今日は。『厚労省、生活保護の支給水準見直しへ』いよいよ始まった社会保障の見直し。

 朝4時起床。今日の予定確認。朝から会議。午後3時から営業打合せで出張する。
 常にスケジュールを確認し、その間にデスクワークの充実を図れるように努めている。今年はまだ、1月早々半月であるが、滑り出しはいいのかも。ただし、自分には厳しくしていこう。
 と言いつつ、飲み会でかなり酔ってしまったみたいである。

(今日のニュースから)
厚労省生活保護の支給水準見直しへ、<TBS系(JNN) 1月16日(水)14時26分配信>
 生活保護費の支給水準は、低所得者の生活費に比べて、家族の人数が多いほど有利になっていることなどが分かりました。こうした問題を受けて、厚生労働省は来年度から支給水準を見直すことにしました。
 厚労省生活保護基準部会は、生活保護費のうち「食費」などの基本的な生活費の支給額を、低所得者世帯の消費支出と比較しました。その結果、「夫婦と子ども2人の4人世帯」では、低所得者の消費支出が15万9千円となっている一方、生活費の支給額が18万6千円と、支給額が2万7千円高くなっていることがわかりました。一方、60歳以上の「1人暮らしの高齢者世帯」は消費支出に対して支給額が下回っていました。
 厚労省は、来年度から生活保護の支給水準を見直すことにしていますが、引き下げの動きについて、受給者の一部は反発しています。(16日13:49)
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 いよいよ始まった社会保障の見直し。国債頼みでは無理な現状、景気浮揚のむずかしさなどより、今後のsy会保障費の見直しの検討スタート。消費税値上げでは対応できない証しですね。日本の財政の破たんのスタートかも。



(1月16日生まれの偉人)
◆井上 馨(いのうえ かおる、天保6年11月28日(1836年1月16日) - 1915年(大正4年)9月1日)は、日本の武士・長州藩士、政治家、実業家。本姓は源氏。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏。桂太郎は娘婿。太政官制時代に外務卿、参議など。黒田内閣で農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣など、数々の要職を歴任した。
 明治維新後は大蔵省に入り、主に財政に力を入れた。明治6年1873年)、司法卿・江藤新平らに予算問題や尾去沢銅山の汚職事件を追及され辞職。一時は三井組を背景に先収会社(三井物産の前身)を設立するなどして実業界にあったが、伊藤の強い要請のもと復帰し、外務卿、外務大臣、農商務大臣、内務大臣、大蔵大臣を歴任。明治16年(1883年)、外務卿となった後は、鹿鳴館を建設。不平等条約改正交渉にあたる。さらにパリやベルリンに劣らぬ首都を建設しようと官庁集中計画を進めた。条約改正、官庁集中計画は井上辞任に伴い頓挫した。その際に井上の秘書として活躍したアレクサンダー・フォン・シーボルトは勲一等、兄アレキサンダーと共に交渉に関わったハインリッヒ・フォン・シーボルトには勲三等が後に与えられた。両名は医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男と次男である。また実業界の発展にも力を尽くし、紡績業・鉄道事業などを興して殖産興業につとめた。明治17年1884年華族令で伯爵、明治40年(1907年)には侯爵に陞った。日本郵船・藤田組、特に三井財閥においては最高顧問になるほど密接な関係をもった。これを快く思わなかった西郷隆盛は井上のことを「三井の番頭さん」と皮肉っている。尾去沢銅山事件に代表されるように実際に三井や長州系列の政商と密接に関わり、賄賂と利権で私腹を肥やし、散財するという行為が当時から世間において批判され、貪官汚吏の権化とされていた。