「<中間貯蔵>初の説明会…住民から不信の声」、そしてビジネスを考える「考え抜くことで解は得られる」

(今朝のニュース)
◆<中間貯蔵>初の説明会…環境省 住民から不信の声 大熊町毎日新聞 1月8日(火)20時14分配信)
 東京電力福島第1原発事故で生じた汚染土を一時保管する中間貯蔵施設の建設問題で、環境省は8日、候補地を示した福島県内3町のうち初めて、同県会津若松市に避難している大熊町の住民を対象に説明会を開いた。
 この日は候補地がある地区の住民約150人が出席。建設地や周辺地域への補償、処理方法について質問が出たが、環境省の担当者は「調査してみないと分からない」と計画や条件を具体的に示さなかった。住民からは「何も示さないまま調査し、無理やりに建設を進めるのだろう」など不信の声が相次いだ。
 30年以内に福島県外で汚染土を最終処分するとの説明にも「沖縄の米軍基地と同じで誰も引き受けない。法律化して安心を与えてほしい」との声が上がった。環境省は今月中にも現地調査を始める予定。同町住民への説明会は10日までに県内3カ所で計6回開く。一方、楢葉町は8日、除染の手抜き工事発覚を受け、区長会を対象に10日に予定されていた中間貯蔵施設調査の説明会延期を同省に通告した。松本幸英町長は「2年後の帰還に向けた計画全体が崩れてしまう怒り心頭の事態だ」と話した。【乾達、中尾卓英】

(講演記録から)
 昨年11月「グローバル時代に求められるキャリアとは?」と題するセミナーが開かれた。講師は日本マクドナルドホールディングス代表取締役会長の原田泳幸氏「考え抜くことで解は得られる」と、イー・ウーマン代表取締役社長の佐々木かをり氏「自分を幸せに保つ時間管理術」。
◆リーダーシップや人間力は自ら鍛えるもの
 「マクドナルドの経営改革とリーダーシップ」と題し、原田泳幸氏が演壇に立った。原田氏といえば、ロードバイクをはじめ各種のスポーツ愛好家として知られる。冒頭、この日の講演前にもジムでトレーニングをしてきたと披露。隣でストレッチをしながら息子の進路についてトレーナーと雑談を交わしている同年代の人の話が、自然と耳に入ってきたという。「私も『最近の若者は〜』と言う年代になりました。最近の若者は、我々の時代と比べ、どこが違うか。乱暴な言い方を許してもらえば、周囲に育ててもらっている。知識や技術は教えられて身に付くが、リーダーシップや人間力はそうはいかない。自ら鍛えていくものではないか」
 マクドナルドは世界119カ国でビジネスを展開している。日本のトップは原田氏だが、他国のトップに日本人は皆無だという。「日本人はグローバルでないとよく言われるが、その象徴的な現象が自分たちのグループにある」と原田氏は言う。日本マクドナルドホールディングスを、他国のマクドナルドでトップを務めうるグローバルリーダーを輩出するエクセレントカンパニーにすることが目下、注力していることである。
・基本重視、らしさ回復…、4つの基本を社員と共有
 かつてマクドナルドは7年連続マイナス成長の泥沼にいた。そのような状況で原田氏は副会長として招かれ、大鉈を振るったわけだが、講演ではその改革の中身についても触れた。「基本に戻る」。レストランビジネスの基本はクオリティ、サービス、クレンリネス。各店でこの3つを実現できる店長が育っていないのに、店舗拡大に急だったのが不振の理由だという。「単に順番が逆だっただけ。決して難しい戦略で失敗していたのではない」。
・「らしさを取り戻せ」。マクドナルドは不振時、何をしたか。カレーや麺類を出し始めた。「もちろん新規事業を否定しない。しかし、それは成長期に打つべき手。ダウントレンドの時はコア事業に集中すべき」。最近、マクドナルドは、マックカフェというコーヒー主体の店舗を始め、好調である。新事業に乗り出したのかと思いきや、これまでハンバーガーとは無縁だがコーヒー好きという顧客を呼び込み、ビッグマックに誘導するのが狙いだという。あくまでハンバーガーがマクドナルド「らしさ」なのだ。さらに「グローバリゼーション」と「顧客価値の向上」。この4つの基本的な考えを社員と共有し、投資を伴う改革をした。その結果が8年連続プラス成長という、まさにV字回復につながった。
・考え抜くことで解は得られる
 この日は、「これまで話していないエピソードを漏らすかもしれない」。どんなエピソードが聞けるのだろうか。聴衆の期待は膨らむ。それは原田氏がマクドナルドに迎えられて初の役員会議だった。新メニューのマックグランを市場投入するのだが、投入すべきは1種類か、2種類か、3種類かを議論していた。オペレーション担当役員は「1種類を推す。多いと現場が混乱し、オペレーションの質が保てない」という。マーケティング担当役員は「3種類がいい」という。次の役員は「間をとって2種類がいい」と。事実なのかネタなのか、会場はどっと沸く。「そんな議論、止めろと言いました。経営戦略を多数決で決めていいのか。そこで質問したのです。機会点(チャンス)はどれが最も大きいか、と」。すると、3種類で全員一致する。3種類を出すために、ではオペレーションをどうするか。徹底して考える。
 ビジネスは掛け算。仮に1から5までプロセスがあるとして、首尾よく4まで行っても、最後がゼロなら、結果はゼロにしかならない。必要なものは1つたりとも欠かさないよう、徹底して、しつこく、こだわる。それが原田流の改革だった。従来の方法では電子レンジで温めざるを得ないトマトも、冷えた状態で提供できるように、オペレーションを徹底して考え抜かせた。「いつも社員に言うのは、チャレンジして失敗しても敗北者でない。チャレンジせず成果が出ないのが敗北者。従って、結果がどうであれチャレンジするという結論になる。チャレンジせよ」。
(参考)
原田泳幸著『とことんやれば、必ずできる』を読んで印象に残った3つのポイント
P.12 『一年かかることを三ヶ月で終わらせる』
何もせずに一日を過ごすと、ただ一日という時間を消費したに過ぎない。大事なのは一日という時間のうちに何か新しいプロセスに挑戦したのかどうかということ。1日に1%でも自分を改善することができれば、1ヶ月後には間違いなく「変わった」「成長した」と言える自分がいるはず。人生の目標だろうが、今年の目標だろうが、結局それを細分化すれば今日という1日に落とし込まれるわけです。今日挑戦したことが自分の目標達成につながっていくはず。それも目標につながるということが明確ではない場面においても、挑戦することはできるし、それによって思わぬ形で自分の成長につながることがあります。チャンスはどこに転がっているかわかりませんし、それは最初チャンスという形をしていないかもしれません。
P. 29 脳を刺激しあえる人とつき合う
 誰とつき合うかというのは非常に重要なテーマです。自分が身を置く環境というのはそれほど大事です。「つるみの法則」というものがありますが、過去1年間に一番多く時間を過ごした人5人をあげると、自分の考え方、価値観、使っている言葉、はたまた年収までがその5人の平均とだいたい同じになるそうです。これは逆にとると、一緒にいる人を変えれば自分も変わるということ。自分のエネルギーを常に高く保ち、そしてエネルギーの高い人たちと一緒にいるようにする。それが自分を成長させてくれる近道だと思います。
P. 53 ゴールから逆算して何をするべきか考える
日本人にありがちなのが、「やり方」の追求。つまり、「今」を基準にして積み上げの人生を送るパターンです。しかし、おそらく世の中でうまくいっている人は自分の理想の「あり方」があって、それに向かって逆算で思考して行動している人だと思います。
本当に自分の目指す「あり方」(仕事だけじゃなくてどういう人間になりたいのか、どういう生活が送りたいのか)から考えて何をすべきかを選択した方が自分の生きたい人生を生きることができるのではないでしょうか。
●「1日2時間の空白」日本マクドナルド 原田泳幸社長
・優先順位の判断は必ず自分でする
時間管理は手帳の使い方よりも、無駄な予定を入れないことにつきますね。とくに、当社は午後6時以降の残業は禁止。社長も例外ではないので、余計なことをやっている暇はありません。たとえば、何の準備もできていないのにとりあえず集まることが目的となっている定例ミーティングや、すでに決まっていることを確認するような会議。こういう予定は絶対に入れないようにしています。
 ただし、秘書には、ミーティングの申し入れがあったらそれがどんな内容でも、またスケジュールの空き状況にかかわらず、「検討して1日以内に返事をします」と伝えるよう指示を出しています。なぜなら、そのミーティングの重要度やプライオリティーの判断は、私にしかできないからです。基本的には会社の売り上げやコミュニケーション、それから人材育成に関するものは優先順位を高く設定していますが、なかにはエレベーターのなかの立ち話ですんでしまうものもあれば、別の人間に任せても問題ないものもあるので、テーマで機械的に優先順位をつけることはできないのです。それから、メールに時間をとられないように、返事はほとんど「了解」「OK」のひと言ですませます。逆に、社員が私にメールするときは、私が知らなければならないことだけを一行にまとめて書くというルールになっています。
・こうして、無駄は排除しますが、どんなに忙しくても必ず1日2時間の空白時間をつくります。経営者としての判断を誤らないためには、ひとりになって仕事の中身を一つひとつ検証したり、整理したりする時間が不可欠だからです。といっても、社長室でじっと目をつぶって思索に耽るようなことはあまりなく、たいていは会社のなかをぶらぶら歩いたり、店舗でコーヒーを飲んだりしながら、いろいろなことに想いを巡らしています。
・浮かんだアイデアは、覚えるのでメモ帳は要りません。書くと安心して忘れてしまうでしょう。それだと、メモ帳を失くしたらそれで終わりではないですか。だったら気合を入れて記憶したほうがよっぽど安心できます。たとえど忘れしても、意味のあるアイデアなら、いざというときには必ず思い出せるものです。また常にブラックベリーを携帯していますが、これはメールの送受信専用で、手帳としては使っていませんし、使う予定もいまのところありません。そもそも私は手帳を持ち歩く習慣がないのです。スケジュールは秘書が手書きでつくったものを、朝と夕に必要なところだけコピーしてもらって確認しています。午後6時以降の残業禁止は私が決めました。仕事が人生のすべてのような考え方は健全ではないからです。
 だいたい、社員が長時間労働に耐えることで製品のコスト競争力を上げるというのは、戦後の復興期の政策です。これからの日本企業はインテレクチュアル・プロパティー(知的財産)やクリエーティビティーで差別化を図っていかなければなりません。労働時間を延ばすというのは明らかに時代に逆行しています。そうはいっても反発はありました。それまで毎月100時間も残業してようやくこなしていた量を、6時までに終わらせられるはずがないというわけです。しかし、アップルコンピュータ・ジャパン時代に残業ゼロを実現していた私には、それが可能だということや、そのために徹底的に無駄を排除し、スピードを上げ、密度を濃くすれば、延々と残業をしていたときよりむしろ、仕事の質は上がるということもわかっていました。
・それに、ファストフード・ビジネスというのは、わずか0.5秒で食べるか食べないかを決めるお客さんを相手にしているのですから、時速300キロメートルのF1マシンを運転するスピード感がなければ、し烈な競争に勝ち続けることはできません。それを社員に教えなければならないという思いもあったのです。
だから、絶対に無理だとは言わせませんでした。サービス残業でいいと言っても認めません。こっちは仕事の質とスピードを要求しているのですから。メディアや広告代理店にも協力してもらって、取材や企画提案なども、すべて午後6時前にしてもらいました。夜に働くのが常態化している業界の人たちには申し訳ないとは思いましたが、残業禁止の旗振り役である私自身が禁を破っていたら、社員に示しがつきませんからね。
・残業月ひと桁で過去最高益を達成
 こうして全社一丸となって残業ゼロに取り組んでいると、資料の1ページ目から読み上げるような会議や、パワーポイントにワープロの文章を貼り付けて読ませるといったプレゼンテーションは自然と減り、その分生産性は確実に高まってきました。いまでは全社員の平均残業時間(月間)はひと桁です。しかも、2009年1〜6月期には96億3600万円という過去最高の営業利益を叩き出しました。仕事は時間ではない、質とスピードなのだということを、当社の社員は見事に証明してくれたのです。
6時に仕事を終えたあとに何をするかは個人の自由に任せています。習い事をしてもいいし、家に帰って家族と夕食をともにするのもいい、居酒屋に直行したってかまいません。大事なのは、オンとオフのけじめがあること。そういう意識がないと、日本人はまじめなので、自分の時間をすべて仕事に注ぎ込んでしまいかねないのです。自分の時間はすべてビジネスアワーだと思って働けという経営者もいるようですが、私はそうは思いません。仕事と趣味と家族と過ごす時間の、どれが欠けても充実した人生は送れませんし、仕事一辺倒ではクリエーティブなひらめきも生まれないでしょう。
 「マクドナルド、コーヒー無料キャンペーン」は2年越しで実現した私のアイデアです。2008年は店の外でサンプリング・カップを配っていましたが、あんな普通なことではダメです。店のなかで無料で提供するから話題になるのだと社内の反対を押し切って、強引に実施したところ結果は大成功。キャンペーン期間中は客数だけでなく客単価も上がりました。これから戦力になるのは、こういうクレージーな発想ができる人なのです。
いまは毎朝10.5キロのジョギングが日課です。週末は自転車。100キロは軽く走ります。最近は少し休んでいますが、ドラムという趣味もあります。私が仕事だけの人間だったらきっと、コーヒー無料のアイデアは生まれなかったと思いますよ。
●「原田さんが常々、マクドナルドで大切にしている言葉」
1.リサーチデータで戦略を立てるな
 データはあくまでもツール。何を信じるか、が大事であって、  数字だけを読み解いて立てた施策は驚きがない。現場に行ってハンバーガーをほおばった瞬間のお客様の表情、目の輝き、匂い、などなどを見て、機会点を見つける。(※機会点・・・マクドナルドでは、問題点を機会点と呼ぶそうです。 成長の機会が見つかった!ということだそう。)
2.基本に立ち返る
 常に基礎的な練習に立ち返る。音楽でもマラソンでもなんでもそう。基礎的な練習なくして応用なし!けがをする。
3.「らしさ」を大切にする
 マクドナルドは「アメリカのハンバーガーショップ」。日本的なものを売ろうとしても売れない。やっぱり不動の人気はビッグマックアメリカ的ながっつり感。これを軸にしていく。「らしさ」を強化する。
4.強みをより伸ばす
 弱いところを補強するのではなく、マックの強さをより活かすための戦略を取る。
5.職位ではなく職種
 役職は上位や階層ということではない。単なる職種でしかない。切れ目ない成長、パイプラインタレントを目指すため、下の者の成長を阻害するものは「ブロッカー」と呼ばれ、排除される。マックはこれから女性と若者を多く成長させていく。いくら優秀で仕事ができても人を阻害する人はNG。
6.売った数字か、売れた数字か。
 結果と目標のGAPだけしか見ないマネジメントをしてはならない。その結果から見て「次どうするか」「どういう戦略を立てるのか」が大事。自分が「売った」のか、勝手に「売れた」のか、その意識の差が今後の大きな差につながる。
7.後継者育成はマネジメントの使命である。
 日本企業の弱いところ。カリスマ経営者が今でもその企業の大きなカリスマとなっている。そうではなくて、シームレスな後継者づくりができてこそ、強い企業となっていく。
8.世界のルールで戦う
 Think Global、 Act Local
9.世界の文化を知り、日本の文化を知る。
 英語で考え英語で話す、日本語で考え日本語で話す、こういったことがスムーズにできること。自分たちの文化を知って相手を知ること、相手の視点を考えること
10.知識と経験が創造の障壁
  知識、経験は創造・クリエイティブには邪魔になる。常にフレッシュな気持ちで挑戦する
11.マネジメントはサイエンスとサイコロジー
  論理的にマネジメントを行ったところで何も面白味がない。サイコロジーな人たちが大多数、論理的が少数、で常に新しい創造が起こっていく
12.ベストインナーセールスマンであるべき
  社内のコミュニケーションを大切にし、こいつの言うことなら「売れる!」と思わせることがマーケティングの真骨頂
13.KPIは目的ではない
  人事評価を数字だけで行うのはおかしい。10個ほどの数字を並べ立てている会社もあるようだが、本来各数字は相関し合っておりすべてを一気にあげるのは矛盾が生じる。複合  的・時系列的に考えるべきである。
14.ビジネスは常に矛盾するものの追求。二者択一ではなく、二者択二。
  矛盾するものの中でどう両方とるか、これが戦略だ。
15.女性の進出を図る
  日本人口男女比はほぼ50:50になっている。しかし、女性幹部社員の比率は遠く及ばない。潜在能力が生かし切れていないということ。毎年目標を数値化して女性幹部社員を増 やしていく。
16.ひらめきは思いつきではない
  考えて、考えて、考えぬいて、「パっ!」と思いつく。しつこい思考の結果。この肌感覚を持て。
・この考え方はマックの人事制度にも大きく表れている。マックはピープルビジネスである、と断言する原田さんは、様々な取組をされていますが、その中でも力を入れているのが、ES向上!ES向上が業績を上げる鍵!ESの源泉は「人が育っていく実感」。仕事をしながら、自分の成長が実感できるよう様々な施策を打っている。ハンバーガー大学を設立し、経営の勉強ができる環境を整えたり、クルーコンテストでNO.1のクルーを表彰したり、DSソフトで個人でハンバーガーの作り方を学べる教材を提供したり、なんと歌のコンテストもあるんだそう!!実際に優勝者がソニーミュージックからデビューしたんだそうな!!
・原田さんが何を一番に考えているか、というと「業績」!業績が上がっているからこそブランド力がある。ブランドに魅力があるところで働きたいからこそ、いい人材が集まる。
だから、お客様によりよい価値を提供できる。このブランド→価値→業績の循環を大切にしている。
●「グローバル時代に求められるもの〜マクドナルドの改革より〜」(代表取締役会長兼社長兼CEO 原田泳幸氏)
・グローバル企業といっても、すべて文化が違う。アメリ東海岸、西海岸、シカゴ、ニューヨークでも違う。マクドナルドは、アナログ人間がアナログ商品を扱っている「ピープルビジネス」。お客さんは常に衝動買い。0.5秒で判断する。
日本マクドナルドは、1971年にスタートした。71年〜創生期、77年〜成長期、92年〜低迷期と言える。低迷したのは、人材が育っていないのに、急速な店舗展開をしたことが歪みを生んだから。私が就任した2004年〜回復期。今年は9年目だが、大変厳しい。
・売上を上げるのは簡単だが、それが、継続的な利益が伴う売上なのか、キャンペーンなど一過性の売上なのか、後者では意味がない。好調なときに、痛みの伴う改革を行なう必要がある。
・業績不振に陥った会社は、次の2つを忘れている。「基本に戻る」「らしさを取り戻す(Back To The Basic With Innovative Manner)」こと。
Appleも、Appleらしさを失い、Appleらしさを取り戻した。Appleらしさは、操作性。やりたいことが簡単にできること。マクドナルドも、ハンバーガーだけでなく、カレーやうどんを売ろうとしたことがあるが、基幹ビジネスが低迷しているときに、補完をやってもうまくいかない。
マクドナルドは、「基本に戻る」「らしさを取り戻す」「グローバリゼーション」「顧客価値の向上」の4つに関して、2004年から経営改革に取り組んだ。改革を行なうと、誰かが幸福になり誰かが不幸になるが、行なわないと皆が不幸になる。改革は、有限の経営資源の配分を変えること。優先順位がある。
マクドナルドの競争力は、「バリューフォーマネー(お得感)」と「スーパーコンビニエンス(利便性)」の2つ。「成長のためのシーケース(sequence=順番)の策定」で一番の基本になるのは、「QSC&メイドフォー・ユー」(Quality:品質 Service:サービス Cleanliness:清潔さ)。次に「バリュー」(100円メニュー)。そして「新メニュー」(エビ、サラダ、ピタ)「価格改定」「24時間営業」「メガマック、マックリドル」と続く。「QSC&メイドフォー・ユー」は常に基本。上達すればするほど、基本をもっとやらなければ、上達しない。ゴルフでも、ストレートボールがちゃんと打てるようにすること。打てないのに、それ以外にいろいろ打って、道具のせいにしている。
・1997年から2003年まで、既存店売上高の対前年比は、7年連続マイナスで、−28%だったのが、2004年から2011年まで、8年連続プラスで、+37%となった。今年は、あえてマイナスにしても、やることをやっているが、「勝利の方程式が崩れた」などと叩かれる。叩かれると元気が出るのでいい。
・8年間でやってきた戦略はたくさんあるが、そのなかで次の3つについて話したい。
 ①「価格戦略」「人事制度改革」
 ・「価格戦略」は、過去8年で6回の値上げを行なった。価値を高めて値上げした。「できたて」「スピード」「利便性」また、これまでは、地方で儲けて、東京で損する仕組みになっ ていたので、「ロケーションもお客さんの価値」ととらえて「地域別価格」を導入した。東京の値段を高くした。牛丼店は値段を下げる価格戦争をして、低迷している。値下げをする と、お客さんの価値認識が変わってくる。価格を決めるとき、コスト、利益だけでなく、お客さんの購買パターンなど、全体を見て決めている。1人のお客さんが1月にいくら購買する のか、来店頻度と利用率など、どこかで損することのないように考えている。コモディティ(差がない商品)であるコーヒーを売るのは、来店頻度を上げてもらって、独自メニューで あるビッグマックを売るためだ。
 ②店舗開発改革
 ・「戦略的閉店」を433店舗行なった。成長のスピードを上げることが目的だ。マクドナルドの店舗には、「ストア フロント」「従来型ドライブスルー」「大型ドライブスルー」が あるが、大型ドライブスルーの優位性が高い。「戦略的閉店」は、店舗ブランドイメージに合わない店、たとえば、キッズ&ファミリーのイメージと異なる歌舞伎町店などは閉店し  た。ブランドエクステンションとして「McCafe」「マックデリバリーシステム」「デザートキオスク」などのタイプも導入している。
 ③「人事制度改革」
 ・人材への投資を行ない、クルーの定着率向上に力を入れている。ES(従業員満足度)が上がると、TO(離職率)が下がり、CSO顧客満足度)が上がる。いいクルーは、「報酬」では なく、「成功体験」と「自己成長」で育つ。クルーの教育に力を入れ、クルーがいる部屋の内装にも力を入れている。マニュアルも、スピードに対応するよう、任天堂DSを使ってい  る。
・IT企業は「Think Global  Act Global」。世界で売れないものはやらない。マクドナルドは食で、地域によって、文化が違うので「Think Global Act Local」。「Think US Act Local」の会社には、RCAFairchild、Ford、GMなどがあるが、失敗している。日本のベンチャー企業は、「Think Japan Act Local」だ。世界のルールで戦うが、文化の違いを知ってコミュニケーションをとることが必要。日本の文化を知り、世界の文化を知ることだ。
<提言>。
・強みをさらに伸ばすこと。日本人は、弱いところにはすぐ目が行くが、強さを説明できない。
・リサーチで企画を立てるな。自分が信じるものをつくり、新しい価値を生み出すことだ。
・要領のいい世渡りをするな。人間社会の基本は、価値を生み、対価を得ること。
・成功しないことが当たりまえ。上司は失敗と言ってはいけない。プロセスと思わないといけない。成功するまでナビゲーションすること。若い人は、知識がたくさんあるが、もっと仕事に知識を使わなきゃいけない。知識はツールに過ぎない。
・私は、日本人で他の国で活躍する若者を輩出したい。後継者をつくりたい。画一的な人材は要らない。ダイバーシティは、チームビルディングは大変だが、競争力が上がる。海外に住むのがおすすめ。違う空気を吸い、外から日本を見ないとわからない。海外には、失敗してもまたやる、失敗したと思わない風土がある。
(感想)原理原則に則った経営だと感じた。多くの経営者のお話を聞いていると、現場で基本どおりではないと感じ、いったん基本から離れ、あれこれ試行錯誤した結果、基本に戻ってきている。頭で理解した基本ではなく、体験を経てたどり着いた基本に忠実な方が、帰結として、成功につながっているのではないか。


◆自分を幸せに保つ時間管理術
・「グローバル社会で活躍するための発想と行動」と題し、佐々木かをり氏が次の講師として登壇。原田氏は「CEOにとって10人のブレーンがいても、経験も思考も年齢も似ていれば、1人しかいないのと同じ。異質のブレーンを集め、活かす。それがダイバーシティだ」という話をした。佐々木氏は、これを受け、「ダイバーシティという言葉を聞いたことがある人は、手を挙げてください」。いくつかの写真を見せ、ダイバーシティについて尋ねていく。「単に女性活用でないことは分かりますね」。例えば飲料の缶の影。上からは円、横からは長方形に見える。簡単に言うと、ダイバーシティとは多様な物の見方があることに気付き、それを許容し、活かすことだ。
・「グローバル化し、ダイバーシティが当然となる社会では、価値観や思考がみなと一様では存在していないも同じ。自分の意見を言える一人ひとりである必要がある」。「円です」「円です」と答える大勢でなく、「長方形です」あるいは「円筒です」と答えられる一人になることが大切である。
・大人には「自分を幸せにする責任」がある
 1人ひとりが自分の特性を発揮することが、まさに「work」することだ。「workは『機能する、役立つ』が本来の意味。“That clock is working.”はあの時計は働いているでなく、機能している、つまり正確に時を刻んでいるということ。ネットワークは、まさに人間関係の中で自分が役立つこと。単なる人脈づくりはネットメイクに過ぎない」「原田さんは『人間力は自ら鍛えるもの』と言いました。時間管理はそのための1つ。では、時間管理の目的は何だと思いますか。仕事の効率を上げたい、残業を減らしたい、家庭と仕事を両立したい……。要は、自分を思い通りに動かしたいということでしょ」 自分が思い通りに動けたら、どうだろう。仕事でもうひと踏ん張りしてみる、満員電車で席を譲る、同僚や部下に優しい言葉をかける……。何となくポジティブな気分になるだろう。つまり、周りに好影響を及ぼせる。「大人には自分を幸せにする責任がある。」
・時間管理は万人に共通する、自分を幸せに保つ方法
 「皆さん、責任というから、前向きになれないのではないですか? ハラキリを迫られるわけでないんだから、もっと気軽に。英語で責任は “responsibility”です。レスポンスとアビリティで、対応する能力です。つまり『自分を幸せに保つ対応力』と考えればいい」。仕事をしていたら、まなならないことは多々ある。丁寧に説明をしても分かってもらえない、プロジェクトが前に進まない……。しかし、それも含めて「自分でコントロールしている」と思えれば、幸せを感じる状態を保てるのではないか。佐々木氏は、その管理ツールの1つとして、自ら発案した「アクションプランナー」という手帳を勧める。かつて20代の頃、佐々木氏はタレントの黒柳徹子さんと食事をしたことがある。どうしていつも元気なのかと尋ねる佐々木氏に、黒柳さんは「寝るのも仕事よ」と教えてくれたという。忙しい、寝不足だ」という声はどのオフィスでもよく聞かれる、半ばビジネスパーソンの定番フレーズともいえよう。しかし、そんな状態でグローバル社会での活躍は覚束ない。朝に目覚めたときから、元気な自分、幸福な自分であるため、どうしたらいいか。

(1月9日生まれの偉人)・・・幕末から明治に生きた一人の男子の生きざま。
◆岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、天保5年12月11日(1835年1月9日) - 明治18年(1885年)2月7日)は、日本の実業家。三菱財閥の創業者で初代総帥。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。別名を土佐屋善兵衛。彌太郎とも書く。
 土佐国(現在の高知県安芸市)の地下浪人・岩崎弥次郎(やじろう、1808年 - 1873年)と美和の長男として生まれた。地下浪人とは、郷士の株を売ってしまって浪人をしている者のことで、弥太郎の曽祖父・弥次右衛門の代に郷士の株を売ったと言われている。幼い頃から文才を発揮し、14歳頃には当時の藩主・山内豊熈にも漢詩を披露し才を認められる。21歳の時、学問で身を立てるべく江戸へ遊学し安積艮斎の塾に入塾するが、安政2年(1855年)、父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り帰国。父の冤罪を訴えたことにより弥太郎も投獄されるが、この時、獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業に手を染める機縁となった。出獄後は村を追放されるが、当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、後藤象二郎らの知遇を得る。東洋が参政となるとこれに仕え、藩吏の一員として長崎に派遣されるが、公金で遊蕩したことから半年後に帰国させられる。この頃、27歳で弥太郎は長岡郡三和村の郷士・高芝重春(玄馬)の次女喜勢を娶る。
 慶応3年(1867年)、後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事する。坂本龍馬が脱藩の罪を許されて亀山社中海援隊として土佐藩の外郭機関となると、藩命を受け隊の経理を担当した。弥太郎と龍馬は不仲であったとも言われるが、弥太郎は龍馬と酒を酌み交わすなどの交流があった様子を日記に記しており、龍馬が長崎を離れる際には多額の餞別を贈っている。廃藩置県後の明治6年1873年)に後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で船2隻を入手し海運業を始め、現在の大阪市西区堀江の土佐藩蔵屋敷土佐稲荷神社付近)に九十九商会を改称した「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立。三菱商会は弥太郎が経営する個人企業となる。この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて三菱のマーク「スリーダイヤ」を作ったことはつとに有名である。三菱商会では海援隊や士族出身の社員に対しても、出自に関係なく徹底して商人としての教育を施した。最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立されて紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引であった。弥太郎は最初から政商として暗躍した。
 三菱商会は、明治7年(1874年)の台湾出兵に際して軍事輸送を引き受け、政府の信任を得る。明治10年(1877年)の西南戦争でも、輸送業務を独占して大きな利益を上げた。政府の仕事を受注することで大きく発展を遂げた弥太郎は「国あっての三菱」という表現をよく使った。しかし、海運を独占し政商として膨張する三菱に対して世論の批判が持ち上がる。農商務卿西郷従道が「三菱の暴富は国賊なり」と非難すると、弥太郎は「三菱が国賊だと言うならば三菱の船を全て焼き払ってもよいが、それでも政府は大丈夫なのか」と反論し、国への貢献の大きさをアピールした。明治11年1878年)、紀尾井坂の変で大久保利通が暗殺され、明治14年1881年)には政変で大隈重信が失脚し、弥太郎が強力な後援者を失うと、大隈と対立していた井上馨品川弥二郎らは三菱批判を強める。明治15年(1882年)7月には、渋沢栄一三井財閥の益田孝、大倉財閥大倉喜八郎などの反三菱財閥勢力が投資し合い共同運輸会社を設立して海運業を独占していた三菱に対抗した。三菱と共同運輸との海運業をめぐる戦いは2年間も続き、運賃が競争開始以前の10分の1にまで引き下げられるというすさまじさだった。また、パシフィック・メール社やP&O社などの外国資本とも熾烈な競争を行い、これに対し弥太郎は船荷を担保にして資金を融資するという荷為替金融(この事業が後の三菱銀行に発展)を考案し勝利した。こうしたライバルとの競争の最中、明治18年(1885年)2月7日、弥太郎は51歳で病死した。弥太郎の死後、三菱商会は政府の後援で熾烈なダンピングを繰り広げた共同運輸会社と合併して日本郵船となった。このような経緯から日本郵船三菱財閥の源流と言われている。
岩崎弥太郎の名言>
・『自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。ゆえに事業は必成を期し得るものを選び、いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。』
・『無駄をなくすということは、口に出して言うのは簡単でも、実行するのは難しい。これは昔も今も、人々のひとしく悩みとするところである。余分な人員を整理し、無駄な費用を省き、精魂を尽くして本社の基礎を固め、相手に負けないだけの体制を築いてこそ、はじめてこちらの勝利が期待できる。』
・『小事にあくせくするものは大事ならず。ひとたび着手せし事業は必ず成功を期せ。決して投機的な事業を企てるなかれ。国家的観念を持って全ての事業に当たれ。』
*これらの言葉から幕末から明治初期ににビジネスの世界を確立した岩崎弥太郎の考え、たくましさを垣間見る。三菱財閥の礎を作った人物の割には、渋沢栄一ほど評価されていない。まさに政商の誉れかもしれない。後世に評価されようとされまいと幕末から明治に生きた一人の男子のたくましさを覚える。
◆増本 量(ますもと はかる、1895年(明治28年)1月9日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、金属物理学者。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。強磁性金属・合金の広範、周到な実験研究にもとづき、多数の特殊性質合金を開発した物理冶金学者。広島県の農家に生まれ。1922年東北帝国大学理学部物理学科卒業。本多光太郎の指導下で同大学鉄鋼研究所で強磁性金属の二元合金の物性を研究し、24年本多の外遊中にコバルトの変態点を発見した。ついで熱膨張のほとんどない鉄・ニッケル・コバルト三元合金組成とその原因を解明し31年帝国学士院賞を得た。その翌年にはMK鋼にまさる永久磁石鋼新KS鋼(本多,白川勇記と共同)および高透磁率合金センダスト(山本達雄と共同)を、40年には磁歪(じわい)振動子用合金アルフェル(白川、小林猛郎と共同)を、それぞれ発明し、46年それらの研究成果にたいし学士院恩賜賞を得た。
◆藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9日 - 1997年(平成9年)6月28日)は、日本の小説家、評論家。「ポール・ボネ」名義の著作も多数刊行。