大統領が再選を決めました。獲得した選挙人の数は332人と206人で100人以上の差なのですが、CNNの計算では得票率が細かく出ていて50.01%と49.13%で1%あるかないかの僅差でした。
寺島>したがって、本当にぎりぎりの選択で結局、アメリカはオバマを選んだということです。しかし、そのようなことを含めて、それでもアメリカはオバマを選びました。そもそも、4年前にオバマの登場をもたらした力学は、いったい何だったのかというと、一つはイラクの失敗でイラク、アフガンと9・11以後突入していったアメリカが、結局は今現在までに6千500人を超す青年を死なせ、3兆ドルに迫る戦費を費やして、へとへとに疲れ果てて撤退という流れができているのですが、つまり、オバマイラク戦争に反対したけれども、反対をした人でさえも大統領にして中東戦略におけるパラダイムを変えなければならないところに至ったことが一つの大きな要因だったのです。
もう一つはサブプライム問題からリーマンショックを迎えて、強欲なウォールストリートに対してアメリカが深い問題意識を持ち始めた瞬間に、オバマを選び出したのです。そのような面で、オバマ政権の4年間が結局どのように評価されたのかということです。大統領の再選選挙は信任投票の意味合いもあるので、もっとオバマは圧勝してもよいのですがぎりぎりでした。オバマの4年間は私から見ていると同じく2009年に日本でも政権交代が行なわれて民主党政権に代わったわけですが、日本の民主党政権と比べるのも失礼な話ですが、オバマは自分がやると言った公約について成果はともかくとして真剣に立ち向かったと思います。アメリカの民主党は日本の民主党のようにマニフェストと全く違う方向にいっても平然としているのとは大違いで、例えば、イラクからの撤退もアフガンからの撤退に繋げるように、それがアメリカの世界における力を落とし込んでいると言われても彼はそれに踏み込んでいきました。そして、ウォールストリートに対しても金融規制法を成立させて立ち向かおうとしてきました。更に、医療保険制度(メディケア)もアメリカに導入することにかなり大きく踏み込みました。
木村>高齢者と低所得者医療保険に踏み込んだのですね。
寺島>そのような意味においてオバマは、自分がやるといったことについては真剣に立ち向かおうとした4年間だったと言ってよいと思います。ロムニーのメッセージはアメリカの本質ともいうべき一アメリカンドリームを発信していました。つまり、結果の平等を求めるよりも、チャンスは全員に均等に与えられるけれども、結果は自己責任ということです。結果までが平等で政府に保障されるようなセーフティネット等をできるだけ圧縮し、結果の平等よりも機会の平等という分配論がロムニーの主張だったとするならば、これはアメリカの原理に則った、つまり、半分くらいのアメリカ人がいまでもこのメッセージに共鳴するようなアメリカンドリームを語っていたとも言えるわけです。
一方、オバマが言う「せめて社会保険制度を整備して」というボトムアップで貧しい者、弱い者に配慮していこうという考え方もアメリカンドリームだと言えるのです。この判断は今後の世界の分配をめぐる議論においても重要な議題だったと思います。しかし、結局、ぎりぎりのところでアメリカはオバマを選びました。
そこで、冷静に考えてみると、オバマが放っている世界観とロムニーが放っている世界観のどちらが21世紀のアメリカにおいて適切なのだろうか考える時、結局いまアメリカがおかれている状況が、例えば、ロムニーが語ろうとしている「偉大なアメリカ」や「強いドル」などの夢を追いかけるには、あまりにもアメリカの影響力が弱っていて世界を束ねる力が無い状態で過去の栄光を追いかけているようなイメージがどうしても残ります。オバマは私がこの番組でもよく申し上げてきた全員参加型秩序で、中東で起こっている民主化にしても、どんな小さな民族でも、或いは国家でも自分たちの自己主張を胸を張ってするような時代に向けて世界は変わっていることを意識した世界観です。
そのような中で、アメリカが世界を支配しているような感覚では世界を動かすことはできず、対話と協調でオバマ自身の出自が、それをそうさせているように文化の多様性に則って相手の立場をも理解しながら、その中でアメリカの影響力を最大化していかなければならないところにオバマが発信している音楽のようなものがあるのです。それが21世紀の世界においては、ぎりぎりの迷いの中だったけれども、結局アメリカの現実に近いところで受け入れられているというのが私の率直な今度の大統領選挙に対する見方です。
ある面では、アメリカにおいては黒人が大統領に就くのは凄いことなのですが、アメリカは底力を持っているではないかというポジティブなイメージで4年前は世界に受け入れられたと思います。
木村>しかも、「チェンジ」という言葉が非常に熱い言葉として語られましたね。
寺島>それが4年経ってみた時に、必ずしもアメリカの世界における位置に対して多くのアメリカ人が迷いながら選択したのだろうと思う節があるのですが、そのアメリカの柔らかさやしなやかさは、あらゆる議論を超えて、やはり凄まじいものがあると言わざるを得ない感があります。
問題はそのアメリカの選択で、結局オバマを選んだのですが、それを踏まえて中国大陸の習近平の話をしましょう。いま新たな中国の指導者が登場しようとしていますが、習近平は、革命第5世代で59歳ですから戦争も知らない1953年生まれです。1949年の共産中国の成立という革命も知りません。その世代の人間がいよいよ10年ぶりに中国のトップに立つのではないかというところでこの11月が非常に注目されています。
そこで、これはよくメディアが陥りがちな話なのですが、一種の政局論議で中国は常にパワーゲームで、内部の政治対立が中国の政治を変えてきたという人脈主義的な議論のようなものが非常に跋扈しています。例えば、李克強は、「団派」といって、共産主義青年団の代表プレイヤーのような形で評価され、胡錦涛が推しています。一方、江沢民が推していたのは、「上海閥」のエースだった陳良字でしたが、彼は、贈収賄の問題で失脚してしまいました。そのかわりに、父親が共産党の幹部である,いわゆる「太子党」の習近平にチャンスが回ってきて、言ってみれば「瓢箪から駒」のように生み出されたリーダーであるという解説が流布しています。
彼は7年近く農村下放という体験をしました。いまとなっては古めかしい話ですが文化大革命の時代に紅衛兵毛沢東語録をもって興奮していた時代に、都市の知識青年は頭でっかちなので農村で学び重心を下げる必要があるということで農業体験をさせられたのです。私は、そのことがこの人間を変えたのだろうと推察しますし、彼の言動のはしばしにも見えると言いたいのです。
つまり、彼は7年間の下放体験の後、北京の清華大学の学生として戻って来て、その後、党の国務院弁公庁で秘書室のようなところに勤め始めました。そして、ある種の縁でロンドン育ちの駐英大使の娘と結婚しました。
木村>習近平自身も元副総理の息子ですね。
寺島>そのような意味において、ふさわしいということでおそらく結婚したのだと思います。しかし、彼は自分が田舎者だという思いもあったのでしょう。相手の女性がある面では華美で、波長が合わず結局別れてしまいました。自分は田舎者だからと言って自ら志願して河北省の田舎の村役人として自分にはふさわしいと言って赴任しました。
つまり、そのように7年間の下放体験によって身につけたと思うような泥臭さがこの男にはあるということです。したがって、父親が胡耀邦の側近だったこともあり、ある意味においては、訒小平江沢民胡錦涛と流れてきた、いわゆる改革解放路線の中に思想的には立っている人物なのだけれども中国が直面している成長の光と陰で、経済成長によってもたらされた豊かさという部分はあるけれども、その中でとんでもない格差が生まれて、更には腐敗の問題も含めて様々な問題が起こっていて、そのようなことに対して非常に強い問題意識をもって苦々しく思い、必ずしも改革開放路線の光の部分だけをことさらに強調するタイプの人間ではありません。ある意味においては、そのあたりに私は習近平の中国が何をしてくるのかとても注目しています。
もう一つは、調べてみると彼は、これまでに5回訪米しています。しかも河北省の村役人だった時に、アイオワ州の田舎に行ってホームステイ体験までしています。この体験が彼を押して大きく変えたのだと思います。何故かというと、今年の2月に彼が訪米した時にわざわざアイオワ州のお世話になった家まで行って歓談をしているからです。
木村>副主席としての訪米でわざわざそこまで足をのばして行ったのですね。
寺島>彼は、ある種の知米派であり、あえて言うならば親米派です。つまり、アメリカに対して非常に理解と知識をもっている人物で、そのような意味において、ここからがポイントなのですが、「オバマアメリカ」、「習近平の中国」というものがどのような関係、力学をもってくるのかということです。要するに、オバマ政権の4年間は中国に対して戦略経済対話という毎年1回ワシントンと北京で10人ずつくらいの閣僚が安全保障から産業協力まで非常に密度の濃い、ハイレベルな議論を積み上げてきているのです。オバマは中国に対して非常に配慮をした舵取りをしてきているけれども、中国サイドも習近平になって、より一段とアメリカに正面から向き合ってぶつかり合いが起こりかねない要素はあるけれども、我々はこのコミュニケーションの潜在的なパイプの太さをよく考えておく必要があると思います。
木村>「オバマアメリカ」、「習近平の中国」、つまり、動く世界を寺島さんのお話で実感するのですが、そうなると、「日本は?」。この言葉になるのでしょうか。「混迷の日本の政治」で、いまや失望、或いは絶望とも言われるくらいの状況になっています。
寺島>実は、驚くべき記事が『ワシントンポスト』紙に出たのです。それは、大統領選挙の直前の11月3日で、「日本の没落」に関する特集が組まれていました。いままで日本に対して評価をしていた人、楽観していたような人までが現在の日本に対して甚だしく悲観論に傾かざるを得ないと語っています。
木村>衰退する日本は、再び希望に満ちた日本にはもう戻れないというようなトーンなのですね。
寺島>『ウォールストリートジャーナル』紙のように日本の技術力や産業力等に一定の評価を与えているメディアも勿論あるけれども、『ワシントンポスト』という東海岸を代表とするアメリカのメディアがここまで正面をきって「日本の没落」を謳ってきたことに対しては日本人として決して心穏やかではありません。しかも、没落の論点が、木村さんがおっしゃったように政治の劣化にあり、日本の政治が何も決められない、本当に質的に低いものに留まっていることをしっかりと指摘してきています。そして、社会構造の成熟化、少子高齢化に向かう日本の社会的がおかれている状況、更に、かつて高度成長軌道を走っていた時には有効に機能したシステム、メカニズムがダウンサイジングして、逆に機能不全に陥っていることを指摘しているのです。起こさなくてもよい近隣の国々との摩擦を自ら引き起こして泥沼に嵌っていくような愚かなイメージさえも漂わせているニュアンスで日本を見ていて、外からもそのように見られていることに気がつかなければなりません。
私は、この種の論調を変えていく唯一の手だては日本自身が近隣の国からも、或いは、アメリカからも尊敬に値する力のある国だと実績をつくっていく以外、評価を変えることはできないと思っています。しかも、日本人の思考回路を決定的に変えなければならないのは中国の脅威で、それに向き合うためにはアメリカと連携して中国と向き合おうと思いがちで、それが唯一の回答だと思い込んでしまう傾向があります。しかし、先ほど申し上げてきたように米中関係は新しい政権を展望してみても一段と密度が濃い意思疎通と交流を深めていくだろうということを視界に入れなければならないのです。日本人が過剰なまでにアメリカに依存することによって自分たちの将来を切り開いていこうという考え方から、いつ目覚めるのかというところに日本は来ているのだと思います。そこで、最近の米中関係の動きの中で、とりわけ私が注目しているのがエネルギーにおける米中協力です。この番組でも何回か話題にしてきたシェールガスに関して米中シェールガス・タスクフォース協定を結び中国はアメリカのシェールガスの回収技術を世界一の埋蔵量をもっている自分の国に当てはめてシェールガスの開発に立ち向かっていこうという流れをつくろうとしています。加えて、原子力なのですが驚くのは日本が脱原発と言っている流れの中で、アメリカは日本の原子力政策、日本の政治を見ていてどの方向に進むのかを疑問視しています。おそらく、そのようなある種の失望感も背景にあるのだと思うのですが、アメリカと中国との間の原子力協力が非常にいま深まっていて、一番驚いたのがトリウム原発といういままでとは違った新世代の新しい安全性を担保した原子炉の技術開発に関して米中で協力していこうという流れが急速に進み始めています。私は本当に驚いてしまったのですが、中国側の米中連携でトリウム原発の開発に携わる責任者が江沢民の息子で、それくらい本気になっているのだということが見えると思います。
要するに、ここで申し上げておきたいことは、我々はアメリカと中国との連携を見ながら日本自身が真っ当な国になっていくことが最も大事なことなので、ここをしっかりと見つめて進んでいくべきだと申し上げておきたいのです。
木村>日本が本当に世界の動きを的確に読み解いて、そのことを元にして日本が行くべき道をしっかりと開けるかどうかが試されるのだという思いもありますし、これからなかなか切ない状況でもあるという思いも含めて寺島さんのお話をうかがいました。