乾燥注意報が続く。そして、小宮一慶さんの語る「2013年に注目すべき景気指標」とは。

 今日は昨日に比べ、日中は暖かそう。今日から学校も再開し、通勤電車の混み具合も本格化した。今週から、仕事始めの人も多かったのだが、学生さんも復活すると、まさに、着膨れラッシュである。

小宮一慶さんの語る「2013年に注目すべき景気指標」
 まず、安倍政権は「2%」のインフレターゲットを設定し、そのことで日本銀行に圧力をかけている。現状の「消費者物価上昇率(前年比)」は2012年11月の数字で「−0.1%」と物価が下落する状況となっている。これに関連して私が注目しているのは「輸入物価指数」です。こちらは11月で「+1.4%(速報値)」となっている。輸入物価が上昇して国内の消費者物価が上がるとすれば、それはいわゆる「コストプッシュ型」のインフレで、これでは国内のお金が海外に出て行くだけの「悪いインフレ」となってしまう。円安が進んでいるので、輸入物価が上昇しやすくなっていることに注目が必要。  このことと関連して、物価上昇よりも高い「名目国内総生産」の成長率が達成できるかにも注目。国内総生産は、国内で稼いだ付加価値の合計ですから、
こちらが消費者物価よりも上がれば、国民の生活は豊かになる。安倍内閣ではこの名目国内総生産の上昇目標を3%としているが、インフレターゲットの方だけが注目されているのが私としては少し心配。7-9月の名目国内総生産は年率で「マイナス3.6%」で、実額では約474兆円である。10-12月
は、「鉱工業生産指数」や「消費支出2人以上世帯」の動きを見ていると、7-9月と大きく変わらず底ばいの状態が続くと考えられるが、米国経済の状況などにより2013年に入り反転することが期待できる。ただし、先ほども述べたように、消費者物価上昇率よりも高い状態が続くことが大切。
 もうひとつ懸念しているのは「貿易収支」である。現状のままですと2012年度の輸出額は60兆円前後であるのに対し、輸入額は70兆円程度となりそう。つまり、10兆円ほどの貿易赤字となるわけで、この分、お金が海外に流出する。もちろん名目国内総生産も押し下げる。円安に振れているせいで輸出は増加しやすいが、それでも先ほど述べた輸入物価とも関係して輸入額も増える。各月の輸出入の数字(貿易収支)からは目が離せない状況である。
 さらには、「企業倒産件数」にも注目。このところ月間1000件程度(年間1万2000件前後)とかなり低水準で推移しているが、このままでは3月末に「金融円滑化法」の期限切れを迎える。企業の銀行からの借入れ返済を緩和するものであるが、当初40万社が申請し、現状でも30万社程度が利用している。もし法律が期限切れを迎え、金融機関の対応にもよるが、万一、申請企業の1割でも倒産すれば3万社だから、これは結構大きなインパクトを日本経済や企業経営に与えかねない。法律延長の動向と、倒産件数には注意が必要。
 海外に目を転じれば、今年の世界経済の牽引役となることが最も期待されている米国の「国内総生産」からも目が離せません。QE3(量的緩和第3弾)が実施されているが、これは現状7.8%の失業率が6.5%になるまで続ける予定。「新車販売台数」も年換算で1500万台程度に戻り、「住宅着工」も底上げ感が出てきているが、先送りした「財政の崖」がどう決着するのかにも2月末にかけて世界中が注目するでしょう。中国経済は底を打ち、欧州経済は低迷を続けると予想されますが、アルゼンチン問題が注目され始めているように世界経済はいつも不安定要因を抱えている。景気指標の数字やニュースに気をつけながら、自身のビジネスに活かしていくことが大切。

(1月8日生まれの偉人)
◆下瀬雅允(しもせ まさちか、安政6年12月16日(1860年1月8日) - 明治44年(1911年)9月6日)は、発明家、化学技術者、工学博士、旧日本海軍の軍属(技手・技師=技官)。下瀬火薬の発明者。安芸(広島)藩士下瀬徳之助の長男。明治17(1884)年工部大学校(のちの東京帝大工学部)応用化学科を卒業。初め大蔵省印刷局に勤務し、のち海軍技手に転職して火薬の研究に従事する。明治21年ピクリン酸を主剤とした爆裂薬を発明し。下瀬火薬として海軍に採用された。この火薬はのちに日露の海戦で使われ効果があった。海軍造兵廠主幹を経て、明治32年海軍下瀬火薬製造所長となるが42年辞任。帝国学士院賞受賞。
梅屋庄吉(うめや しょうきち、明治元年11月26日(1869年1月8日)- 昭和9年(1934年)11月23日)は、日本の実業家。アジア主義者。長崎県生まれ。幼少期、土佐藩経営の土佐商会の家主もあった貿易商・梅屋家に養子入りする。一時は米穀相場に失敗して中国へ退転したが、写真術を学んで写真館を経営するなど、香港で貿易商として地位を築いた。
 中国革命を企図した孫文に多額の資金援助をし、辛亥革命の成就に寄与している。革命後も、孫文宋慶齢との披露宴を主宰するなど、たびたび日本に亡命した孫文への援助を続けた。また、頭山満犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天アジア主義者らと集い、フィリピンの独立運動にも関与している。その後、映画事業に取り組んで白瀬矗の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、これらの事業で得た多額の資金を革命に投じている。
 千葉県夷隅郡長者町の別荘において孫文らと秘密の会議をしばしば行なった。この別荘は高い塀と樹木に囲まれており、外部からは内部の様子が殆ど見えず、場違いの白亜の館らしものが見える状態になっている。日中関係の悪化に伴い、外相・広田弘毅に改善の談判に赴こうとした途上、最寄駅である外房線三門駅にて倒れ、急死した。65歳歿。
◆堀口 大學(ほりぐち だいがく、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。。東京に生まれ,新潟県に育つ。中学卒業と同時に上京,与謝野寛・晶子の新詩社に入って,短歌・詩を作る。慶応義塾大学を中退して,外交官の父九万一(くまいち)の任地メキシコに赴き,以後父に従って南アメリカやヨーロッパの各地を転住,1925年に帰国するまで,途中2度の滞日期間を除き,青年期の十数年間を海外で過ごした。その間,訳詩集《昨日の花》(1918)を手始めに,詩集《月光とピエロ》(1919),《新しき小径》(1922),歌集《パンの笛》(1919)などを次々と刊行,帰国後の25年に出版された《月下の一群》は日本の代表的な名訳詩集の1冊である。
◆今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 - 1991年11月22日)は、日本の昭和期の映画監督である。社会派映画を主に手掛け、戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠である。昭和14年東宝の「沼津兵学校」で監督デビュー。戦後「青い山脈」「また逢う日まで」をヒットさせる。25年東宝を退社。以後,独立プロを中心に「どっこい生きてる」「ひめゆりの塔」「ここに泉あり」「真昼の暗黒」「米」などおおくの作品を監督,社会派として知られた。
◆森 英恵(もり はなえ、1926年1月8日- )は、日本の女性ファッションデザイナーである。地域経済総合研究所評議員。結婚後に洋裁をまなび,昭和26年東京新宿に洋裁店「ひよしや」を開設,おおくの映画衣装も手がけた。40年ニューヨーク,52年パリに進出,日本人で初のパリのオートクチュール組合の会員になるなど,国際的に活躍。日本航空の制服やオペラ,バレエの衣装も担当。平成8年文化勲章。10年水戸市芸術振興財団理事長。島根県出身。