1月10日は十日戎。そして日本マクドナルドホールディングス代表取締役会長原田泳幸の経営論ポイント

◆大阪の今宮戎神社兵庫県西宮神社などのえびす神社で正月の10日に行われるお祭りで、地元の人には「えべっさん」と呼ばれ親しまれている。前日1月9日を「宵戎」、翌日1月11日を「残戎」と言う。縁起物を沢山つけた笹が「商売繁盛、笹持ってこい!」という賑やかな掛け声とともに売られ、商売繁盛願ってお賽銭が乱れ飛ぶらしい。今日10日6時からは本殿に一斉に走り参る「開門神事福男選び」が行われた。今年は地元の高校三年生がせらばれた、

日本マクドナルドホールディングス代表取締役会長の原田泳幸氏の著書や講演からまとめてみました。そのまま活用にできるわけではありませんが、参考になることばかりです。
・見える数字だけでなく、顧客心理を読みながら会社を運営する
 見える数字だけで事業を動かすと失敗する。心理を正しく読み続けなければ、会社は即座に脳死する。
・自社都合だけで価格を決めると失敗する
 自社の都合だけで価格を決めたら失敗する。顧客感情と、利益のバランスをよく見極めて判断しなければ上手くいかない。
・「売れた」と「売った」は違うもの
 「売れた」と「売った」は違います。何としても「売る」。そのためにサイエンス(科学)とサイコロジー(心理学)を駆使して、知恵を絞って新たな顧客価値を生み出し続ける。勝ち続けるための道はそれ以外ないと思っています。
イノベーションは自己否定から始まる
 「マクドナルドらしさ」から逸れない範囲であれば、どんどん新しいことにチャレンジしろと社員たちに伝えています。イノベーションは自己否定から始まると思っていますので。
・クレイジーな発想をしろ
 「マクドナルド、コーヒー無料キャンペーン」は2年越しで実現した私のアイデアです。去年は店の外でサンプリング・カップ(試飲品)を配っていましたが、あんな普通なことでは駄目です。店の中で無料で提供するから話題になるのだと社内の反対を押し切って、強引に実施したところ結果は大成功。キャンペーン期間中は客数だけでなく客単価も上がりました。
これから戦力になるのは、こういうクレイジーな発想ができる人なのです。
・全社一丸となって残業ゼロに取り組む効果
 全社一丸となって残業ゼロに取り組んでいると、資料の1ページ目から読み上げるような会議や、パワーポイントにワープロの文章を貼りつけて読ませるといったプレゼンテーションは自然と減り、その分生産性は確実に高まってきました。いまでは全社員の平均残業時間は一桁です。しかも、2009年上半期には過去最高の営業利益を叩きだしました。仕事は時間ではありません。質とスピードなのです。
・残業禁止令で仕事の質とスピードを社員に要求する
 午後6時以降残業禁止導入は、反発もありました。毎月100時間も残業してようやくこなしていた量を、6時までに終わらせられるはずがないというわけです。しかし、アップルコンピュータ・ジャパン時代に残業ゼロを実現していた私には、それが可能だということや、そのために徹底的にムダを排除し、スピードを上げ、密度を濃くすれば、延々と残業をしていたときよりむしろ、仕事の質は上がるということもわかっていました。社員がサービス残業でいいといっても残業を認めません。こっちは仕事の質とスピードを要求しているのですから。
・仕事が人生のすべてのような考え方は不健全
 残業禁止令で仕事の質とスピードを社員に要求する]午後6時以降の残業禁止は、私が決めました。仕事が人生のすべてのような考え方は健全ではないからです。だいたい、社員が長時間労働に耐えることで製品のコスト競争力を上げるというのは、戦後の復興期の政策です。これからの日本は、インテレクチュアル・プロパティ(知的財産)やクリエイティビティ(創造性)で差別化を図っていかなければなりません。労働時間を延ばすというのは明らかに時代に逆行しています。
・時間管理のコツは、無駄な予定を入れないことに尽きる
 時間管理は手帳の使い方よりも、無駄な予定を入れないことにつきます。とくに、当社は午後6時以降残業は禁止。社長も例外ではないので、余計なことをやっている暇はありません。たとえば、何の準備もできていないのにとりあえず集まることが目的となっている定例ミーティングや、すでに決まっていることを確認するような会議。こういう予定は絶対に入れないようにしています。
・オンとオフはメリハリをつける
 6時に仕事を終えたあとに何をするかは個人の自由に任せています。大事なのは、オンとオフのけじめがあることです。そういう意識がないと、日本人は真面目なので、自分の時間をすべて仕事に注ぎ込んでしまいかねないのです。自分の時間はすべてビジネスアワーだと思って働けという経営者もいるようですが、私はそうは思いません。仕事と趣味と家族と過ごす時間の、どれが欠けても充実した人生は送れませんし、仕事一辺倒ではクリエイティブなヒラメキも生まれないでしょう。
・小さなミスが命取りになることを社員に体感させる
 一日に売り上げるハンバーガーに使用するパンを並べたら、東京から兵庫県姫路市に達する距離に匹敵します。そのたった一個に小さな異物が混入しただけでもビジネスの歯車は一気に狂ってしまいます。高速道路をスポーツカーで走りながら石ころ一個に神経を使う以上の緊張感があります。私はこのスピード感やスケール感を社員に体感してほしくて、東京湾に14億人が泳いだらどうあるかというビデオまで作ったほどです。
・外食産業はIT産業より動きが早い
 外食産業はIT産業より動きが早いと言ったら、意外に思われるかもしれません。しかし、実際その通りなのです。だから怖い。IT業界ではユーザーが買い換えるのは数年に一度。だから、よそを向いている間に一瞬で世の中が変わってしまうということはありません。その点、外食業界では、お客さんは数秒で「これ食べよう」と決めます。マクドナルドの年間のお客さんは14億人。これだけの人々が数秒で選択し続けているのです。何かひとつ間違えれば、あっという間に変わってしまいます。
・忙しい部署は、逆に人数を減らすと仕事効率が上がる
 仕事と人数に関しては法則があって、ある部署が「忙しくて人が足りません」と言ってきたら、4人を8人に増やすのではなく、逆に、4人を2人にした方がいい。その方が仕事の効率は上がる。人数が倍になれば無駄な会議が4倍くらい増えるからです。むしろ少ないメンバーで企画決定して、従来の仕事のうちアウトソーシングできる部分はないかと点検してみる。あるいは、増員よりも、いまよりスキルの高い人材を採用すべきだという方向に議論が向かう。そういうチェックと意識の変革が常に必要です。
・6時以降残業禁止は仕事の質が上がる
 無駄な仕事を削ることで、新しい発想も生まれるはず。捨てるべきものは捨てながら進んでいかないと仕事の効率は上がりません。「6時以降は働くな」は前のアップルでも実施したこと。それでもビジネスが滞ることはありませんでした。むしろ仕事の質が上がる。そういう経験のうえで進めていることです。
・会議は議論し決定するためのもの
 会議のやり方も大幅に変えました。資料を配って1ページ目から順に説明していく会議は廃止。情報の共有化のための会議では意味がありません。会議は議論し決定するためのもの。資料は事前配布で、すぐ議論に入ります。
・スピードを上げるために、同時並行で実行する
 私はよく「1やって2やって3やるのではなく、1と2と3を並行してやれ」といいます。企画して市場調査してから実行していたら時間がかかる。新商品の発売にしても、リサーチ結果が出てからカタログや広告の印刷に取りかかったら遅い。「これでいけそうだ」と思ったら、仮説のもとに企画を立ててスタートしろ、ということです。たとえ、捨て金が発生しても、遅れるリスクよりは安い。リサーチは結果的に企業の質を検証するためにあればいい。そう考えているからです。
・スケジュールの最終的に、自分で取捨選択する
 ミーティングの申し入れは秘書の段階では全部受けます。「どんなに忙しくてもスケジュールがいっぱいですと答えるな。逆に、どんなに時間が空いていてもそのまま伝えるな」がルールです。プライオリティ(優先順位)は私にしかわからないので、最終的に私が取捨選択するためです。その決定を、毎日1から2回行っています。
・スケジュールには真っ白な時間帯をつくる
 スケジュール表の中に真っ白な時間帯をつくること。用件の洪水をブロックして、予定の入っていない時間を設けておくことです。とくに1から2か月先の予定表にはそれが大切。状況の変化に対応するために時間的余裕をつくっておくことは必要ですし、経営者として大切な考える時間の確保という意味もあります。自分にとってプライオリティ(優先順位)の高い項目に時間を使うために、あらかじめ時間をブロックするという考え方は大切だと思っています。
・読んだ資料はすぐ捨てる
 私はメモを原則的に取りません。資料類もファイルはしない。ファイルというのは多分、何十年も開かれることがないものだからです。資料は見たらすぐ捨てる。私のデスクの横には捨てるためのバスケットが置いてあります。捨ててしまっても数字を覚えるのは得意な方なので、自然と頭に残ります。
・思いついたらすぐに指示を出す
 ボイス・メッセンジャーは要件をスピーディに伝達できるので、アップル時代から活用しています。たとえば、週末、どこかの街で急に用事を思い出したときなども、その場ですぐ秘書のボイス・メッセンジャーに伝達。メモしておいて週明けに忘れずに指示しようなどと考えるより、手っ取り早く確実です。
・朝5時起きでメール返信
 朝は毎日5時に起きて社員からのメールをチェックします。返事が必要なものにはすぐに返信しますが、たいていは短い一言。「OK」「FINE」「了解」程度です。長い返事や指示が必要なものには、すぐ自宅の書斎に設置してあるスピーカーフォンから秘書の留守電に内容を吹き込みます。出社した秘書がそれを聞いて各相手先に返信。私にメールしてきた社員にとっては、夜中に送信したら午前中にはもう返事が来たということになる。
・商品政策はポートフォリオで考える
 経営にはサイコロジーとサイエンスの両方が必要]新たに獲得した顧客をどう維持し、その顧客満足度からどう利益を生んでいくかを考える。メニューや価格などの商品政策はポートフォリオ(全体の構成・組み合わせ)で考える必要があるということになります。驚かすことで新たな顧客を誘引する商品もあれば、マーケティングコストゼロで利益を生む商品もある。この組み合わせの結果、メニュー全体でマージン(利益)を生み出す構造を目指します。
・人口統計のグラフなんか見ても答えは出ない
 14歳以下の若者が減って、ご高齢の方が増える。そうすると、ボリュームのある商品よりもヘルシーで量が少ない商品のほうが売れるんじゃないか。データだけを見れば、そんな答えが出るかもしれない。でも僕が選ぶのは若者向けボリュームハンバーガーです。実際に、メガマッククォーターパウンダーという商品を出して、いずれも大ヒットになりました。人口統計のグラフなんか見ても答えは出ないってことです。
・データよりも深層的なニーズを見抜く洞察
 大事なのは、本当に顧客が求めているもの、顧客自身ひょっとしたら気づいていないかもしれない深層的なニーズを見抜く洞察です。知識や経験は、自分自身の中にあるチェンジ・リーダーシップ(既存の枠組みを改革しようとする意志)を封じるバリアにもなります。できない理由をデータで証明するのは簡単です。先入観を捨てて、現場に足を運ぶ。そこで商売のにおいを嗅ぎ取る。そのにおいをもとに、新しい価値を生み出す方法を考えて、考え抜いて、これだというものが出来上がったら、あとは信じるんです。データはその成否を検証するためにあるものです。
・組織は常に変化していないと駄目になる
 組織というものは、常に変化していないと駄目になると思います。僕の持論は、同じ人が同じポジションで同じ仕事を3年以上やっているともう駄目。やっぱり陳腐化しているんです。組織の陳腐化は業績の低迷につながります。チーム作りは永遠だと思っていますから、僕の経営チームのメンバーは常に動かし続けます。
・リーダーは朝令暮改でいい
 僕は成功の10倍は失敗しています。僕に言わせれば、経営者は朝令暮改でいい。やってみて検証すればいいし、その結果、間違っていたら変えればいい。もっと乱暴な言い方をすると、間違えていても「なるほど」と思わせるぐらいの勢いで言ってのければいいんです。間違えていても信じさせる力、これがリーダーシップですよ。冷静な論理と熱い情熱。組織だけじゃなく、経営者自身にも両方欠かせないと思っています。
・ビジネスではやるべきことははっきりしているが、全部一度にはできない
 経営にとって「やるべきこと」というのは大抵はっきりしているんです。たとえば客数を増やす。客単価を上げる。コストを下げる。それらの取り組みによって売上高と利益を上げる。やればいいんです。ただ、それらを全部一度にやったらどうなるか。どれも実現できなくなります。
・客数と客単価を上下させながら、少しずつ売上の最低ラインを上げていく
 大事なのは「客数×客単価」の結果である「既存店売上高(新規店を除いた売上高)」を伸ばすことです。値上げによって客単価を引き上げるときに、客数が落ちますね。その客単価上昇による売上の上げ幅と、客数減による売上の落ち幅が等しければ、成長はできません。2つの指標を上下させながら、少しずつベースラインを上げていくナビゲートが必要なんです。もちろん、値上げに欠かせないのは、その価格に見合うまで「価値」を上昇させることです。
・経営とは矛盾をどう乗り越えるかということ
 客数を増やすためには、値下げをすればいい。ところが値下げによって、客単価は落ちてしまう。客数×客単価で売上高が決まりますから、客数が増えても客単価が落ちれば、結果としての売上高は変わらないということになります。メニューの数を減らせばコストが下がって利益率は改善します。しかし、メニューを減らすことで顧客の来店数が下がってしまう。たとえ利益率が改善しても、売上が落ちることで利益の絶対額は変わらない、ということになりかねません。「客数を増やす」と「客単価を上げる」と「コストを下げる」。これは矛盾なんです。ですが、経営というのは矛盾をどう乗り越えるかということです。
・戦略実行の順序を間違えるな
 大切なのは「シーケンス(順序)」です。土台がないのに柱は建たないし、柱がないのに壁は張れません。ある戦術を実行するためには、その戦術が実行できるための環境を整えておかなければなりません。パズルをひとつひとつ組んでいくように、戦略実行のシーケンスを考えるのが経営戦略というものです。
・リーダーには経験則に基づく確信で部下を引っ張る
 やみくもに「やればできる」というのではなく「これはいけるぞ」という経験則に基づいたある程度の確信があるからこそ、リーダーは「やるぞ!」と言って、強いリーダーシップを発揮して部下を牽引できる。そもそも「できるわけない」ところにこそ、ビジネスや成長のチャンスがあるんですから。
・部下をやる気にさせる上司は、大きな目標を掲げ号令を出す
 部下をやる気にさせる上司というのは、部下に対して「やるぞ!」と言えること。私自身サラリーマンになりたての技術者時代にそれを強く実感しました。リーダーが大きな目標を掲げるのは会社の中でこれだけのチャンスがあるんだと、社員に教えるためなんです。
・部下の失敗には怒るな、やる気のない場合だけ怒れ部下をやる気にさせる上司は、大きな目標を掲げ号令を出す]私は上司と喧嘩をしたこともありましたが、やるべきことはちゃんとやって、その上で意見を言っていました。何もやらずに文句だけを言うのは一番駄目で、どうしようもないですね。私は失敗しても怒こらないけれど、やる気がない人に対しては怒ります。やる気というのはまわりの誰かがくれるものではない。自分自身の問題なんです。

(1月10日生まれの偉人)
◆福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 1901年(明治34年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、伝染病研究所の創設にも尽力した。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。
平成21年1月20日、休みを利用して、上野の国立博物館表慶館で開催されている慶応義塾創立150周年を記念した福沢諭吉展を見てきた。この博物館にある表慶館は、大正天皇(1879−1926)の御成婚を記念して建てられたそうだ。明治末期の洋風建築を代表する建物であり、石と煉瓦造りの2階建てで、屋根は緑色の銅板で葺いた雰囲気のいい建物だ。慶びを表すという意味で表慶館と名付けられた。
さて、当時の慶応の安西塾長のあいさつでは、「試みに見よ、古来文明の進歩、その初は皆いわゆる異端妄説に起らざるものなし」という福沢の言葉から始まっている。1858年に23歳だった福沢は慶応義塾を創立し、1901年に68歳で亡くなくなるまで、獅子奮迅の活躍をする。今回の展覧会のキーワードは「異端」と「先導」である。安西塾長は福沢を知・情・意の総合力に優れた偉大な常識家として福沢を見ている。現在の清家塾長は、近代国家として歩みはじめた明治の日本の知的指導者となった福澤は、そのような激動の時代を生きた同世代人を、「恰(あたか)も一身(いっしん)にして二生(にしょう)を経(ふ)るが如く」と表現し、大きな変化の時代であれば、学問の重要性が高まるといっている。   
この展覧は、第一部「あゆみだす身体」、第二部「かたりあう人間(じんかん)」、第三部「ふかめゆく智徳」、第四部「きりひらく実業」、第五部「わかちあう公」、第六部「ひろげゆく世界」、第七部「たしかめる共感」という七部構成になっている。
 第一部「あゆみだす身体」。4時半起床(冬は5時半)で10時には寝る福沢が散歩党を起こすための銅鑼と打木が展示されている。毎日広尾、目黒、渋谷と6キロを歩いた。また、肖像画が30種類以上残っているように、福沢は無類の写真好きだった。福沢は身体を人間第一等の宝として鍛えていた。それを示す言葉が二つあった。「身体壮健精神活発」と「先成獣身而後養人心」である。後は、「まずじゅうしんをなしてのちじんしんをやしなう」と読む。
 第三部「ふかめゆく知徳」。徳とは「勉強によって智を獲得するかたわら、知らず知らずのうちに備えていく気品」だそうだ。慶応の25年史には、「西洋の実学」という言葉があり、実学に「サイヤンス」というルビをふっている。科学を実践的学問、すなわち実学と訳しているのは興味深い。慶応義塾では、先生と弟子ではなく社会開拓する志の実現のため協同して支え合う仲間(社中)であり、上下関係はないということになる。福沢だけが先生と呼ばれ、あとは全員が君づけなのはこういった考えにもとづいている。亡くなる年の元旦にに書いた「独立自尊迎新世紀」は雄渾な書である。福沢の葬儀は1万5千人が弔ったが、女性を尊重する論陣を張ったためか女性が多かったそうだ。
 第四部「きりひらく実業」。中央における経済界の福沢山脈(荘田平五郎・朝吹英二・中上川彦次郎・池田成彬・福沢桃介・藤原銀次郎小林一三・松永安佐エ門ら)と並んで「もう一つの福沢山脈」として地方で活躍した慶応義塾出身者の活躍を展示しているのは、いい企画だった。福沢の影響力は地方の産業にも深く及んでいたということがわかる。
 第五部「わかちあう公」。「言海」が完成した祝宴の招待状に、招待員総代として「伊藤伯」「福沢先生」とあったのを自ら福沢先生の文字を抹消して送り返したという逸話の本物があった。また、「瘦せ我慢の説」で幕臣でありながら新政府から爵位をもらった勝海舟を非難した書簡に対して、勝の返事もある。「行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 我に与からず 我に関せずと存候」というよく知られた言葉があった。第一回帝国議会の想像図があり、定員300のうち、慶応義塾出身者は25名だったそうだ。今はどうだろう、もっと多いかも知れない。
 機会があれば大分県中津市にある記念館を訪ねてみたいものである。
◆尾崎 紅葉(おざき こうよう、1868年1月10日(慶応3年12月16日) - 1903年明治36年)10月30日)は、日本の小説家。本名、徳太郎。江戸生れ。帝国大学国文科中退。
1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称され(紅露時代)明治期の文壇の重きをなした。1897年(明治30年)から『金色夜叉』を書いたが、未完のまま没した。泉鏡花田山花袋小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など、優れた門下生がいる。俳人としても角田竹冷らとともに、秋声会を興し正岡子規と並んで新派と称された。
◆三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか)は、落語家の名跡。当代は3代目。本名は中沢 信夫(なかざわ のぶお、1929年1月10日 -) 。出囃子は「二つ巴」。岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)卒業後、運輸通信省東京鉄道局に入局し、山手線新大久保駅で駅員を務めた。終戦を迎えた1945年8月に東京鉄道局を退職し、同年9月に2代目円歌に入門した。前座名は歌治。1948年4月に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名した。1958年9月に真打昇進した。「授業中」「浪曲社長」「月給日」には登場人物に吃音者が出てくるが、それは彼自身もまた吃音者であったからである。CD「中沢家の人々完全版」によると、近所に住んでいた幼馴染で後にアナウンサーとなる小川宏が吃音者で、真似をしていたら自分もなってしまったという。落語家になった理由もそれの克服だが、入門時に親から戸籍を外されてしまった。歌奴時代、黎明期のテレビ演芸番組に多く出演し、1960年代の演芸ブームでは売れっ子芸人の一人に目される。一時期「笑点」の大喜利メンバーとして出演していた。1967年に御前公演をした。この頃に自作の「授業中」で人気を博したことから、この時代の世代からは圓歌襲名後も「歌奴」と呼ばれることがあるという。
 1970年9月、圓歌を襲名する、以後はテレビ出演を控え、高座に専念。1985年に出家。日蓮宗久遠寺で修行し、圓法(フルネームは本遊院圓法日信)を名乗り、噺家と僧侶の二足の草鞋を履く。1996年8月、5代目柳家小さんの後任で、8代目会長就任。2006年6月から最高顧問に就任。得意演目は、新作では「授業中(山のあな)」「浪曲社長」「月給日」[電報違い]「我孫子宿」「中沢家の人々」「天皇陛下、初めて落語を聴く」、「円歌の道標」[4]など。古典では、「替わり目」「坊主の遊び」「西行」「三味線栗毛」「紺田屋」「品川心中」「宮戸川」「湯屋番」など。