「日本を政治好きの人たちの楽園にしてはいけないということと改革幻想からの脱却」を。そして 「図解は頭の革命、記念館は心の革命」

◆「2013年への視座」講師:寺島実郎
○2日後に迫った衆院選について、寺島氏は経済人たちが本気で考えなければいけないのは、「日本を政治好きの人たちの楽園にしてはいけないということと改革幻想からの脱却」と指摘した。寺島氏は1994年に上梓して石橋湛山賞を受賞した『新経済主義宣言』(新潮社刊)の中で、職業政治家を削減すべきと書いているが、18年前と現在もその訴えに変化はないと強調。
「日本の国会議員は、米国の国会議員に比べて人口比で3倍いる。政党助成金を含めて直接経費だけで国会議員ひとり当たり2億円かかっている。200人を減らせばどれほど大きな効果が出てくるか」と語り、政治で飯が食える日本は議員定数の削減に自ら血を流すことに手を付けない体質になっているとした。
 国会議員の一方で市町村議会議員の数は、この10年間で大きく減っている。「地方分権行政改革の目的から全国で市町村合併が進み、その結果1988年からの10年間で市町村議会の議員数は2万5000人減った。市町村合併は必ずしも良いことばかりではないが、政治で飯を食っている市町村議会議員を減らしたのは意味のあることだった」と語った。寺島氏は、米国の地方議員はPTAの役員に準ずるようなもので、よほどの志と地域に貢献しようという思いが強くなければ務まらないと述べ、市長を務める知人の米国人は自分の子供の教育費が嵩むというので夜にガードマンのアルバイトをしている例を紹介、「地方議員はそういう職業。国会議員も例えば州ごとに上院なら2期、下院なら4期というように制限を自主的に設けて政治で飯を食えないようにボトムラインを設けている」と訴えた。
 日本は政治で飯が食えるため、政治好きの人たちによる改革幻想に振り回されてきた過去があると言及、「経済人は、改革幻想という目くらましにそろそろ厳しい問題意識を取り戻さなければならない。この20年間を振り返っても、政治改革は選挙制度の手直しだけに終わり、行政改革として行われた省庁再編は国家公務員制度に手を付けなかったから風船のようにこっちを縮めれば向こうが膨らむ如く何の変革にもならなかった。小泉構造改革で世の末のように絶叫して進めた郵政民営化は、ベターであったがマストではなかった。そういうことに延々と付き合わされて元の木阿弥になっている」としたうえで、「3年前の大興奮の元で政権交代した民主党はいつの間にか第二保守党になってしまい、自民党が本来的に主張してきたこととどれだけの差があるのか首をかしげざるを得ない。さらに、地方分権が大事だと言っていた人が国権主義者みたいな発言をする人たちと一緒になった第三極の登場。政治思想の根幹が全く相いれない人たちが一緒になって訳が分からない状態になっている」と述べた。
 政治で飯が食える政治好きの人たちに、次から次に振り回されてきたという経緯を踏まえて寺島氏はこう結論づける。「政治改革の根源的な理想は、政治を極小化すること。政治で飯を食う人がいなくてもしっかり回る仕組みを作ることが政治改革として一番大事だ。私は無政府主義者でもなんでもないが、そういう所から鍛えられてくるリーダーを日本はしっかり作らないとだめだ。政治という選択に向き合う時に、このことは視界に入れておくべき大切なポイントだと思う」
○ 寺島氏は、中国の習近平と米国オバマ政権2期目の関係は日本の国際関係に大きな意味を持つと言う。「日本人の潜在願望は米中対立。それが日本の虚弱な世界観の根源になっている。しかし、米中のコミュケーション密度は一段と深まっている。米国における日本の存在感が急速に萎えていることに気が付かないといけない」
習近平は7年間の農村生活を体験し、田舎の地方政府の役人を長く務めてきた。そういう経験から、ドロ臭さを持つ男で中国の成長重視の裏面や新興富裕層のマネーゲームに対する怒りに近い考えを持っていて草の根主義者と言える体質がある。習近平は米国でホームステイを経験したが、これまで5回の訪米で、その際に必ずホームステイでお世話になったワイオアの家に行って親交を深めている。また、娘はハーバード大に留学中だ。習近平親米派説というのがあるが、この人物はアメリカに対してそこはかとない興味と関心とシンパシー、それにアメリカのある部分をリスペクトしているのは確かだろう。習近平の中国はアメリカとの関係をより踏み込んでいくと思う」
「一方、オバマの第二期政権は、中国をクリントン政権のように戦略的パートナーとは持ち上げていないが、オバマ政権の過去4年間で4回、米中戦略経済対話を北京とワシントンで交互に10人以上の閣僚が出席して行っている。そこでは安全保障から産業教育まで踏み込んだ討議をしており、米中間の密度のあるコミュニケーションを深めている」
「もちろん米中間には懸案の事項がある。例えば経済貿易摩擦。日本人は、米中間は貿易赤字があるからアメリカは中国の為替操作に怒りくるっているだろうと捉えるが、それは違う。貿易の現場にいた人間には常識だが、米中間の貿易赤字の中身のうち6割がアメリカの企業が中国に進出して工場を作り、そこで生産したプロダクトがアメリカに戻っていることによって生じている。ということはアメリカの企業がうるおい、利益を得売る形で米中関係の貿易赤字ができているということだ。アメリカの企業が中国に生産立地した企業からブーメランのような物流が米中間の赤字を生み出している。つまりアメリカの企業が儲かっている中での貿易赤字で、日米貿易摩擦アメリカの怒りとは違う」
「それ以外にも、人権問題、知的所有権の侵害問題などに米中関係は懸案事項がいっぱいあるように思うが、米中関係は日米関係よりもはるかに強いパイプでコミュニケーションを持っている。日米関係の方がよほど過疎だ。日米間には、閣僚級10人が行き交うような戦略対話は今日でさえ実現できていない。米中関係は一見殴り合っているように見えるけどもしっかりコミュニケーション持っている」
「米中間では、エネルギー戦略における連携が一段と進んできた。シェールガスタスクフォース協定というものを米中間で結んでおり、中国はアメリカのシェールガス回収技術を吸収することになっているし、もっと驚くのは米中原子力共同研究が進み始めていること。中国は日本が原発から距離をおこうという空気を察して、アメリカに刺さりこんで原子力の共同研究を始める。トリウム原発の米中共同開発研究がそれで上海には300人規模の研究所まで作った。驚いたのはトリウム原発の研究推進責任者が江沢民の長男であること。日本が脱原発再生可能エネルギーと言っているうちに、どんどん世界のエネルギーを取り巻くパラダイムが変わりつつある」


◆仕事終了後、6時40分から知研セミナーに参加。今日の講師は多摩大学教授であり、当会理事長の久恒啓一さん。テーマは「人物記念館の旅」。
・12月10日現在で511館を訪問。
・40代のサラリーマン時代に図解を開発し、図解教の教祖と言うべき人である。現在も色々な分野で講演し、図解思考を指導されている。50代に入り宮城大学教授時代に人物記念館を訪問するようになったそうである、。図解が「頭の革命」であれば、人物記念館は「心の革命である」。
・本格的に記念館を訪ねたのは、2005年1月4日に郷里の大分県中津市の「福沢諭吉居宅」からスタートした。日本を旅するの温泉・グルメではつまらない。
世界の旅は文明の生態史観の旅。日本の旅は人物記念館の旅。百説。巡礼。日本近代史の旅。
・現在ブログは、明日12月15日で連続3000日を達成し、記念館も500日達成している。昔から「百節すると一人前」といわれているが、ブログを書くために、メモをとり、資料を購入し、実学的に読んでいる。
・先人と会い、自分との比較ができる。まさに聖人との旅である。
・岡田山陽。生涯をかけて富士山を撮り続けた。一筋にやることは素晴らしい。続けることは素晴らしい。川端康成も評価。
柏戸阪神、目玉焼き。(鶴岡市
・住友、大倉、菊池ら経営者は何を残したのか。渋沢栄一の影響もあり、美術館を残した。
・人物記念館を通して、人間の偉さを考える。人の偉さは影響力。それはまさに、人に与える影響である。それは、「大きく、広く、長く」影響力を与えることである。まさに、偉人である。長いといえば、例えば平櫛田中であり、85歳で今なお現役で活躍されている野田一夫先生である。「広さ×深さ×長さ」
福沢諭吉を巡る話題、北里柴三郎後藤新平小泉信三大隈重信、富岡製糸工場の中津の女工、増田壮太郎、増田しか。
・人物記念館は主に近代が中心であるが、その中で特に素晴らしい偉人は福沢諭吉である。明治の教育者・哲学者であり、慶応義塾を創設し、文部省は虎ノ門にあり、文部卿は三田にあると言われた教育者である。素晴らしい福沢山脈を作り、中津の後輩から、小田急や鐘紡の創始者を生みだしている。
北里柴三郎後藤新平後藤新平は、水沢市の出身の不良少年であった。台湾の安定化、満鉄、帝都復興総裁であった。ともに、厚生省に勤務した医者であったが犬猿の中であり、ライバルであった。海外にいっても喧嘩する始末であった。その後、親友になる。北里は、東大出身であるが、東大閥から嫌われた。自ら研究所を創設する際、後藤新平の仲介で、ひゅう基地から土地等を提供してもらい、研究所を創設。諭吉没後、慶応に医学部を創設するに当たり、北里が無給で初代医学部長になった。
・福沢は大隈重信とも仲が良かった。
渋沢栄一を巡る話題、日本資本主義の父、社会貢献としての美術館、徳川慶喜
渋沢栄一。資本主義の父。明治に入り、徳川慶喜を守り、駿府で隠居。大蔵省に入省したが、途中で退官し、官制の資本主義ではなく、民間の資本主義を推進。大学、学校、社会事業に取り組む。財閥は作らなった。社会貢献で美術館。現在、日本には世界でもトップクラスの美術館があるが、このもとを作ったのが、渋沢栄一である。
ロンドンオリンピック、柔道の没落と水泳の飛翔、嘉納治五郎古橋広之進
・加納治五郎。柔道の創設者。講道館。教育者。日本最初のオリンピック委員。
古橋広之進フジヤマのトビウオ。1948年ロンドンオリンピックに参加できず。同年日本選手権で世界新を出す。幻の金メダル。
関東大震災の影響、渋沢、後藤、そして堀文。
・1923年関東大震災。その後、下り坂で太平洋戦争に突入。震災時、渋沢栄一83歳。後藤新平66歳。復興院総裁として東京改造。「震災があっても、道路と公園は残る。」との発想で環八まで整備。隅田川に8つのアートとしての橋を造る。徳富蘇峰60歳、逗子で津波会いながら日本史を編纂。原三渓55歳、横浜の震災の状況を見ながら、「横浜は大丈夫。市民の精神がある。」柳田国男48歳、農水省を退官し、国文学者に。与謝野晶子45歳、現代訳源氏物語の原稿400枚を焼失し、60歳で完成。武者小路実篤38歳、白樺中止。吉川英治31歳。
・近代の偉人をみると、「仰ぎ見る師匠の存在」「敵との切磋、友との琢磨」「持続する志」「怒涛の仕事量」「修養・鍛錬・研鑽」「飛翔する構想力」「日本への回帰」にわけることができる。
・グルメや温泉の旅も良いが、記念館の旅により、経済への貢献。偉人伝の復活により、地域おこし。日本を掘り起こし。
・最近、講義で形式ではなく、ユ―チューブをの映像を使い、授業を行うと学生の反応が良い。北原輝久。水木しげる坂の上の雲の秋山兄弟。阿久悠秋元康司馬遼太郎寺山修司。教材として使える。学生には「自分のモデル」を見つけるように指導している。<記念館リスト>久恒さん配付資料から
訪問記念館リスト:511館 (2012年12月10日現在)

2012年(57館)
三島由紀夫 徳富蘇峰 北原照久 小池邦夫 岡田紅陽 横井庄一 新美南吉 立花隆(企)森鴎外  飯田蛇笏(企) ミレー  斎藤茂吉(企) ドビュッシー(企) 臼井吉見 荻原守衛 いわさきちひろ根津嘉一郎 横溝正史 藤田嗣治(企) 安野光雅(企)亀井文蔵 松本竣介(企) 原六郎 徳富蘆花 竹久夢二 那須与一 古橋広之進 賀茂真淵 木下惠介 フェルメール 田嶋宏行 駒井哲郎(企) 大宅壮一 阿久悠 米沢嘉博 粉川忠 ゲーテ 上杉憲実 海音寺潮五郎 手塚治虫(企) ダ・ヴィンチ(企) セザンヌ(企) 鉄川与助(企) 南桂子(企)松井冬子(企) 細見良(企) 鳥居龍蔵  モラエス  阿波十郎兵衛  村内道昌  土屋文明  辻村寿三郎(企) 新島襄 山川庄太郎  西山由之 ロダン 今和次郎(企)

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2011年(64館)
柏戸 藤沢周平 出光佐三 長谷川等伯(企) 鈴木大拙 大石内蔵助(企)モーリス・ドニ(企)萩原朔太郎(企)細川護煕(企) 和田誠(企) 川上音二郎貞奴(企) 開高健  松前重義 空海(企) 梅屋庄吉(企) 岡田三郎助 藤島武二 若山牧水 芹沢光冶良 大岡信 滝沢馬琴(劇)芹沢?介(企) パウル・クレー(企) 蕗谷虹児(企) 夏目漱石(企)内田九一(企)山本正之(企) 狩野一信(企) レンブラント(企) 東洲斎写楽(企)仏陀(企)池波正太郎  直木三十五 井植歳男 親鸞 空海  孫文  武藤山治  高田屋嘉兵衛 梅棹忠夫(企)池田英一  向井潤吉  白洲正子(企)  野間清治 フェルメール(企)豊田佐吉 豊田喜一郎 細井平洲 イーダ・ヴァリッキオ(企) 北里柴三郎 宮崎滔天榎木孝明 大野勝彦 前田真三・晃 中村道雄  松浦武四郎(企) 星野富弘(企) 相田みつを山本為三郎 大倉治右衛門 松本治六郎 坂本龍馬 細川護立 佐藤忠良(企) 徳田八十吉(企)

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2010年(76館)
三島由紀夫 平木信二 蔦谷重三郎 ピカソ ヘンリー・ムーア 鈴木常司  アンリ・ルソー サン=テグジュベリ 鵜飼貞夫  松永安左衛門 中川与一 大倉喜八郎 小林一三藤田伝三郎 鑑真 住友吉左右衛門友純 大倉喜八郎大倉喜七郎 菊池寛実 畠山一清 原邦造 岩崎弥之助 岩崎小弥太 太田清蔵  仙がい(企) 上村松園(企)宮尾登美子(企) 毛沢東 魯迅 孫文 周恩来  山川健次郎  白虎隊 小島為政  川喜多長政・かしこ高浜虚子(企) 吉屋信子 武者小路実篤 水木しげる 徳川家康(企) 城山三郎(企)ピカソ(企) ユトリロ(企) 黒沢明(企) 松岡清次郎  クロード・モネ(企)奥村土牛(企) 星新一(企) 三岸節子(企) マネ(企) 歌川国芳(企)石阪昌孝 岩合光昭(企) 小野竹喬(企) 土方歳三 佐藤彦五郎  井上源三郎  高橋是清 火野葦平  アインシュタイン 前田国男  富沢政恕 本居宣長  八木下要右衛門  石井桃子(企) 林芙美子 川瀬巴水(企) 相笠昌義(企) 唐人お吉  木下杢太郎 吉田松陰(企) タウンゼント・ハリス 下岡蓮杖 池田満寿夫 山本冬彦(企) 野口英世  安野光雅(企) 馬驍(企)

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2009年(53館)
安井曾太郎(企) 今井兼次(企) 久世光彦(企) 森繁久彌(企) 小幡篤次郎  根津嘉一郎 関口雄揮  有島武郎  渡辺淳一 おおば比呂司  本郷新  三岸好太郎 二宮尊徳
西村京太郎 中川一政  西田幾多郎 銭屋五兵衛  中川一政  田河水泡 松尾芭蕉  ゴーギャン柳宗理  ペリー  ヴェルニー 長岡半太郎 若山牧水 中里介山  小島善太郎  赤塚不二夫 大山由之 エドウィン・ダン  尾崎行雄 岸田劉生(企) 戸田城聖  原三溪  久米邦武・桂一郎  松本清張(企) 牛島憲之 中村雨紅 前田真三  堂本印象  岩倉具視  永瀬義郎 湯浅八郎 いわさきちひろ 賀川豊彦 松本清張  森鴎外(九州) 加山又造(企) 熊谷守一  福沢諭吉(企)  平櫛田中  中村研一

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2008年(46館)
大野弁吉  中川一郎  葉祥明  鏑木清方 ピカソ(企・サ) 金田一春彦 今井邦子 島木赤彦  原田泰治 平林たい子  藤原咲平  新田次郎  宮脇俊三(企) 五島慶太  村野四郎  太宰治(文) 岡本太郎(川崎)小杉放菴  二宮尊徳  フェルメール(企)  吉川英治  川合玉堂 高木栄子 与勇輝  牧野富太郎  植村直己 白洲次郎・正子 
林芙美子(東京) 手塚治虫  川端康成  松下幸之助  与謝野晶子  ジョン・レノン 小泉信三  昭和天皇  明治天皇 宮城まり子  吉行淳之介  東山魁夷(企)
夏目漱石(企) 安宅英一(企) 大江雲沢  横山大観(企) 在原 業平(企) 水戸 斉昭 水戸光圀

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2007年(76館)
北大路魯山人 南方熊楠  辻村寿三郎  藤田喬平 乃木希典 高杉晋作(下関) 吉田松陰 伊藤博文  桂太郎  木戸孝允 青木周弼 高杉晋作(萩) 澁澤龍彦(企) 山下清 
マルク・シャガール 野上弥生子 吉丸一昌  高田屋嘉兵衛 北島三郎 土方歳三 石川啄木 金子鴎亭 川田龍吉  カール・レイモン 柳宗悦(企) 河井継之助  山本五十六
中島千波  高井鴻山  葛飾北斎 池田満寿夫  佐久間象山  東山魁夷  高濱虚子 渥美清 小山敬三  島崎藤村  泉鏡花  五木寛之  徳田 秋聲 室生犀星  松井秀喜
村上玄水  阿部次郎  清河八郎 高山樗牛  白瀬のぶ  石川達三 菅江真澄  石坂洋次郎 山下太郎  矢口高雄  安岡正篤  歌川広重  斎藤真一 最上徳内 夏目漱石 小泉八雲 徳富蘇峰・蘆花 横井小楠 島津源蔵  末川博  大河内伝次郎  池大雅  新島襄  平山郁夫  佐藤忠良  最澄  橋本関雪 河井寛次郎 高村智恵子 扇畑忠雄  豊臣秀吉加藤清正  森村宜稲  加藤唐九郎 小野道風

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2006年(60館)
長井勝一  浜口陽三  柳宗悦  武者小路実篤 鎌田三之助  阿部東庵  白凡金九(韓国) 黒田清輝 樋口一葉  森鴎外(東京) 正岡子規 芹沢?介 大山康晴 新渡戸稲造・傳・十次郎 田中館愛橘 福田繁雄  羽仁もと子 藤沢周平  亀井南冥・昭陽  広瀬淡窓  双葉山定次 柳田國男  佐々木喜善  萬鉄五郎  ジョー・プライス 宮城道雄 布施辰治  横山大観 大佛次郎  澤田美喜  池波正太郎  岩崎久弥 ナポレオン 草野心平 岡倉天心 山田かまち 石ノ森 章太郎  渋沢栄一 高村光太郎(岩手) 宮沢賢治  寺山修司  太宰治 高村光太郎(企)  魯迅(中国 紹興宮崎駿 山本有三  宇治山哲平 伊達政宗 坂本龍馬   グラバー  菅原道真  ド・ロ神父  遠藤周作 シーボルト 原阿佐緒 頭山満 北原白秋  大隈重信  佐野常民  棟方志功

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2005年(70館)
青木周蔵  松本清張  徳富蘆花  徳富蘇峰  宋慶齢(中国 北京)魯迅(中国 北京) 立原道造 竹久夢二  鴎外(東京) 会津八一  三木武夫 坪内逍遥  サトウハチロー 原敬 石川啄木 渡辺崋山  杉原千畝 堀辰雄 有島武郎 野上八重子 内村鑑三  池大雅  室生犀星  朝倉文夫 中村不折  樋口一葉 熊谷守一  葛飾北斎  向田邦子 与謝野晶子  宮尾登美子  志賀直哉 林芙美子尾道小津安二郎  鳩山一郎 岡本太郎(東京) 吉田茂  後藤新平 相田みつを 杉本苑子  澤田政廣 中山晋平 尾崎行雄  佐々木信綱  高野長英 新渡戸稲造  阿部次郎 古関裕而 久米正雄  山縣有朋 野口英世 司馬遼太郎  土井晩翠  白鳥省吾 吉野作造 三浦梅園 重光葵
 佐藤義美  広瀬武夫 田能村竹田  滝廉太郎 朝倉文夫(大分)福沢諭吉

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2004年(9館)
土門拳 斎藤茂吉 結城豊太郎 浜田広介 斎藤實  井上靖  三浦綾子 乃木希典 坂本龍馬



◆感想
・偉人同士のつながりに驚く。まさに目からウロコである。大学の授業ではないが、話に引き込まれる。
・久恒さんほどではないが、正岡子規(松山)、坂の上ミュジアム、秋山兄弟の居宅、林芙美子志賀直哉西周の居宅、森鴎外の居宅、新美南吉、大阪適塾福沢諭吉(企)、伊能忠敬吉川英治山本有三司馬遼太郎、いわさきちいろ、若山牧水樋口一葉などを訪ねているが、資料を袋に入れてあるだが、もう一度、それらを整理してこのブログに載せてみようかな。でも、最近は山田方谷に関し興味があるので、まず、そのあたりから掘り下げてみようと思う。あまり旅する機会が少ないが、仮にでかけるのであれば、そのような人物記念館を歩くのも面白いかもしれない。
・若かりし頃にこのことを学んでいれば、自分のライフプランも変っていたかもしれない。しかし、「遅咲き偉人伝」ではないが、まだまだ自分の人生もこれからである。


●講演会終了後、忘年会。皆さんの今年一年の話を聞く。それぞれ皆さん頑張っているなと感じる。僕も負けずに来年も今年以上に駆け抜けていきたいものである。楽しいひと時を過ごす。
 出席者の発言から出席者の発言から、「毒と薬。テレビ出演」「伊東の生活」「ミャンマー。英語で土木の講義」「昔日の灘高の教育方法」「幸せ度調査」「不動産の下落が激しい。家賃の急落」「道徳教育。地域の偉人発見。誇り」「呼吸が浅い。酸欠状態」「中国に関する小説を書いた」「ソーシャルメディアは拡散」など