内藤誼人さんの心理術的名言

内藤誼人さんの心理術的名言
・メモを取りながら話を聞くと、より相手の好意を引き出すことができる
 聞き上手な人は、概して人たらしになりやすい。人の話を聞くこと自体が、相手にとっての報酬となるからである。私たちは自分の話を聞いてもらえると大変にうれしいのだ。相手の話を聞くときには、面倒でもメモを取ること。メモを取ってあげれば、あなたの話を聞き流しているわけではありません、大変に面白いお話ですという強烈なアピールができる。
・上司に邪魔されないように、上司に相談する癖をつけろ
 上司の承認が本当に必要かどうかは別として、あらかじめ相談を持ちかけておく癖をつけよう。あらかじめ相談しておけば、会議のときにも、上司が賛成に回ってくれる可能性が高くなる。相談されたということによって「自分は頼りがいのある人物である」という気分になって気持ちがいいからだ。たとえ上司の意見など聞いておく必要がなくても、絶対に相談しておくべきである。
・話を切り上げ帰る最高のタイミングは、一番話が盛り上がっている時
 相手と別れるときのタイミングは会話が一番盛り上がったところが目安になる。会話が盛り上がって、少しずつ下がりはじめようとするくらいのタイミングが、あなたが辞去するのに最も適したタイミングなのだ。会話が盛り上がってきて、お互いに興奮、歓喜の感情が残っているときにお別れするようにすると、心地よい余韻がしばらく続き、あの人はなんて素晴らしいんだろうという評価が高まる。相手が退屈しているときに辞去すると退屈な人だったという評価を受けやすい。
・仕事の謝礼を前金で渡すと、頼んだ相手はやる気を出しやすい
 相手に謝礼するのなら、相手が行動を起こす前の方がいい。どうせ謝礼を渡すなら、前もってあげてしまった方が説得のしやすさも違ってくるし、相手のやる気も違ってくる。部下に頼みごとをしようとして「あとで飯でも奢るからさ」と言う先輩と、きちんと食事を奢ってくれてから頼みごとをする先輩がいるとしたら、部下がやる気を出して言うことを聞いてくれるのは後者だ。
・職場の雰囲気を明るくするために仕事中に人を笑わせろ
 私たちは笑える話を聞かせてくれる相手を好む。こちらが大笑いできる冗談を言ってくれる人は、例外なく魅力的だ。会社では仕事に差し支えない程度に周囲の人たちを笑わせるように努力しよう。仕事中だから冗談を言ってはいけないなどと考えず、とにかく面白いことが頭に浮かんだら、すぐにそれを言ってみるのだ。そうすると会社の雰囲気が楽しくなってくる。

◆今日は成人の日です。
 豪雪の中の成人式。戦後最低の対象成人。少子化の結果。ゆとり世代の成人式。自分の成人式は行われず、アルバムを配付されただけ。
 この雪の中約6時間かけ、自宅に戻る。鉄道網を乱す豪雪です。明日の路面凍結により、交通のトラブルがないことを願いたいものである。

 (1月14日生まれの偉人)
◆福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年(明治38年)1月14日 - 1995年7月5日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、農林大臣(第27代)、大蔵大臣(第70・73・74・78代)、外務大臣(第99代)、行政管理庁長官(第36代)、経済企画庁長官(第26代)、内閣総理大臣(第67代)などを歴任した。
 群馬県出身。東大卒。大蔵省に入る。銀行局長、主計局長を歴任,1948年(昭和23)昭電疑獄に連坐したが58年に無罪。1952年無所属で衆議院に初当選し、自由党民主党を経て自民党岸信介派に所属。岸内閣で党幹事長・農相。池田勇人内閣で党政調会長となったが,池田高度経済成長政策を批判し,党風刷新連盟を作り党内反主流活動を展開。佐藤栄作内閣成立に貢献し、蔵相、幹事長、外相を歴任。ポスト佐藤の本命と目されたが、72年の総裁選で田中角栄に敗れ、田中内閣では前任者愛知揆一急死後の蔵相。
◆三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・評論家・政治活動家・右翼活動家・民族主義者。第二次世界大戦後の日本文学界を代表する作家の一人である。代表作は小説に『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『鏡子の家』、『憂国』、『豊饒の海』四部作など、戯曲に『鹿鳴館』、『近代能楽集』、『サド侯爵夫人』などがある。人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。
 晩年は自衛隊に体験入学したほか、民兵組織「楯の会」を結成。右翼的な政治活動を行い、その後の新右翼民族派運動に大きな影響を及ぼした。1970年11月25日、前年の憂国烈士・江藤小三郎の自決に触発され、 楯の会隊員4名と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)を訪れて東部方面総監を監禁。その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説しクーデターを促し、その約5分後に割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与えた筆名の「三島」は、日本伝統の三つの島の象徴、静岡県三島の地名に由来する。「三島」の命名を想起した清水文雄が修善寺での同人誌の編集会議を兼ねた一泊旅行のとき、「三島」を通ってきたことと、富士を見ての連想から「ゆき」という名前が浮かんだという。
◆細川 護熙(ほそかわ もりひろ、1938年〈昭和13年〉1月14日 - )は、日本の政治家、陶芸家。公益財団法人永青文庫理事長、東北芸術工科大学学園長(初代)、京都造形芸術大学学園長(初代)。参議院議員(3期)、熊本県知事(第45・46代)、日本新党代表(初代)、衆議院議員(2期)、内閣総理大臣(第79代)、フロム・ファイブ代表(初代)などを歴任した。